2015年8月29日土曜日

中南米の旅 ペルー編


中南米の旅 パナマ・エクアドル編


中南米の旅 グアテマラ・アンティグア編


中南米の旅 メキシコ・キューバ編




空き地のカフェ

朝の散歩にも拍車がかかる・・雨でも ポンチョカッパで出かける・・。
今日の出会いは 地震跡地にできた世界一小さなカフェ。


そして 春はもうすぐそこ・・・!



我宿の深夜停電

突然深夜真っ暗! ひぇ~~!! と外を見ると 近所さん達はみんな煌々と電気が・・。 我宿だけ停電・・?

スマホで足元を照らしつつ スイッチボードへ・・・・何個もあるスイッチボードを 宿じゅうあっちへこっちへ・・とチェックし回っても・・どこも異常は見られない・・・不思議だ・・。

仕方なくいつもの電気屋さんに電話・・。 私に叩きお壊れた彼はベッドに横になりつつ私を電話からリモートコントロールで・・あっちをチェックしろ・・こっちをチェックしろ・・ そこのパネルにはなんと書いてある・・? そっちのボタンを押すと どんなメッセージがでる・・? とま~ 訳の解らん暗号を私は読みまくる。

遂に 私は 老眼鏡をかけて・・ヘッドライトを装着し・・頭でスイッチボードの蓋を抑え・・足元は踏み台がユラユラ・・・スマホをスピーカーにして電気屋に暗号をがなり続ける・・。

そのスイッチボードは 冷たいみぞれの降り続ける夜の屋外にある・・・。

暗号の様なのを叫ぶように読み続けていたら・・その電気屋は 外の電柱のヒューズが切れている・・よって 俺の仕事ではなく 電力会社に助けを呼べ!とのたまう・・。

電力会社の夜勤の人がやっと 小一時間程してやってきた・・。
猿のように 長い梯子を上ると アッと言うまに ヒューズ交換をしてくれた・・。

私の宿に電気が戻って来た時は ドッと疲れが・・・。


唐辛子と戦う!

遺伝的に胃弱・・・子供の頃から刺激物はダメ体質・・唐辛子なんてもってのほか!

カフェインもダメ 炭酸もダメ アイスもダメ ぜぇ~んぶ ダメダメ! 胃に刺激があるとすぐ胃酸過多で 胃の内壁を溶かして・・・つまり胃に激痛が走る・・。

胃カメラ・バリウムなんて 何回やった事か・・・ふぅ~~・・・。

カレー大好き! だから・・って ハウスバーモンドカレー りんごとはちみつ ”甘口!” で一生を終わりたくない・・。

アジアの唐辛子満載料理完全にダメ! で・・・一生を終わりたくない・・。

そこで あたしゃ~考えた・・。

もう過去30年間! あたしゃ~ インド人と同じカレーを自分でこしらえているわさ~~・・! 唐辛子だけ抜いて・・。 それでも インド人ばあちゃんの家庭の味カレーを作れる!

私好みのカレーは? ターメリック・カルダモン・コリアンダー・ジンジャー・ポピーシーズ・キューミン・・・と その時の気分で 色んな物を実から粉砕してカレー粉を作る・・・。

粉砕時には 部屋じゅうに インド人家庭の香が染みついてしまう程 強烈なカレー臭・・・w


そして トムヤムスープが大好き! とか言ってても 一口で火が吐ける程辛い・・・ どうにかならんのか・・?!

なる・・唐辛子を抜けばいいのだ・・ クックパットをみても 唐辛子満載の ”トムヤムペースト使用” ん~~・・・ 市販のトムヤムペースト使用不可・・・ そうなったら! そのペーストってやらを唐辛子抜きで自作しかないのだ!

