2021年3月27日土曜日

Wellingtonに到着! ”Cuba Duba”のお祭り騒ぎ

Wellingtonに到着してホテルに到着!
我らのホテルは フェリー乗り場からすぐ近く
ってことは 市の中心部で 街のど真ん中・・。
窓から見えるのは 美しい 歴史的な建物・・。
我らのクライストチャーチでの田舎生活と 全く違って・・なんだかお上りさんになった気分。

これもホテルから見える長め
やっぱ 都会はすごい!
と久しぶりの都会に興奮気味・・。

Wellingtonの街は 今日と明日は ”Cuba Duba"と言うお祭りで 街中が 賑わっている・・。
なんだか 我らを歓迎してくれているようで・・ ウキウキして来る。
太鼓と言う太鼓が 街中に繰り出して・・どこもかしこも太鼓の音で賑わっている。
これは 日本の太鼓で・・我らは日本の太鼓グループに浮かれて ついて行った。

Wellingtonの街には こんな銅像があちこちにある。
犬を連れて散歩している紳士。
Rogerは知らない紳士に馴れ馴れしくしている・・。

Wellingtonの街はやはり歴史があり・・とても美しい古い建物がたくさんある・・。
そして それらは 建物の名前こそ変わってないが・・中身は別の用途で使われている。
これは カフェ・レストランとして 使われている。

我らのホテルのビルは 重々しい 100年ぐらい前の建物で 昔は有名な保険会社の建物として 建てられていて・・建物の名前も その保険会社のマークが入っていて・・エレベーターのドアも あちこちに その保険会社のマークが彫り込んである・・。
が 用途は完全ホテルなのだ・・。

美しい教会もあちこちにそびえている・・。

今日の ”Cuba Duba”の祭りは ダウンタウンに集中していて・・ファンキーな絵の描いてある建物等がたくさんある。

この家にも ファンキーなペイントがほどこされ・・ その前で ドラムの音に合わせてたくさんの人が踊っている。

ファンキーなのは ペイントだけではなく この男性もファンキーファッション
なんか似合っているから不思議。

道はどこもかしこも踊りまくっている人で埋まり ドラムは響き渡り・・。
それをのんびりと眺めつつ 酒を飲んでる人がいる。
私が 見上げたら ピースサインをしてくれたので思わずシャッターを切った。

満員電車の如く人に揉まれながら みんな祭りの出店で食べ物を買い 食べながら歩いている。
私とRogerも 何を食う!? あれ!? これ?! と見て回って 決めたのが やっぱ Seafood.
生牡蠣、エビのBBQ、魚の塩焼き、マッスルのBBQ と よだれが出る! 出る!
またもや二人で争って アッという間に食った・・。
その後 バターチョコレートと言うアイスと ブラウニーと言うアイスのダブルを二人で買食いした・・。

そしたら タイの春巻きの様な揚げ物がうまそうなので それを4本ゲット・・それもサクサクして中身はジューシーでとてもうまかった。

トドメで カフェに入り・・チョコがびっしりと入った チョコレートケーキを食らい カフェラテを飲み 腹の皮がビンビンに突っ張り・・それを抱えてホテルにたどり着いた。



 

ニュージーランドの南島から北島へ

Pictton ニュージーランドの南島から北島へ行くには 大きなFerryに乗って行かなければいけない。
今回は自分の車で おっちらと北島に赴いた。
久しぶりのFerryの船で ちょっと興奮!

これはPictonの港で 昔(100年ぐらい前)迄は たくさんのクジラを獲って居た頃の 結婚式の写真

 

Pictonはあくまでも晴れ渡り 真っ青の空に真っ青の海


クジラを獲っていた頃のときの クジラのしゃれこうべ

100年ぐらい前のPicton港
その頃も 今の様にとても賑わっていた・・。
その頃はクジラの漁で賑わっていたが・・今は 観光の港として賑わっている。

歴史のあるソテツの木
とてもきれいに手入れをされていて・・なんだか 宮崎の日南海岸を想わせる。

蒸気機関車の車輪に板をつけて ベンチになっている。 ちょっと狭いベンチだが・・車輪がとてもがっしりとして かっこいい。

この辺り一帯はぶどうの木の畑でびっしり!
車で走っても走っても ぶどう畑・・。
つまりここは ワインの産地でもあるのだ・・。
このへんのワインは ニュージーランド中だけではなく 世界中にも 輸出されている有名なワインの産地でもあるのだ・・。

