2020年5月31日日曜日

秋の日々

今日は あさから秋晴れ って事で お弁当を持って 久しぶりに New Brightonへゆく。
昔住んでいた所で なつかしい・・。
それに Hot Pool (温泉)が できたと言う事で 見学にゆく・・。
温泉と言っても自然にお湯が湧いているわけではなく 人口温泉・・。 それでも 日本の温泉と同じく 40度以上の温度であるということで 日本人の私でも 十分にあたたまる事ができる。

でも コロナのせいか 入場制限があって 今週末は予約でいっぱい・・。
また あらためて来る事にする。

空は秋晴れ!
ポテトフライを空に投げている人がいて それにめがけて カモメが飛んで来る。
そして すばやく ポテトフライをキャッチしていた・・。

これは昔の足踏みシンガーミシンである・・。

が! 今は 飲料水を出してくれる機械になっている。
写真の様にコップを置く・・・そして 右側のダイヤルの様な物を針を縫い物に下ろす要領で手前に回すと水が出て来る。
また 逆に回すと水が止まる様になっている。

これは 最近できた かなぁ〜〜り トレンディーなカフェにある代物。
他にも このカフェには 透きとおったでっかいパイプが天井に張り巡らされて そこのパイプを通して 食べ物が すごい勢いで回ってお客さんに届く様になっている。

昔 郵便局で郵便物の区分けをするのに使用された代物だとか・・。
見ているだけで面白い。

トイレのドアは 本棚が 突然開いて そこがトイレになっている。 どう見ても本棚なので なにか 秘密の空間への入り口にも思える。

他にも コーヒーカップのコーヒーを飲んでゆくと 蝿がカップの内側にへばりついている!!! と思いきや! それは 絵に書いた蝿。
かなり おもろい・・・。

クライストチャーチの街は ありとあらゆる所に ありとあらゆる物が工夫された とても興味深い物が盛りだくさんに組み込んである街になって来ているとおもう。

掃除して 掃除しても あとから あとから落ち葉が落ちて来る・・。
もう嫌になるほどだ・・。
が! 秋の真っ青な空に 澄んだ日差しに 紅葉した木々はとても美しい・・。
我が家の庭だけど・・秋そのものの 雰囲気を出してくれている。

2020年5月15日金曜日

バブルもなくなり ようやく普通の生活に戻れた。
長かった独房生活。
やっぱ 人は群れる動物なのでしょう。
以前の仲間が集まると 堰を切った様に おしゃべりと笑いが止まらない。
まるで箸が転んでも笑う年頃の様に たわいのないことに笑い転げる。
ロックダウン中は自然に寡黙だったのが 皆おしゃべりをしすぎで次の日は喉がかれる。
それにしても 仲間と過ごす時間が愛おしい。
たとえビジネスも潰れ この同士達は もうすぐ解散になるかもしれないけど。
今の楽しみを貪っている。

2020年5月8日金曜日

老いて ささやかなる贅沢

私は根っからの貧乏性であるのは間違いない・・・。

毎日 何もしないでいると・・何か生産性的な事をせねば・・と焦る・・。 金持ちになったら そんな事も考えずに 優雅に 好きな事をして過ごせるのだろうけど 貧乏性の私は 何があっても そんな事にはまずならないだろう・・。

ティッシュを使う事ができる様になったのは 最近の事だ・・。 ティッシュは日本人は湯水の如く使う。 我が家に来て 若者が 「ティッシュは?」 と私に要求することがある。

つまり ティッシュはあって当たり前という考えなのが 私としては不思議なのだ。 そして そんなに親しくなくても ティッシュを当たり前に請求するって すごく失礼な事だ・・と 私が思っても 彼らはそんな考えは毛頭ない・・。 それも 私にとっては不思議なのだ。

わざわざお金を使って ティッシュを買う事は ずっと前からしたことは無い。 街で無料で配っているティッシュが せいぜい私の人生の中でのティッシュなのだ。

地球の森や林の木々がなくなって来ているのは ティッシュと割り箸と聞いた事がある。 ティッシュはなくても 雑巾とか 手拭きとか ハンカチ 手ぬぐいのたぐいの物があれば 十分間に合う。 昔から ティッシュなんて存在してなかったのだから・・。