でけた!膨大な量のサクラエビを投入! ココナツの香りと ライムリーフの香をブンブンさせた100%お手製トムヤムスープは 病みつきになる・・・。

ベトナム料理の生春巻きは・・毎日食べても 毎食食べても飽きない・・手軽に出来る・・。が! 問題は SweetChilli どんなに甘口でも 唐辛子・・・。 何本のチリソースを買っては捨てたことか・・。

そ~~だ~~! 自分で 唐辛子抜きのチリソースを作ればいい!
できたぜぃ!完璧! 唐辛子の変わりに赤ピーマン! 
最近は・・生春巻きを食い続ける毎日・・。

キラキラと星のように またたく友人 

20年ぶりに会う友人・・・。

最初に出会ったのは もう30年も前の事だろうか・・・?
バリバリと働くまさに! キャリアウーマン、 プログラマーで私の前に現れた・・。 

あのまま もし彼女が親の介護をしなければ・・多分 全然違った人生だっただろう・・。

大きな館の様な家を 閑静なLondon郊外に設け・・そこに 生涯愛し続けたパートナーと住み・・・ 絵を描いたり・・近くを散策したりの老後が目に見える・・。 

彼女の大好きなLondon・・、 そしてプログラマーとしての大きなJobOfferもLondonからあったあの頃・・ そして パートナーとなるべく人も・・何人か見え隠れしていた・・。

それが・・・彼女はそれらの全てをなげうって・・親の介護に・・・。 スッカリ老人化したコミュニティーに身を投じた。

自分の親の介護でありながら・・”自分の価値観”のやり方は コミュニティーが許さない・・。すべて阻まれ・・否定され・・完全なるコミュニティーの掟に閉じ込められる。

自分を殺し コミュニティーの掟に従順になるしか・・世間は手を差し伸べない・・。 許さない・・。 世間に従順になるしか親を守るすべはなかった・・。

もちろん! 彼女自身 ”介護”をしないチョイスもあった・・。 介護される親ですら・・彼女自身の道を進む事を奨励した。

しかし やはり ”介護”を選んだのも 彼女自身の決断だった。

親への”情”と言う物が 彼女をそちらの方に強く 突き動かしたのだろう・・。

そして 長い闘いと・・長い責務を終え・・大きな家に一人残る・・。 その瞬間 自分の存在の
意味が消えてしまった・・・。

きらきらとした星はいつの間にか光を失ってしまっていた・・。 

しかし・・灰の中にはまだ くすぶっていた熾火が残っていたのだろう・・ 20年後の今 ニュージーランドのクライストチャーチに舞い戻って来た彼女。

みるみる内に輝きを取り戻しているように見える。まだまだ若い! 何でもできる! 何でも観れる・・そして なんでも食べれる・・どこにでも行ける・・・!

30年前にあなたに出会った時よりも もっと! もっと! 輝くあなたになって欲しい・・☆

2015年8月26日水曜日

癒す犬


私の犬は ラブラドールで・・生後4週間から 16年の生涯を一緒に過ごした・・。

いつも私にべったりと寄り添って・・膨大な癒しをくれた・・。 ニュージーランドに移住してきて それを乗り越えられたのも その犬のおかげと言っても過言ではないかもしれない・・。

だからこそ その犬を老衰で失った時は・・もう 自分も生きて行けないかも・・・と思うくらい 心もとない自分になってしまった・・。

以来 犬はもう飼えなくなった・・。 いなくなった時の恐ろしさが忘れられないのだ・・。



警察犬や 盲導犬がハーネスを取った瞬間 飛び跳ねて ダッシュするのをみると自分も嬉しくて涙が出る・・。

検疫のビーグル犬を空港で観ると またメロメロになってしまう・・。

そして 病院の心を閉ざした人達の心を開いて行く犬達も又 私の心をとかして涙を誘う・・。

この犬(↓)の名前は ”プロフェッサー・リナ” お隣さんのドイツ人カップルの犬。
お隣さんのこの犬が時々我が家の敷地に来てくれる・・一瞬に みんなの目が和み・・・心が和み・・すべてが とけてしまうのだ・・・。

自由

みんな ”自由”と 戦いながら生きている・・。

自由の反対は戦い・・・

なのに なぜに 自由と戦うのか・・・?

