2021年7月12日月曜日

”小唄寿司”駅弁


これは 青森県の駅弁 もとは八戸からなんだろうけど・・ 私は これを 52年前に売っていた。

この写真は ネットで 今ゲットしたのだけど・・そして この写真の駅弁は50周年記念の物らしい・・。

しかし 私が18歳の頃 つまり52年前にはこれはすでに存在していたのだ・・。つまり この弁当は 50年以上前から存在していた事になる・・。

なぜに 今 急にこの弁当の事を思い出したかと言うと この弁当とすごく似ている味の飯を私は今食っているからだ・。

私はしめ鯖が大好きで・・それと似た魚の塩漬けをいつもここニュージーランドのクライストチャーチの家の傍のスーパーで買う。 そして それを少し塩抜きして 甘酢に漬けておくと しめ鯖とすごく良く似た味がするのだ・・。

よって 酢飯にこれを乗っけて食べると 日本にある 鯖寿司の様な味がする・・。

が・・・ヒョイ!と今 記憶が蘇り・・・そういえば・・なんか・・・私が 18歳の時 特急に乗って弁当売りをして いた頃に・・食った弁当の味にそっくり!なのだ・・。

”小唄寿司”と言う弁当の名前がなかなか出て来ず・・・色んな そんな様な音の弁当を検索してやっとヒットした・・。

が・・なぁ〜〜んか 見た目がちょっと違う・・でも その時の弁当とは見かけがちがう・・。

それでもしつこく検索をづつけていると・・あった〜〜!!!! これだ!! 
つまり 50周年記念の弁当として写真が載っていた。

そうなんです・・この弁当です!! 私が食ったのは・・。

売り物の弁当をなぜに私は食っていたか・・?それには訳が・・。

私は寿司が大好き! それも鯖寿司が特に好き! 昔から好きだったのだろう・・今思えば・・。
この売り物の寿司をどうしても・・自腹を切っても食いたい! と思い続けて 弁当売りを特急列車の中でやっていた。

盛岡駅の近くに汚い掘立て小屋的家があり・・そこに何個も二段ベッドがあり・・今で言う3流バッパって言う感じ・・。

早朝 4時 3時には起き出し・・身支度をしてすぐ近くの盛岡駅に駆けつけ・・弁当をしこたま特急列車に積み込む。 なんせ 特急なので そんなに長くは停車していない。 

私の販売区間は仙台から青森までを行き来してうりまくる。

いつも二人組で弁当売りをする。 私と組んだ人はベテランの背はちっこいが なかなか怖そうな 中年に手が届く女。 だが独身。 笑った事は一切ない。 いつも 腹の中で私に怒っているのだ・・と私は思っていた・・。

まぁ〜 それも仕方が無い・・だって そのおばさんベテランだし・・なんでもかんでも テキパキ! 私なんか 自分でも ウスノロで バカっぽく感じる程 そのベテランおばさんの働き具合は すごかった!

そのおばさんに 私は徹底的にトレーニングされた。 何を言われても 私は はい! はい! と 冬でも汗だくになって 働いた。 時には 私はおばさんの邪魔になって なんの助っ人にもならない存在かも・・? と思われる程・・私は 自分で駄目人間に思われた。

でも その時の私には 何も他にできる事は無く・・ひたすら弁当売りの仕事にしがみ付いていた。 ここで 放り出されたら 私の生きる術は閉ざされる・・その必死の思いで おばさんにしがみ付いていたのだ。

おばさんは ビシバシと私に仕事を言いまくってはいたが・・絶対に怒鳴ったり 私自身の人間性を汚す言葉はいわなかった。 ただただ 私が仕事ができる様になって欲しい・・と言う気持ちからくる言葉だけだった・・。

