Lokunへ
38歳の誕生日おめでと~~☆
1977年 7月21日 私が 26歳の時に Lokunは 3450gで産まれました。 宮崎県 小林市の 小林市立病院で産まれました。
産まれる予定日は 7月7日で “あ~ 七夕の日に 産まれるのだ~~・・” と ずっと思っていました。 でも7月7日になっても 全然生まれる気配なし!
妊娠2ヵ月目で もう私の妊娠がわかりました。 昔あ 妊娠3ヵ月でないと 普通解らないけど・・ 私の体の具合が悪くて・・悪くて・・医者に行ったら 妊娠と言われました。 と言う事は もう 妊娠2か月目で すでに つわりが始まていたのです。
その時は 京都の山科区に 住んでいました。
それから 私のつわりとの戦いが 妊娠六か月まで続きました。 つまり 4か月もつわりが続いたのです。 つわりとは 体の中に異物が出来るので・・体はそれを廃除しようとする 異物反応・・ って事は Lokunの存在は私の体は 相当強い “異物” として 長い間 抵抗した事になります。
私の体重が 38kgまでになったと言うのは ま~ Lokunは 今の私からは想像を絶するとは思いますが・・確かにその体重まで 落ちたのです・・。
ほとんどは 山科の近くの病院で入退院を繰り返す状態でした。 何回も Lokunの心臓の音が消えて・・ 看護婦さんが 心音を取るのだけど・・ どうやっても 心音が聞こえずに・・ お医者さんに・・
「先生 心音が聞こえないんですが!」 と言ってるのを覚えています。
ま~ 普通は 母体の体重がぐんぐん増えて来るはずが ぐんぐん減っている状態では・・ ま~ それもそうだろうな~~ と思っていました。
医者が 「一応心音は かすかに聞こえる」 と言う言葉を聞いて・・ 私は いつも “あ~ 赤ちゃんはまだ 生きている” と実感したのでした。
毎朝 医者が病室に来て 「もう母体も危ないし・・このまま妊娠していては共倒れだし・・今回は子供はあきらめなさい」 と言うのが 常でした。
でも かすかでも 心音が聞こえると言う事は “生きている” と言う事で 死んでいる訳ではない!“ と言うのが 私んの気持ちで・・ 生きている物を殺すのはできない・・! と言う一心で ガンガン涙目になって・・・首を横に振るのみ・・の毎日。
医者も母体がどうあれ・・母親が泣いて・・嫌だと 言われるのを 無理やり赤ん坊を殺すのはできなかった。 溜息混じりで 毎日諦めていた・・・。
そんな毎日の数か月後 遂に! 7か月目に入ったら 今度は奇跡のように ぐんぐんお腹がでかくなってきて・・ つわりはウソのように無くなりました。
その時に食べていたのが “メロン” 日本では “プリンスメロン” と言って 皮にギザビザの入ってない奴です。 これはが又! 甘くて ものすごくおいしいのです。 Lokunの体は プリンスメロンで作られたのと同じと言っていいほど 私は 毎日 プリンスメロンで生きていました。
Lokunが 言葉をしゃべるようになり 好き嫌いが言える頃になった時に・・ “メロンは嫌い” って言われた時・・思わず “ま~ そりゃ~そうだろうな~~ もう うんざりってのは わかる!” と 相当納得が行ったのです・・・w
妊娠8か月目になったら Noriの腹も まるで西瓜泥棒をした様に でかくなって・・ 九州のばあちゃんが言ってたけど・・ “妊婦は西瓜畑の近くを歩くな!” と 言う言い伝えがあるとか・・?