向こうの山のふもとに見えるでっかい船が 我らが乗った南島から北島へ移動した船。

船の中で8歳ぐらいのガキンチョがたくさんいて・・多分学校の旅行だと思うけど・・。
一人の男の子がフライドポテトを買ってやおら トマトソースをかけて食べようとしていたんだけど・・ そのトマトソースの小さな入れ物に穴が開かずに いくらぎゅうぎゅう押しても パキッと穴が開いて ソースが出て来ないのだ。
その子のやり方で普通は かんたんに出て来るのだが・・彼が必死にやっても出て来ない。
かれは もう やけくそになって そのソースの容器をひねったり 引っ張ったりして・・。
それでも 出て来ない。なんかもう泣きそうになって来ている・・。

他の子が プラスティックのナイフを持って来て その入れ物に思いっきり突き刺したが・・ナイフが パキンと割れてしまった だけで ソースの穴は依然として開いてくれない。
その瞬間 ソースを出そうと頑張っていた男の子は この世の終わりのごとく すべての希望を失って テーブルに突っ伏して 泣き始めたのだ・・。

それを見ていた私は 自分の今まで使っていた 果物ナイフを持って 立ち上がった!
私のナイフでそのソースの穴をあけなければ!!
私は その男の子の絶望感で泣いてしまった気持ちが痛いほどわかった・・。

ちょっと私のナイフの先でつついたら ソースがほとばしり・・
その子にSqueezeするように促したら・・
気持ちがいいほど ソースが出て来て・・
その男の子の顔はまだ涙にまみれていたが・・みるみる内に大きな笑顔がほころんだ・・。

あぁ〜 よかった! 私も嬉しかった。

南島から北島へ移るべく 車で北へ 北へと クライストチャーチから進むと Kaikouraを通る。
ここを通るなら 絶対 クレイフィッシュをたべなければいけない! 必ず!
と言う訳で それと いつもの ブラフオイスターも! そして 刺し身として最高のクロダイのフィレをゲット。
近くのスーパーで Yamasa醤油とわさびをゲット。
これで完璧!
そえもんは 私の畑でとれたプチトマト 等・・・。
Rogerと二人で よ〜いドン! と掛け声こそかけなかったが・・・なんだか争う様に アッという間に食い尽くした。

2021年3月21日日曜日

Thank you Haydon


 Fresh spring onion must be miso soup for Japanese people.

I just discovered the spring onion inside of bushy grass which you rescued when you were making the deck for my hutt in Coalgate.

I really appreciate you every time I pick fresh spring onion.

これは今朝 味噌汁を飲む前に まだ あの ネギは生きてるかな?

と思って 外の草がうっそうとしている所にをかき分け かき分け はっけ〜ん したネギ。

もう 5年ぐらい前 田舎の私の小屋を建てる時に 枯れかかって 死にそうになっているのを 救助して 植え替えてくれたのが ヘイドン。

草に紛れて いたこのネギを よく見つけたもんだ!

と私はびっくり。

素晴らしいデッキを小屋の前に作ってくれたヘイドン。

で、、、私は あれ? 私が植えてたネギは? と思ったが ま〜 デッキの下になったかな、、と忘れていた。

が! かなり後で すくすくと育っているネギちゃんを小屋の横に発見。

ヘイドンが植え替えてくれたとの事。

小屋で 味噌汁を飲む度に ヘイドンに感謝。

土は食のめぐみを与えてくれる

私の田舎の土地で草刈りをしていた。

石ころを集めていた箇所もうっそうと草が生えている。

その中にじゃがいもの葉が見える。 その葉を引っ張るとすぐ切れる。

根の方は 僅かな土と石やらレンガやらが折り重なって居て見えない。

よって それらの石やレンガを一つ一つよけてゆくと 奥の方に じゃがいもらしきものが手に触る。

そんな作業を根気よく続けていたら このじゃがいもの収穫。

今夜は 腹がくちくなるほど新鮮なじゃがいもが食えるぞ!

土さえあれば 飢えることはないと つくづく思う。

 

2021年3月11日木曜日

Seefoodレストラン

Nelsonにあった Seafoodのレストラン。
壁の絵が美しい。

ブラフオイスターは世界一おいしいといわれている。
最初はそうか~~?
と思っていた。 どこの牡蠣でもその土地の人はその土地の牡蠣が世界一ときめつけるのが常。

しかし・・やっぱ 私は毎年このブラフオイスターの時期になると・・世界一だぁ~~ と思わずにはいられない。

日本食レストランに行かなくても このSeefoodレストランに行けば 生の魚がたくさん食べれる。 セビッチェ(南米のお刺身マリネ)も最高!