でも やはり 自由を勝ち得るには 戦うしかないのだ・・。

生まれてから 64年・・・いつも いつも 自由を得る為に 戦い続けて来た 我が人生に思う・・・。

そして このモヒカンを我家のバリカンで作る・・。 まだまだ 大学をでたばかり・・ 今度大学院に・・ その前に ちょっとばかり ”自由を・・・” と言う事で・・ニュージーランドにワーキングホリデービザで一年を過ごす・・。

固い家族で育った彼・・。
ワーキングホリデーすら・・遊び半分の物なのでは・・? と言う親の懸念を蹴って・・
やっと日本脱出・・。

つい最近までは 早く日本に戻って・・大学院へ・・。と言っていた・・。

彼は親の心配を心の奥に必至に押し込める・・。 そして・・大学院を捨て・・日本を捨て・・南米永住を企んでいる・・。
モヒカンが彼の中の何かを変えてしまったようだ・・。

若者よ! 羽ばたけ!


2015年8月17日月曜日

ダメ人間

最近 私が子供の頃の時代の つまり半世紀も前の頃の刑事もんドラマを YouTubeで観た・・。

ドラマの中のあらゆる場面で・・お! 携帯電話ではなくて・・電報か~・・とビックリする・・。 そして あらゆる書類が画面に出てくるけど・・全部手書き・・その時代はワープロもなければ・・コピーもない・・ファックスだってない・・。

この瞬間は 写メでしょう! って言う時も・・スマホがあるはずもなく・・そのまま その場面が過ぎてしまう・・。

動画を今! 撮れば?! と言いたい場面も多々 刑事もんでもある・・。 あの時代 つまり 半世紀前は そんなの なぁ~~もない時代なのだ・・。

便利な時代と言ってしまえばそれまでだが・・。

私は山の中で田舎生活をしたい・・とずっと思っているが・・山の中でもネット依存症の私は サテライトネット契約をするつもりだ・・。

スマホ電話の電波が届かない所に程 ものすごくいい土地がある・・よって サテライトスマホってのもある・・。 

小学生からコンピューターを操り・・今は ありとあらゆる電子機器をなんでもこなす息子・・。 私のビジネス他 我等が個人で使うPCだろうが・・タブレットだろうが・・スマホだろうが・・それらに何が起きても 彼に泣きつけばなんとかしてくれる・・。

そんな彼が言った・・。

「この世から サテライトも無くなって・・ネットも PCも 全部無くなったら・・すごくいいと思う・・人間がもっと 賢くなって 情報だけ人間ではなく・・実体験で物を学ぶのが普通の人間でしょう・・」


ん~~・・・サテライトネットも サテライトスマホも 人間をダメにするのか~・・・?


2015年8月13日木曜日

生きる


昨夜 日本のドラマで お花の家元の後継者争いの物語を観た。 家元の親にあたる老婆のセリフ・・。

“花”は 切ってはおしまい・・自然に生えている花が一番 どんな生け花もそれにはかなわない・・。”

私も まさに! そう思う・・。

私の母親は 生け花の先生として 数十年を費やした・・その膨大な組織の流派では いつも“ネズミ講システム”が見え隠れしている。 流派の組織が大きければ大きい程・・その分 ねずみ講システムは大きく 莫大な“金” 莫大な “力”をも持つ事になる。

生け花・・とは やはり “自然”を 切り花で表した所に美しさが出てくる・・。 よって 結局は 自然に生えている花には勝っこないと思う・・。

昔・・一人暮らしをして 家じゅう悪臭が漂い・・孤独な老人死へ まっしぐらに走っていた叔母の家に私は行った。 突然 むしょうにその叔母の事が気になって ニュージーランドから飛んだ。 

その時 掃除・洗濯・買い物・風呂沸かしと バタバタしていた私の目に入ったのが 庭にあった おびただしい数の植物達・・。

叔母と同じく ほとんどが もうすぐ枯れて死んでしまいそうな物ばかり・・。 早速 砂漠で水を失った人間のようになっていた植物達に 私は溺れる程 水をかけまくっていた・・。

突然 音もなく 私の傍に寄っていた 叔母が ポツリ・・と言った・・。
“あなたのお母さんは 切り花が好きだけど・・ 私はやっぱり 根のある花だけが好きなのよ~・・。”

思えば 私も叔母とまったく同じだな~・・と実感した。 いつも いつも 根のある植物の苗を植えたり・・ 種から育てて 大きくしたり・・。

そして・・一年で枯れて死ぬ植物は どうしても嫌なのだ・・根さえあれば 永久に生き続ける植物、 多年生のが好きだ。

元夫と出会った時に ほとんど枯れて死んでいるかも・・・ と思われるような・・ 手の平に乗る小さな鉢植えの室内植物を助けたくて・・面倒をみていたら・・ 両腕で抱える程の大きい鉢植えまで育てた事がある・・。

その植物は 彼と離婚した時 小さな赤ちゃんの芽を貰って・・今もそれは生きている。 あれから もう25年くらいにもなるだろうか・・?