昔の人はすごいな~~! と思う。 ホントに 腹は西瓜を入れたようなのになって行く。
それで 8か月目から もう 腹がツッパリ 赤ちゃんを押し出そうとする 子宮の収縮が 夜になると 起きるのです。 医者にそれを言うと・・・ もしかしたら もうすぐ出てくるかもしれない・・あまり 動かないようにして できるだけ 横になっているように・・ と言われたのです。
つまり 早産になる恐れあり・・。 子宮口も少し開いているし・・ 早産は考えられる・・。
7月7日に近い頃には もう毎晩 何回も腹が絞るように強く・固く収縮して・・ まるで お産が始まるような気配が 一晩中。 そんなこんなで・・あまり寝ることができませんでした。
妊娠8か月目で すでに 私は 宮崎県 小林市 にあった 農林省の試験牧場 つまり 九州のおじいちゃんが働いていた牧場の官舎に 行ってました。
九州のばあちゃんは 私が夜中 「子宮が収縮してる!」 と騒ぐ度に 起こされて・・ 私もばあちゃんも寝不足状態い陥っていました。
そうこうしていても それでも 本格的陣痛は来なく・・病院は 予定日より2週間以上は 赤ん坊を子宮内に置いて置くのは 大きくなりすぎて危険だと言う事で・・ ちょうど 7月7日の予定日から2週間後の 7月21日に無理やり陣痛を起こすべく 入院。
朝から 子宮口を開く器具を入れ 陣痛を起こす注射をし・・ 最初は 何も起こらないな~・・ と高を食っていたけど・・ ドンドン痛くなり・・ ベッドの上で もう 地獄の苦しみ・・。
最初は じいちゃんもばあちゃんも 一緒に居てくれたけど・・じいちゃんは 私が騒ぐのがひどくなると 逃げるように居なくなりました。
でも ばあちゃんは 私の腰だの 背中だのを せっせとさすってくれて・・そんなことで 陣痛が和らぐ様なもんでもないけど・・ それでも 誰か傍にいてくれるって言うだけでも・・ 背中や腰をさすってくれるって事で なんか 命が助かるような気持ちすらあったし・・。
それから 分娩室に移動したけど・・その時は なぜか覚えていない・・。 でも 分娩室に移ってからの 苦しさは半端ではなかったな~~・・ あまりの喘ぎで 喉が完全に乾いて 喉と口の中がペトペトとくっついてしまう痛さを覚えている・・。
そして 水! 水! と叫ぶと 看護婦さんが 私の口に水差しで水を流し込んでくれたのも覚えている・・。 あまり私がうるさいので・・ 病院じゅうの人に聞こえるでしょ! と看護婦さんに叱られたし・・ でも そんな事で 私は全然気にも止めなかった。
私の分娩台の向こうには大きな窓があって 夏の暑い まぶしい光が沢山入っていて・・ まるで 真っ白なまぶしい光の中に自分がいるような感じでもあった。
その内 若い医者が二人やって来て そのまぶしい光の真ん中 つまり その光が入って来る窓枠に二人は座ったのだ。 そして 二人の若い医者は 「ここから 高見の見物! わっはっは・・」 と笑ったのだ。
人が苦しい目にあってるのに・・人は 天国と地獄と二手に分かれる事ができるんだな~~ とその時思った。 たぶん 私があまりにもデカイ声で わ~わ~! 騒いでいるので・・賑やか過ぎて お祭り騒ぎになったのだろう・・。
分娩室はたくさんの看護婦と 私の赤ん坊を取り上げる医者の他にも また 若い見物医者がやって来たので・・賑やかにならざる負えない状態だったのだろう。
そうこうしている内にやっと Lokunが生まれた。 産声のうるさかった事! 自分では煩いとは思わず・・やっと・・・やっと・・長い闘いが終わった・・と言う実感だった。
その産声は 高らかに病院中に響き渡っていたように思えた。 最高に自慢できる産声だった。 そして 誰かが「お母さんが 相当デカイ声だから 赤ちゃんもすごいデカイ声だな~!」 と言ったら 回りの人 全員が笑った。
私も必至だったけど・・ 回りのみんなは “煩いお母さんだな~” と思いつつも 必至で動いてくれていたのだろう・・ だから Lokunが生まれて みんなもホッとして 嬉しかった 一瞬だったのかもしれない。
日本のそこ頃の病院では 赤ちゃんが生まれても すぐには 母親には見せないで すぐ産湯につかわせて・・湯上り状態で それに キッチリとおくるみに包んでから母親に見せるのだ。
はやく! はやく!・・ 見せて! と気が急いた・・・ やっと やっと見せてくれた・・ おくるみに包まれて見せてもらったLokunは 湯上りの顔をして サッパリとしていた。