レストランの外にもテーブルがたくさん出ていて 外でも食事ができる。
夕方になると ちょっと寒くなる・・。
その時にショールにしたり ひざ掛けにしたりするために このレストランはたくさんお客さんの為に用意してくれているのだ・・。

 

Nelsonのは意外に歴史のある美しい街だった

Nelsonの町って ニュージーランドの南島の一番上にある小さな町。
小さいが 意外にも歴史のある町で 街並みは美しい。

古い美しい建物。ここはわれ等が食べた所のレストラン。

街灯にツルが目いっぱい絡まっている。
それでもいいのだ・・。

Nelsonには美しい古い教会がたくさんある。
クライストチャーチにも 大地震の前にはこんなのがたくさんあったのに・・全部壊れた・・。

教会の中。
シン!として 中に入った途端! 神様がいる気配がする。
外の喧騒もすべて消えている・・。

教会の昔の写真

教会のパイプオルガンのパイプ。
どんな音がするのだろうか・・? と思いながら 上をあおいだ・・。

外からの光が醸し出すきれいなステンドグラス。


 

ぶどうの様にぶら下がっているのはガラス細工。
小さなガラス細工屋さんの看板にもなっている大きなガラスのぶどう。



100年以上も前のNelson

非日常を楽しむ

コロナで海外旅行はできない・・せめて 国内旅行を・・。
ちっこい飛行機でも なんか海外旅行気分満点!

ほんの45分の飛行でNelson空港に到着!
ちっこい空港に着いたとたん! 目にはいったのが このビンビカ車。
日頃こんな車 見たこともない・・。
やっぱ 非日常から離れると・・いろんな事が目前にある。



われ等が泊まったバッパの庭には ブドウの房がいっぱい!
それも 塀中に張り巡らされたブドウのつる。 そして そこにビッシリとぶどうがなっている。 そして それらは 甘い! そこを通る度に腹いっぱい ぶどうを食べた。


 

Kiwi Houseはやってよかった!

Kiwi Houseはとうとう クローズに追い込まれました。
コロナで世界中からきていた若者が 国閉鎖で来なくなって・・
これも ま~ 仕方のない事。
運命なら仕方ない。

でも たくさんのお客さん 素敵なカードを われらに送ってくれました。

私達 Kiwi Houseスタッフは 最高のスタッフだったと 私は信じます。
だって お客さんが そういってくれてるし・・
いつも われらスタッフ 最強だよね!
こんな団結力の強いメンバーって そう簡単にあつまらないよね! 
とはいつも言ってたし・・。

長期滞在型バッパってのもあって・・何か月も 時には何年もKiwi Houseに住む人達がいた。
そして そんな人たちは Kiwi Houseを自宅として 住んでいた。

朝 行ってらっしゃい 行ってきま~す!
夕方 ただいま~ お帰り~
の挨拶は どんな国の人でも 日本語で挨拶するのが Kiwi Houseでは定番!
自然にそうなった・・。

彼等は 今 みんな自国に戻ってしまったけど・・Kiwi Houseでの生活は人生の内でも忘れえぬ経験だったと 私は思う。
だって Kiwi House閉館のお知らせを Facebookで伝えたとたん! 世界中からショックだ!
とか Kiwi Houseでの生活は絶対忘れない・・とかのメッセージをたくさんいただいて・・
私も あぁ~ Kiwi Houseをやって私の人生はあったのだ・・と思えた。
生きてきてよかった!
とさえ思えた・・。







2015年 1月 26日 私が中庭にコンクリートを新しく敷いた際・・ コンクリートが固まる前に書いた文字。
自転車を置く鉄の棒にあざまれて・・・よく読めないけど・・多分 他人の物になった今も ずっと これは残ると思う。

又 数年後 まだあるか 忍び込んでチェックしてみよぉ~っと!

 

2021年3月10日水曜日

偏見

 人種差別は今でも 歴然と 世界中に存在する。

ずっと 過去 50年あまり 白人の多いところに 自分の身を置く事になって・・でも・・私の感じるこの差別感は 自分の僻みだろう・・と思うことにして・・ 前向きにしか考えないように 努めてきた。

しかし 偽善も含めて 歴然と存在することは否めない・・半世紀を経て そう思わずにはいられない。

安宿を経営して来て30年以上 その中で 私の安宿は どんなに 有色人種の拠り所となった事か! もちろん 白人でもたくさんの方が 利用して下さり・・多くの有色人種の中でも 楽しく過ごした方もいた。

Booking.comのスタッフの方が 常々 私の宿は有色人種が気軽に泊まれる宿と言う特色があるので そのユニークさで 行くことが 宿を続ける意味だろう・・とおっしゃいました。

もちろん いわれるまでもなく それを意識していた私だ。 

世界を旅する私は 高級宿はもちろん 若者の集まる バックパッカーと言う宿でも 白人が我が物顔で どうしても有色人種の肩身を狭めて ひっそりとしているのに気づかない訳には行かない。

私が車を買うのにも 金の臭いをプンプンさせると スムーズに行く・・と どんなに人にアドバイスされた事か! 

私が空港チェックインカウンター イミグレーションで どんなにか犯罪者扱いをされた事か!