切って愛でる・・・と言うのは その時 どんなに美しくも・・ 数日・・いや 数週間持ったとしても・・必ず 茶色くなり・・腐って・・死ぬのを 見る事になる・・。 破棄処分が必要だ。
それを 見るのも するのも嫌なのだ・・。

私の宿の庭に立っている大木は 何回も 危機があった・・。 突風の為に幹が半分に割れ目が入った事がある・・。 木のお医者さんと言う人に診て貰ったら・・切り倒した方がいい・・もう この木はその内枯れるし・・と言われた。

でも 愛着のあるその大木を切り倒すのは どうしても受け入れられず・・違う人に診て貰った・・。 

その人は その木を救う保障は出来ないが・・とりあえず 幹を太いワーヤーで締めて置けば もしかしたら助かるかも・・・ と言ってくれた。

早速それをお願いした。 彼は太いワーヤーを その大木の上まで 持ち上げ 大きなジャッキで締めあげた。 あれから もう10年は経っていると思う。

3階建ての我宿の屋根を優に超えるその大木は 今もなお 悠々と そして 美しく立っている・・。

2015年8月10日月曜日

ミシンと共に・・・


私が物心ついた時に 我が家にあったミシンは アメリカから親戚が持ってきた Singerの手回しミシンだった・・。それは 私の父親が子供の頃にはあったと言うから・・ 今から 100年近く前に 我が家にはあった事になる・・。

そして そのミシンは今も 私の実家にある・・・。
先日 実家(日本の鹿児島)にいる時に・・どうしてもミシンが使いたくて 使ってみたが・・・糸の調整がどうしても出来ない・・。

多分修理の人も 今は存在しないだろう・・・。部品はモチロン 存在しないと思う・・・。
ベルト類ももう 完全にすり切れて やっとつながっていると言う状態だ・・。

しかし 私がニュージーランドに来たばかりにガレージセールで 買ったミシンが その Singerミシン全く同じ形なのだ。

違うのは 実家のは手回しで動くが・・これは電動で動く。 だから これでも相当新しい方なのかもしれない・・。

これは 完璧に良い状態だ。 先日縫ってみたが・・音も快調! 縫い目も快調! 部品も全部新しい程だ・・。



日本でド貧民時代に 私は 粗大ごみの中から ミシンを拾った・・。 35年ぐらい前の話だ・・。 そのミシン・・見た目はちゃんとしているが・・ 全然ちゃんと縫えない・・。
仕方がないので・・ミシン屋さんに電話して修理に来て貰った・・。

ま~ 安くで修理できたら ダメ元で・・と言う事で 拾ったミシンだし・・と思っていたら・・ちょっと調整しただけで すぐ新品の様に動き出した・・・。
そのミシンは それから10年は使った・・。

その後は ブラザーミシンの安いのを買ったり・・・ 蛇の目ミシンの高いのを買ったり・・ と 宿の寝具やシーツ類を 工場の作業のように縫いまくった・・。

もちろん! 雑巾やら 手作りバスマットや 手拭きタオル・・等膨大な量も作った。

他にも ダンスのドレスを縫ったり・・寝間着を縫ったり・・・古着を安くで買ってきて手直しして着たりと・・ミシンは常にフル回転していた・・。

その内 宿のスタッフ用制服も 自分で 自分のデザインしたロゴを刺繍して縫いたい・・と思ったり・・ 自分のデザインの刺繍もしてみたい・・と思っていた・・。

既成のデザインを刺繍できるミシンはいくらでも手が届く値段である・・が・・自分独自のデザインを そのまま そのデザインを ミシンで刺繍出来るミシンは 100万円ぐらい出さないとない・・。