しかし 医者が 産まれた所をメスでざっくりと切っていたので・・(その頃は 赤ちゃんが出やすくなる為に切開するのだ)それを縫う作業が また けっこう痛くて・・ 私が又 痛い! 痛い! と騒ぐ。 麻酔はしてあったのだろうか・・ 取りあえず お産が終わってホッとしているのに・・ またもや ザクザクと針で縫うのが 鮮明に神経に当る。
でも その医者の縫合作業中に 看護婦がLokunを私に見せてくれて 私が Lokunを見ている間は “痛い! 痛い!” と騒ぐのが止まる。 Lokunを見せ終わって 看護婦さんが Lokunを連れて行ってしまうと また 私が痛いと騒ぎ出す・・。
医者が 看護婦さんに 「赤ちゃんをお母さんに見せとけ! じゃないと うるさくて仕方がない」 と言ったら また 回りの人達が ドッと笑った。 結局 医者が縫合している間 ずっと Lokunを看護婦さんは私に見せてくれた。
夏の光のそそがれていた大きな窓の上には 丸い時計があって・・ Lokunが生まれた瞬間に思わずそれを私が見たのは 午後5時13分だった。
その日は Lokunは 沢山の他の新生児が寝かされている所に 勢揃いして寝かされていた。 次の日も 私のベッドには連れてきてもらえなかった・・。 なぜだろうか・・・? 何回も 私は Lokunが寝かされている所に ヨタヨタと 手すりをつかまりながら行って Lokunを見つめていた。
看護婦さんに いつになったら Lokunを得る事が出来るのか? と訊いても “もうすぐ” としか 言ってくれなかった・・。 今になってみたら・・ 母体はお産で疲労困憊しているから 休める為に 赤ん坊とは一緒にしないのだ・・と 言うのが 後になってわかった・・。
が! 私は 結局お産をした後の夜は一睡もできていない・・ つまり Lokunの事が気になって 気が立って 眠れないのだ。 母体は赤ん坊と一緒にすることによってしか安心できないという人もいるのだ・・と言うのを その病院は知らなかったのだろう。
やっと Lokunを私の手元も貰えるとなって・・ またもや 次の朝 ヨタヨタとしながら Lokunを受け取りに行った。 まず 私が安定する為に椅子に座らせられ・・Lokunが私の腕の中に入れられた時は なぜだか・涙がボロボロ出るばかりで・・ Lokunの顔に 私の涙が ボトボト落ちたけど・・ それでも 涙は止まらなかった。
Lokunの体は ズッシリとしていて おくるみから 私の両腕に伝わって来る 暖かいLokunの体温の感触が 今でも鮮明に残っている。 それが私のLokunに対する一番最初の印象だ。 あのおくるみから伝わる 熱いとも思えるLokunの体温の感触は 私が死ぬまで 一生強い印象となって 絶対に薄れる事もなく 続くと思う。
九州のばあちゃんが 私の横に居て・・Lokunを 触りたくてウズウズしているのがわかる。 でも 私はやっと Lokunを自分の腕の中に入れる事ができて・・誰にも渡したくない気持ちでいっぱい。
私が ボロボロと泣くばかりで 泣き続けるばかり・・なので・・・ばあちゃんは横で “落とさないで! 落とさないで!” と煩い・・。
でも 私は完全にばあちゃんを無視して ボロボロと涙ばかりこぼしていた。 長い・・長い・・Lokunとの初対面だったと思う・・。
それからも ずっと Lokunを 他の誰かが抱こうとするのが ものすごく嫌だった・・危機すら感じた。 たぶん 私は普通の人間の本能より 動物本能の方が強いのだろう・・ 人が近くに寄っただけで・・Lokunを取られるような感じがした。
京都のおばあちゃんが 私が一か月後京都に戻った時 真っ先に私の腕から Lokunをひったくるようにしてもぎ取った。 まだ首も座っていないLokunの頭が ブルブラと その時動いたのを覚えている。
その後は もっと 他の人が Lokunを触るのが嫌だったな~~・・。
Lokunは どこのどの赤ちゃんよりも ずっと目がクルッとして可愛く 美しい赤ん坊だった。 自分の子供は 親バカで どんなにブスでも可愛く見える・・と人は言うが・・ いや! そうではない・・ Lokunは正真正銘 誰が見ても どっから見ても 世界一 愛くるしい赤ちゃんであったのには間違いないと 私は今でも強く信じている。
ウソだと思ったら Lokunの赤ちゃんの頃の写真を見て欲しい。 どの写真を見ても どっからどう見たって 最高にかわいいのしかないだろうが!☆
Lokunの出生の詳細は この私しか知らない事ばかりだと思う。 ほんの少し Lokunがこの世に生まれた瞬間を書きました。
Nori ♡
2015年 7月21日 Lokunの38歳の誕生日にて