超満員になると列車の通路にカートを押してゆく事なんて絶対に無理! なので・・私は今日は売れないなぁ〜〜〜と思っていたら・・ 彼女は ”売るよ!”と息巻く。

私は ”どうやって?!”と言いたかったが そんな事言ったら どやされるかも・・・? と思って言わなかった。
彼女はやおら弁当を片手に5個ぐらい・・ワッシと腕に抱え込む。 そして 私に”着いておいで!” と言う。 私は 慌てて”はいっ!” といいつつ 彼女と同じ様に片腕で弁当を持つ・・。

彼女は 満員電車の隙間も一切ない状態なのに・・お客さんに ”すみません お弁当いかがですか〜!” と怒鳴りつつ少し進むのだ・・。

驚いたことに その身動きもできない状態でも弁当はうれるのだ!! 
空いた方の腕でエプロンのポケットに売り代金をねじ込み お釣りを素早く出して売るのだ。

あっという間に5個の弁当は売れ・・すぐにまた 人を押しのけ 押しのけしつつ 弁当が積んである所に戻り・・また 奥へ奥へと売りだす・・・ 私は 慌てて彼女に着いて行こうとするが・・そう簡単に 彼女の様に強引に客の体の隙間に入り込む事はできない。

私はもう泣きそうになって 弁当を持っているだけしか 脳が無いのだ・・。
そうやって 彼女は いつもの様に完売するのだ。

その時程 私は彼女を尊敬した事は無い・・。

色んな事が勃発すればするほど 私の彼女に対する尊敬度は高まって行った。 彼女は弁当売りのプロ級のプロなのだ! 誰にも負けてはいない。 仕事の成績も抜群だった。

ある日 その”小唄寿司”を売る日・・この弁当はいつも大人気で絶対に売れ残らない弁当・・だから今でも存在するのだろうけど・・。

売れ残った弁当は 売り子は食ってもいい事になっているので・・だから あまりうまくもない弁当が売れ残り・・それを いつも食っていた。

が・・その日彼女は まだ 売り始めてもいない”小唄寿司”を2つ避けて・・他を売った。 そして伝票に2つ売れ残った・・と言う伝票をこしらえた。

私・・”えっ!?”と思ったが 先輩のする事に口出しなんぞ 口が避けてもできない・・。

仕事が終わって クタクタになって 腹ペコになって・・やっと 一休み・・と言う時に 彼女はやおら 先程の2つの弁当を出して・・一つ私に差し出す。

そして 私に食え! と言う。 その時の彼女の目はニヤリとしていた・・。 彼女は我らの為に2つ売れ残りにしたのだ。その”小唄寿司”の美味かった事! 
思っただけでもよだれが出るほど旨いのだ!

10年ぐらい前だが・・ニュージーランドから日本に行き・・色々観光して周り・・で・・盛岡に立ち寄った時・・私はふと! 弁当売りの仕事をおもいだし・・”小唄寿司”の事を思い出した・・。
その時 私は盛岡駅の弁当売りのキオスクで この”小唄寿司弁当”を発見! 
涙が出るほど嬉しく・・ニヤニヤしつつ 一人でそれを食ったのだ・・。

52年前の弁当売りの話に戻ろう・・大先輩のその彼女は私に言った・・・。「分かってるって 売れ残るはずの無い弁当をわざわざ2つ売れ残りと伝票に書いて問題ないのか?を 心配してるんだろ? これは 弁当業者から やってもいいって言われてるんだ・・。 これは 私達だけの特権だから 他の売り子にいっちゃ〜駄目だよ!」と杭をさされた・・。

私は このベテラン売り子と組めて 本当にラッキーだったのだ・・。それから ”小唄寿司弁当”の時はいつも 2個売れ残りの伝票が切られた・・。

顔が絶対ニコリもせず 怒った顔の彼女だったが・・心は暖かいのかも・・?と 思った。

そんなこんなをおもいつつ・・私は今 ”小唄寿司弁当”に似た味の代物を食っている・・。
死ぬ前に もう一回 あれを食わねば・・。


 

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