と 言う事で 泣く泣く・・諦めていた・・。

が! 先日このミシンに出会う・・。スイスのけっこう世界では有名なミシンであるらしい・・。
このBerninaは 自分のデザインした刺繍をしてくれるミシン。 そして 100万円もしない・・。

ま~ 普通のミシンよりはけっこう高いけど・・。

そして又・・鞄・バッグフェチの私は いつも自分のデザインのバッグが欲しいと思い続けていた・・。

そして このBerninaは それもできるのだ・・。なんせ デニム6枚重ねても縫えると言う強者!なのに! シュホンのような繊細で薄いシルクだって きれいに縫える・・。

ま~! 夢のようなミシンなのだ・・。


と 言う事で 早速 皮を買ってきて ずっと前から 欲しいと思っていた ”自分の”ポケットを作った。

私の服にはほとんどポケットが無い・・。 が・・! 私は 必ず鍵(車の鍵・宿の鍵・自宅の鍵)類は常に身に着けていないと すぐ失くす・・。 いつも探し回っている・・。

そして 携帯もすぐどこにやったか忘れる・・。 そしてトイレだろうが・・どこだろうが・・身に着けていないと すごく不便だ・・。

と 言う事で 常に身に着けていられる ダブルポケットをそのミシンで作った。

これは 今は もう 自分の体の一部となって 常にひっついている・・・。 使い勝手がものすごくいい!

その内 私の足はEEEの幅で 外反母趾で異常に骨が出っ張っているので・・柔らかい皮で包むような靴を 自作しようかな・・?

そして タブレットが入って その他のこまごましたのを常に持って歩きたい旅バッグも 又 作りたい。

と 夢がドンドン 膨れ上がって来ている・・。


2015年8月1日土曜日

私の住む地区 Linwood

いつも 散歩の行き先が決まらなかったら・・近くのショッピングセンターの中にある スーパーに行く事にする・・。スーパーなら 何かしら買わなければならないのがあるし・・。

で 私が住んでいる地区は Linwoodと言う。 私がこの国に移住した頃の 1989年では この地区は 治安の悪い地区として知られていた・・。

なんせ 私は高級住宅地では 白い目で見られ・・差別される身になるので・・ そういう地区の方が気が落ち着くのだ・・。

現に白い目で見る者もなく・・苦情を言う奴も居なくなった・・。

ジックリ落ち着いて 住み着いてみると・・いい所はたくさんある・・。 みんな カラードピープル つまり有色人種がほとんど・・。

その地区に住む人は たとえ白人であっても とてもフレンドリーだ。 外を歩くと ニッコリとして挨拶をしてくれる人が多い。

しかし・・今朝 散歩をしていたら・・色んな店を発見! ここ治安の悪い場所と言われた名残の店達をご紹介・・・。

あれ? これって・・・? もしかして・・・? マリワナ? と思ってしまった・・。 つまり 屋内で密かにガーデニングが可能・・な色んな物資を売っている・・。
これは マリワナではない・・トマトだ・・・。

が・・・! これはよく マリワナをひそかに屋内で栽培するヤカラのこの地区は多い事!

数年前も 膨大なマリワナを屋内で育てていた家に一斉にポリスの手入れが入る・・その時に警察犬が銃で撃たれ 即死。

それも長年連れ添っていたポリスのオフィサーをかばって 仕事のパートナーだったその警察犬が身代わりになって撃たれたのだ・・。

ニュージーランドじゅう 大きなニュースになって その回りは大量のポリスカーと 大人数の報道陣で埋まって大変な事になっていた・・。

と 言う事で・・これは 屋内植物栽培をやる為のお店。


ここに 自分の持ち物を持って行くとお金で買ってくれる・・。 ま~いわば質屋みたいなもんだ・・。

お金を貸してくれる所・・つまり 高い利子で・・・サラ金みたいな所。

ビールとかお酒類を自分で醸造する道具等を売っている・・。 この国はある一定の条件を満たせば合法に酒が造れる・・。 買うより安くで酒が造れる・・。

左手の店は完全なる質屋。 そして右のが酒屋・・。

アル中や麻薬中毒者が今でもたくさんいる。 しかし 政府はそういう人を助けるべく色んな手を指し述べている・・。

ドラッグストアー つまり薬屋さんの隅に小さな窓口があるが・・そこには 開店と同時にたくさんの怪しいヤカラが並び・・ドアが開くと・・どんどん その窓口に一人づつ並び・・何かを一口に飲んでいる。

