2021年7月3日土曜日

人種差別 パート4

 Londonに到着するまでの3ヵ月間は 私はあまり知らない アメリカ人の家族のベビーシッターとして過ごした。

東京で一緒に住んでいた・・アメリカ大使館員の家族があまりにも いい人で・・私はただのベビーシッターとして そこに住みだしたのに・・私を彼等の仲のいい友達として扱ってくれた・・。

何十年後 ツラツラ考えていたら・・ その家族も ジューイッシュだった。 私を高く評価して 尊重してくれる人達は 全て! ジューイッシュなのだ! と言うのに気がついた。

その家族が紹介してくれた 別のアメリカ人について 私はLondonに渡った・・。 が そのLondonに到着するまでの三ヶ月は 私の一生の内で 最悪のでき事だったとも言えるかもしれない。

つまり そのベビーシッターをしていた家族の奥さんは 私を奴隷の様に扱い・・人を人としては扱ってくれなかった。 私はまるで家畜だった。 寝るのも そのへんで仮眠を取って生きながらえた・・といった具合だ。

何かにつけ バカだのアホだのと言われ続けて・・その内精神も病んでいたのだろう・・・なんでもないのに・・いつも涙が出て仕方がなかった・・。

Londonに着いても奴隷生活は止まらず・・でも何かの拍子に私はそこから逃げ出す計画を立てる。 そこの奥さんは ”どうせ一人じゃ〜何もできないのだから そのへんで野たれ死にするのがおちだ”と悪態をついた。

今でいう KARENと言うヤカラに 私はすでに ものすごく多く出会っているのだ。とりあえず 見た目 様相で私を判断し・・”能無し” ”あやしい” ”悪い事するだろう” ”要するにここから去れ” 的扱いは 日常茶飯事。 

が その時は私は 野垂れ死にの方が今よりまし・・というのを強く感じていたので・・その家を出るのは 怖くも何もなかった。 ゾンビの様にして 辿りついたのが 治安の悪い地区。 そこで ビザも切れ 浮浪者と化した汚い日本人女性と出会う。

その人との出会いによって 私は”生きる”決心をする。 負けてはいけないのだ。 どんなに踏まれても 自分をちゃんと持って生きねば・・あの浮浪者体の女性になってはいけないのだ・・とあせった。

それからが 私のLondon生活の始まりなのだ。

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