私は過去50年の間に 差別する人を瞬時に嗅ぎ分ける技を身につけた。会って解るだけではなく 電話の応対も瞬時に感じる事ができる。

私は ずっとそれを自分の僻み根性だ・・と 自分に言い続けてきたが・・もうこの年になって・・ 半世紀もこれを経験し・・半世紀の間 自分と同じ臭いを嗅いで来た 有色人種の友人達からも 私と同じセンサーを持ち合わせているのも 知った。

どんなに周りが・・高い買い物をする時は金持ちのフリをしなければ 相手にされないのは確かでしょ? 嫌な目にあいたくないなら 金持ちの服装をして 高級なものを身につければいいでしょう! と 言われ続けてきたが・・ 私はそうする気にはならなかった。

と言うのも 半世紀の間・・素の自分を出しても ”同等の人間として”扱う人間もいると言うのも 体験してきたからだ。

でも そんな人は 何千人に一人ぐらいかもしれない。

私のそんな人を見分ける ソートアウトのセンサーは 只々 素の自分をさらけ出す事だ。 

昨日 今まで買おうとしていた不動産についていた買い手が購入を諦めたと 不動産屋が私に言って来た。 というのも その不動産屋の白人女が 最初から私を見るなり 鼻で笑っていた。 つまり あんたに買えるの?的態度。 

その不動産を買うのは私なのに・・私の横の夫(白人)にドンドン話しかけて 詳しい情報もドンドン夫に提供して来るその不動産屋。

その不動産にオファーを出した買い手が買えなかったた為 次に可能性のある私に連絡をして来た。 が あくまでも 上から目線で ”あんた 何がわかって この不動産を買えるの?” 的言い方。

EQCで揉めて 家の保険が取れなくなって・・とま〜 不動産屋は 完全に売れなくなった物件を抱えて 私に説明をするが・・私の脳みそでは何も理解できないだろう・・的な物言いをする。

私が ”うるせぇ〜〜 売れない物件なら 私が買う!” と徹底的に言葉は最高ポライトにして だが 声は大きく 威圧的ないい方で・・ケツをまくる私。 ”とりあえず その物件情報を提供しろ” と言うと そのおばさん不動産屋は 突然平身低頭になった。

瞬時に上下の位置が逆さになった。こんな輩は巷にゴマンといる。 ここニュージーランドで私はそんな輩とやりあって来て30年。

また 別の不動産だが・・私が買うと決意した物件の不動産屋にアプローチしていたら・・どういう訳か私の夫が弁護士だと言うのを嗅ぎつけて・・直接夫に話をしにいった不動産屋がいた。

その不動産屋は 私では話はできないと踏んで 弁護士の夫のオフィスに押しかけて行ったらしい・・。 夫は 妻の買い物だから妻と直接話をしろと その不動産屋を追い返した・・。

私は車や 不動産の購入には ケツをまくらないと 相手にされないのが常。最初から優しくポライトに接するとまるっきり相手にされない。

高級レストランでも 私の発言権はない。 夫に全てのサービスが移行し・・私の発言は完全に無視される。 だから 高級レストランには行きたくない。 ケツをまくってまで 食事をしたいとは思わない。

南米で肉体労働をしているのは 殆ど肌の黒い人。 黄色だろうと・・茶色だろうと 真っ黒だろうと・・大体有色人種が そんな仕事をしている。

マネージャーとか その店 会社のオーナーは殆ど白人。 スペインから移住して来て 南米を牛耳り 現地人を使って やってきた歴史が歴然と見て取れる。

南米を7ヶ月旅行して また?! ここも?! ってな具合に 身体を使っての労働が有色人種の図は普通なのだ。

トンガ、スリランカ、等 貧しい国の宿のオーナーは 白人の住む世界の大都市に住み・・ネットで 現地の宿をコントロールしている・・。 何回か私はオーナーと電話をすると その国ではなく別の国に住んでいて・・ 現地の様子は全然把握していない。 

話にならないくらい ずさんな宿経営で 文句を言おうにも 相手が他国にいて 何も把握していないのでは・・と諦めるしかない・・。

私の宿に泊まろうとしている白人が オーナーをだせ! と文句をいい 私が出てくると・・オーナーだよ!! と食らいつく・・。 オーナーは男で白人でなければならないと言う頭の人が多い。

私の夫が 私の宿のレセプション辺りでウロウロしていると 全員客は 彼がオーナーと納得する。

先日ネルソンに旅して・・バックパッカーに泊まっていたら・・ リビングにズカズカ入って来た 白人ポリス。 キョロキョロしていたが・・ 他に何人も人が居たにも関わらず 夫に向かって ”あんたがここのオーナーか?” と そのポリスは言う。

人は人を見た目で判断するのは知っている・・が! 私が言いたいのは 見た目で判断する前に 自分の偏見にもう一回目を向けて・・考え直す必要があるのではないか? と思わずには居られない・・。