さすがにトイレットペーパーは使うが・・ キッチンタオルとやらも 私の人生の中ではなかった・・。 そんな無駄使いは なんか怖くてできない。

サランラップの類も不要なのだ。 タッパーがあれば ラップはいらない。 蓋をして冷蔵庫にしまう時は 皿を蓋代わりにしている。

タッパー類は レンジOK・冷凍庫OK・食器洗い機OKのを数多く もう20年以上使い続けている。 

それが・・最近 自分が老いてきたなぁ〜〜 と感じるのは ラップを使う様になった・・。 ティッシュも使う・・。 そして 洗面所でお湯も使う様になった・・。

生まれてこの方 洗面所での水は 真冬でも冷たい水だけだった。 が・・自分の家を建てて・・そこにお湯の出る洗面所を設け・・両手を熱い溜めた洗面のお湯に浸け・・・体に暖かさが染み通って来た時の感動は忘れられない・・。 

60歳を超えて やっと その贅沢を味わったのだ・・。

風呂もこの国では無いので・・・私は子供用バスタブと言うのを設置した。 縦横90cmサイズで深さは40cm程度。 到底日本の風呂の様に お湯に浸かると言うのは不可能。 しかし そんな子供サイズのバスタブでも どうにか体を曲げると ある程度お湯で体を温めるこことが可能だ・・。

お湯の光熱費を心配しながら 時々贅沢をしてそんなちっこいバスタブに湯をはる。 これも 60歳を過ぎてからの 私の贅沢になった・・。

もう一つ 老人性贅沢がある・・。若い時は ボロボロのエンジンでも どうにか若さで操っていた車。 プラグ交換をして・・ クラッチ版は擦り切れて 完全にギアを効かなくなるまで使い潰すのが 私の若い頃からの車の使い方・・。

それが 歳を取ってくると・・そう簡単に運転ができなくなる・・ って事で ややこしい追い越しも軽くできる 排気量の多く そしてターボエンジンの車。 もちろん パワステで四駆。 そして新しいから そう簡単にパンクで一人惨めに雨の夜タイヤ交換をする・・なんて必要の無い車。

だから燃費もクソ悪い。つまり ガソリン代が高くつく贅沢車に乗っている今。 

つい最近まで・・人が捨てる様な走行距離20万KM以上・・・最高速度40km・・・と言うのが 私の車だった・・。

ある時なんか 私が運転していると 必ず 「半ドアになってますよ〜!」 と他の車の人から 言われてた・・・。
「ありがとう〜!」 ととりあえずは言うが・・ 心では ”これ以上このドアは閉まらんのじゃ・・!” と言っていた。

ある時 20年以上使い古して 人が廃車するというのを貰って来た車に乗っていた。
それは どうにもこうにも進まないエンジン。 オートマなのに Driveでは車は発進できないので まず Low ギアに入れて・・ある程度速度を出してから セカンドに入れる。 それでしか車は進まないのだ。

Driveギアに入れると スピードがでないのでセカンドで吹かしまくってしかすすまないのだ・・・。

「この車オートマだと思ったけど マニュアルなんですね」と 同乗してた人に言われた事がある・・。 私は心の中で ・・”オートマだけど この車はギアチェンジしないと動かねぇ〜〜んだよ!” とさけんだ・・。

このオートマだけどギアチェンジしつつ乗ってた車に 私は”フェラーリ”と名付けた。
そんな車が私の 過去40年間使って来た車なのだ・・。 

そんな事をツラツラ想うと・・・ 今の私の車は世間では ”普通”かもしれないけど・・私にとっては とんでもなく贅沢車なのだ・・。

夢が無い・・・。

またまた つらつらと 人生を反芻する・・・。

若い頃(1970年代) 数年欧米をさまよい 私は色んな物を見聞きして来た。 そして 現実に突き当たり・・又 日本に舞い戻る事を余儀なくされた・・・。

が・・この地球上には色んな世界があって・・ やはり 福祉が整い 人は人らしく 大自然を破壊せず この地球を守りつつ・・ 人間は人間らしく生きる・・と 言う世界も存在する・・と言うのを知ってしまった。