みんな顔なじみって感じで 薬屋さんとのやり取りも和やかなもんだ・・。 一人に 5秒もあれば 事が済む・・。

それは 開店時だけではなく・・ 色んな時間にも 人がその小さな窓口に行って・・何かを飲んでいる。

つまり 酒や麻薬の依存症の人が 禁断症状を抑える薬を飲んでいるのだ・・それを医者が処方された通りに続けてやる事で・・依存症から立ち直れるのだ・・。

そんなのは 高級住宅地では見ることはできない・・。


さて うって変わって・・ここは お高くとまった高級住宅地に住むヤカラだけが来る こじゃれたカフェレストラン。 なんと そんなのが このLinwood地区に忽然と現れたのだ・・。

これが出て来た時は 色んな高級グラビア雑誌とかにも紹介され・・色んなメディアでもニュースになった。

貧民の住む地区に こんなカフェレストランを建てる・・と言うのでも有名になり・・ そして・・ここは ずっとその人気度は保っている。

値段も 質も 何もかもが こじゃれた高級カフェレストランレベルなので・・Linwood地区の人間はここには入らない。 来る客はやはり 車で この地区の反対側に住む 金持ち人間がやって来る。


なめたら いかんぜよ!

私がこの国に移住した頃の 1989年。 東京のニュージーランド大使館で奨励された住む地区は 高級住宅地。 そこなら安全で ステキな地区ですよ~~ と言われた。

よって その高級住宅地にまず第一番目の家を購入・・・。 だが住み心地は悪かった・・。 お高くとまったヤカラが白い目で見る・・。

何も悪い事をしていないのに市役所に 家から変な臭いがする・・とか 犬を放し飼いにしている・・とか・・近所の人達が 苦情を申し立てる・・その度に私の家に 市役所職員が来て 敷地内を徹底的に調査する・・。

結果は いつも まったく問題はない・・となる・・。 非常に嫌な思いを何回もさせられた。 調査に来た職員に 私は文句を言った事がある・・ いつも いつも 悪市民扱いをされて・・すごく気分が悪いんですけど・・ どうにかならないんですか?とか・・ これって人種差別ではないですか? とか・・。

ある日・・・我が家の木の枝が隣人の敷地に出ているから切っていいか? と言うから どうぞと言った。普通は塀から出ている部分しか切ってはいけない事になっている。 その時も その枝が出ている部分を指して 隣のおっちゃんは言っていたし・・。

隣に出ている部分だけは 法的に切る権利があるから・・。 しかし 私の敷地内にある木の部分は私の私有財産であるので 手を付けてはいけないのだ・・。 

ほんの少し枝の先が出ていただけなのに・・次の朝になってその木を見たら・・全部の枝が取られて 完全なマルタになっていた・・。

つまり 葉っぱをゼロにしたから その木は必ず枯れる・・・・つまり その隣人はその木を切り倒したかったのだ・・。

そこで 文句を言っても 木が生き返る訳でもなく・・私は泣き寝入りした・・。

もし 今 そんな事が起きたら・・徹底的に訴訟を起こして 絶対に圧勝できる自信がある・・。 
私は 力をつける為により良い つまり私と気が合う・・そして 実力のある弁護士に ドンドン乗り換えて来た。

今の弁護士は友人の様に話が出来る。 それもツーカーに話が通じる・・そして 弁護士の個人使用の携帯番号に電話もできて・・いつも電話に出てくれる・・。

その弁護士がやってくれた・・最近の仕事も 4年間相手(私の宿の改造をやったビルダー)を完全に痛めつけ 結果圧勝した。 私は その間 まったく持って何もする必要はなかった・・。

ただただ いかに相手が私の事をなめていたか・・私がいかに憤慨しているか・・を私の弁護士に話すだけでよかった。

相手をギャフンと言わせてくれればそれでよかった・・。 そして弁護士は 4年間かけて痛めつけ そいつが どんなに浅はかな態度であったかを知らしめてくれた。

これで あいつは一生 アジア人女をバカにした態度はしないと思う・・。