1970年から1980年代のその頃の日本は 戦後の高度成長時代で・・とんでもない自然破壊汚染があり・・労働時間は 早朝から深夜までと言うのが普通の生活だった。

例にもれず 私もその渦に巻き込まれて行った・・・。

が 一回知ってしまった・・優雅な緑いっぱいの中で きれいな空気の中で のんびりと子供を育てている生活だって この地球上に存在するのだ。

子供を産んだばかりの私は その生活だけを夢見て 突進していた。

が・・一日の食事代100円と言う生活苦渋を強いるお給料の前夫は 色んな絵空事を言うのが好きなのだ・・。 宇宙がどうたら こうたら・・とか・・。

私は内職で腱鞘炎を患い・・お湯を出すガス湯沸し器も無い 冬には凍る程冷たい水しか使えないのに・・。

私が 「なに 訳のわからん事ばかり言ってるの? もっと現実を見て!」 と言ったら 彼から返って来た言葉が・・

「お前は 夢がないなぁ〜〜」 だった・・。

これも又 価値観やらとか 性格の不一致とかやら と 言うものなのだろうか・・?

非現実であるイコール それはモラルと倫理から離れるのでは?

前夫といる時・・・ある日 彼が出かけようとしているので 私は 「どこ行くの?」 と言うと 「勉強会」と言う・・。

私「なんの勉強?」と訊くと・・・「モラル・倫理等を学ぶ会」と言う。 インテリぶるのが好きな彼は ”俺 すごいだろ〜〜”的な顔をしてそういう・・・。

「共稼ぎしないと 到底やって行けないご時世なんだよ」 とものすごく安いお給料を取って来る彼は言う・・。 それは同意する。 だから 私も 小さい子供を抱えつつ・・死にものぐるいで フルタイム勤務をやっている。

パートではなく フルタイムなので 責任も大きく 勤務時間も長く・・ 心身ボロボロになりつつ 週末に突入する。

週末は保育園の持ち物の洗濯やら 修理やら 必要な備品購入他 家事全部が一週間分山盛り プラス 一週間分の食料・食品準備。

早朝から 夜遅くまで 座る時間も無い・・。 そんな中・・・
「あんた 無限に仕事山盛りを 私に全部押し付けて・・・”モラル・倫理”なんか学ぶサークルに行く時間あるの?! ここで 無限にある仕事をやる事が モラル・倫理にかなう行動ではないの?!」 と言ってみたが 通じない・・・。

これは 価値観の違いなのか? 性格の不一致なのか?

つらつら考えるに・・・。 子連れ論争


子連れ出勤論争が 私が東京で小さい子供を育つつ働いていた頃勃発した。 もう30年以上も前の話である。

その頃のアイドル歌手 アグネスチャンは 子連れで仕事場に行きバッシングにあって 反論する。 子供は母親のそばにいるのが一番が彼女の論。

それに反して 作家の林真理子さんは そんな甘い考えは非現実的で甘い・・・。

小さい子供を育てつつ 働いているお母さん達は こぞって アグネスチャン側についた。 それはそうだろう・・お母さん方はみんな子供を連れて出勤したいのだ。

が 私はお母さんでありながら 林真理子説に俄然加担した。 

とりあえず アグネスチャンは アイドル歌手だから いくら 絵空事を唱えたとしても それは 許されるし・・彼女の立場は 完全に非現実的なのだ。

私の様な 母親は 今でも 常に”子連れは役立たず・子連れは使いづらい” よって 社員として取りたくない・・と言う現実にさらされて生きているのだ。

絵空事を言っている場合ではないのだ・・だからこそ 現実を突いて来た 林真理子説が 私の心を打ったのだ。

今は 子連れ出勤できる会社がたくさん出てきた・・とか 男女平等雇用性とか言っているが・・ じゃ〜 子連れ母親は 今は救われたか・・? と言うと そんな簡単な問題ではないと思う。

私の今住む ニュージーランドから比べると 今の日本は そこまで 変わったか? とおもうと やはり ニュージーランドのそれとは 比べ物にならないくらい まだまだ 遅れていると思う。

日本で 男と同じお給料を得つつ 快適に小さい子供を育てているお母さんが たくさんいるだろうか・・?

人と人との調和のみ 事が成り立つ

つらつら 人生を反芻する・・ 最近 暇なせいか ぼぉ〜〜っとしていると 昔の事が 色々 蘇って来る・・。

息子が3歳になり 私は働き始める。”三つ子の魂100まで” と言うので 私は子供が3歳になるまで 貧乏に耐えに耐えてきた・・。

そして 堰を切った様に 働き始める。 保育園のすぐ道路の向かい側で募集があったので・・子供べったりだった私はすぐそこに決めた!

そこは ”開運印鑑”と称して 一人暮らしの老人相手に 数十万円もする印鑑を売りつける商売の会社。 かなり詐欺まがいの商法 しかし その頃 その会社は全国に支店を持つほど 発展していた会社だった。

そこは 小さい営業所であったが 20人ばかりのセールスマンが 毎朝営業所にやってきて ヤクザまがいの朝礼を神棚に向かってやっていた。

営業マン達は 20代から60代まで様々。 みんなよく売る人ばかりだったが・・所長と言う人は20代で ダントツに売上を上げていた。 全国でもトップクラスの売上をあげていた。

彼は 車も以前売っていたとのこと。 彼いわく 俺はなんでも売れる。 たとえゴミでも 高く売る事ができる・・・と言う。 

彼に長く接して行く内に 彼の 「ゴミでも高く売って見せる」と言う言葉は 嘘ではないと気づく。 彼には 誰でも飲み込まれてしまうのだ。

私は 人の言う事はあまり信じないタチで・・・そう簡単に人に左右はされない・・・。だけど 彼の言う事は つい信じてしまう 不思議な力が作用していた。

初めて 子供を保育園に預けて その印鑑会社で働き出した私。 そう簡単に物事は進まない。 

子供が熱を出したら トタン! 保育園は預かってくれない・・・ かと言って 仕事場で 子供が熱をだしたから 休みますと言って その都度 そうですか・・じゃ〜 すきなだけ休んでいいですよ・・と 気安く言ってくれる働き場所は 存在しない・・・。

しかし その所長は 私が 「子供が熱を出したので 休みます」 と言ったら その営業所に連れて来ていいというのだ。

どうせ 昼間は誰もいないし・・私一人だし・・ 私のデスクの周りにはたくさんスペースがあって・・大きな窓からは 太陽の光が たっぷり入って明るいし・・かなり健康的環境。

私は早速 子供の寝床を 私のデスクの横に設置・おもちゃや 子供の必要な物を全部運び込んだ。 まるで 託児所で働いている様になった。

その時点から 私は その営業所長は なぜ とんでもない売上を出すかが わかった。 彼は 客を喜ばせるすべを知っていたのだ。

多分 印鑑をその所長から買った老人は みんな幸せになっているのだろう・・。

現に その詐欺まがいの開運印鑑は 営業マンが売り契約を取ってきても 大体 クーリングオフの期間にキャンセルになるのが 常なのだ・・。

だから そう簡単に 何十万円もする印鑑を買う人はいないのだ。 その老人が「買いたい!」 と言って 買ったとしても その家族がすぐ キャンセルを言って来る。

しかし・・その所長の売上は ほとんど全部 売上の数字になるのだ。 つまり 印鑑を買ったお客さんは 開運印鑑を買って ハッピーになるから キャンセルする必要はないのだ。

やがて 私はその会社で出世したと言うか 給料がグン! とあがって 本店の方に勤務が決まった・・。 しかし その所長と離れた途端・・ すべてが チグハグになって来て その会社は 辞めた。

なに事も 人は 人にひきつけられ そこで調和と言うのが発生して やっと 事は成り立つのだなぁ〜 と その時学んだ。