ふらりと放浪の旅にでると・・車の中で 私は寝て 調理をして食べて・・と まるで自宅の様に過ごす。 ってことは 食料をもって歩く事になるので どうしても 冷蔵庫が必要。 なので 小さな車用冷蔵庫をゲット! |
2021年7月31日土曜日
普通の車だけどキャンパバン
ふらり放浪
小さな 小さな町 何にもなくて・・人もあまり見えなくて・・ 数件の人家があるかな・・って程度。 プラプラと歩いていたら 建物の向こうにあるサイロのような物に 絵が描いてある。 オーストラリアでも同じような物を見たが・・こんな小さな町にでもあるんだ~~・・びっくり・・。 ってか こんなにでかいのを描くには 相当の根性が必要だべなぁ~~ |
宿の外の道路沿いにあった バス停。 こんなかわいいバス停 誰が作るのだろう・・・ |
名も知れない ただの海岸 せっせと歩いて たどり着いた土手を超えたら・・海だった。 人っ子一人いず・・。 美しすぎる・・・ |
これも 歩いていたら・・公園っぽいところがあったので・・一休み・・とどんどん入って行ったら・・美しい教会。 これって有名なんだろうか・・? こんなのが そこここにあって・・あまり 有名でもないのかもしれない。 それでも すごくきれいだ・・。 |
どでかい壁画で 迫力ある・・。 その辺の街角だけど・・しばし立ち止まって・・見入ってしまった・・。 |
名もなき 小さな町にあった・・。 よ~く見ると 本当に手の込んだ物だ。 こんなにすごい物を なんで もっとたくさんの人たちの目に付く所に置かないのだろうか・・? ひっそりと・・誰の目にも止まらずに・・ただ私だけの目を楽しましてくれた。 |
青空に残るる月の白さかな
2021年7月26日月曜日
2021年7月23日金曜日
2021年7月19日月曜日
あたし 日本で住むならここ
釜ヶ崎 大阪出身者は 私が ここに宿を構えると言うと 「やめとけ! 危険やで〜!」とみんな口を揃えて言う。
肩の力が抜ける。 何も心配しないで住める所と言える。 お金はあまりなくても 食べれるし・・泊まれる。
長期滞在宿として 日本に行けば絶対ここを起点としてウロウロする。
今はコロナでちょっと様子は変わったが・・コロナ前は 海外からくる 貧乏若者旅行者の滞在するバックパッカーが軒並みあった。 今もあって欲しい。
激安なのに・・清潔で 設備も抜群、ネット環境抜群。
大阪のエキサイティングな場所が すべて 徒歩圏内にある・・。
最高の所と確信する。
2021年7月12日月曜日
”小唄寿司”駅弁
キムチもどき 千枚漬けもどき
2021年7月6日火曜日
気負いは持ちなくない
ニュージーランドに来て以来がむしゃらに生きて来て・・最近は そのがむしゃらから抜け出て ジックリ 自分の生活を振り返っている・・。
自分探しなのか・・? なんなのか・・? 解らないが・・何が幸せなのか・・? 何がしたいのか・・?
そこで・・最近 人種差別の記事をパート5まで書いてしまった・・。 その後 ツラツラ考えるに・・もし 私が日本に住んだなら・・私は差別を考えなくて済むのでは? と言うことなのだ。
いくら日本が国際社会になってきてるとは言え・・日本は日本である。 日本語であり・・日本人だけだ・・。
鎖国時代の長かった日本は 今 なんだか・・鎖国をしたのはえらい!! と思ったりする。
南米諸国・・東南アジア諸国等 白人社会でない所はほとんど 白人に占領されて・・植民地とされて・・白人での統治時代が 長年も続く・・。
今はそんな諸国も 独立したが・・色々放浪して経験した事はそんな諸国も マネージャークラス・・経営者クラスとなると 白人なのだ。
体力仕事の労働者は現地の人間・・となっているのが普通だ。
それを思うと 日本は鎖国を強固し・・結果植民地となって白人に支配された歴史は無い。 だから 今でも 日本と言う国は日本人で純粋培養されていると思う。
だから・・だからなのだ・・もし 私が日本に戻って 日本の国で 日本人として 生活すれば・・そんな鬱々とした差別経験はしないで済む・・・そんな事を思う毎日。
白人に負けているとは思わない・・あいつらを蹴散らして長年生きて来たのだから・・。 だけど・・もう そんな気負いを持つ事すら うっとおしい・・自然に何となく 日本の水に溶け込んで生きてみたい・・。
出来るだろうか・・?
2021年7月3日土曜日
人種差別 パート5
Londonでの オーペアビザしかない私は とりあえず オーペアで住む家を探すしか無い。 毎日 毎日・・あの頃はネットとかあるわけでもなし・・携帯電話なんて無い・・自分の足で見つけるしか方法は無いのだ。
そんな状態で よくもいい家庭を見つけたもんだ! と自分でもびっくりする。
だが 最初から そうスムーズではなかった・・。
どこでも 私はやはり 有色人種で 能無し的 奴隷的にしか扱われなかった。 毎日 毎日 屈辱的な罵声を浴びかけられ・・扱いをされ・・そんな時間が 長かった。 もう 明日食べるお金も無い・・という頃になって・・私は開き直った。
私は普通のバカでは無い・・働き者で 人の倍は働く・・人の倍の高質な仕事をする。 よって 倍のお金を払うか 半分の時間働いて 普通の時給を支払うか・・どちらかにするべし。
オーペアビザのレギュレーションは一日 数時間労働 って事で 私は 一日3時間しか働きません。 それ以外の労働は 一週間前からのNoticeとその分の時給が発生します。
一ヶ月のトライヤルで 双方の合意があってからの契約成立とする・・という条件をおっ立てた。
私にとっては苦肉の策、なめられっぱなしでは 何も始まらない・・。 もうどうでもいい! なるようにしかならないのだ!
その私の条件提示は大成功となる。 でかい程度で条件提示をすると 大体の所で私の条件を飲んでくれるのだ。 依頼 私の方で仕事を選ぶという事ができる様になった。
その体験は 以後私の人生の生き方に大きく影響する事になった。
人種差別 パート4
Londonに到着するまでの3ヵ月間は 私はあまり知らない アメリカ人の家族のベビーシッターとして過ごした。
東京で一緒に住んでいた・・アメリカ大使館員の家族があまりにも いい人で・・私はただのベビーシッターとして そこに住みだしたのに・・私を彼等の仲のいい友達として扱ってくれた・・。
何十年後 ツラツラ考えていたら・・ その家族も ジューイッシュだった。 私を高く評価して 尊重してくれる人達は 全て! ジューイッシュなのだ! と言うのに気がついた。
その家族が紹介してくれた 別のアメリカ人について 私はLondonに渡った・・。 が そのLondonに到着するまでの三ヶ月は 私の一生の内で 最悪のでき事だったとも言えるかもしれない。
つまり そのベビーシッターをしていた家族の奥さんは 私を奴隷の様に扱い・・人を人としては扱ってくれなかった。 私はまるで家畜だった。 寝るのも そのへんで仮眠を取って生きながらえた・・といった具合だ。
何かにつけ バカだのアホだのと言われ続けて・・その内精神も病んでいたのだろう・・・なんでもないのに・・いつも涙が出て仕方がなかった・・。
Londonに着いても奴隷生活は止まらず・・でも何かの拍子に私はそこから逃げ出す計画を立てる。 そこの奥さんは ”どうせ一人じゃ〜何もできないのだから そのへんで野たれ死にするのがおちだ”と悪態をついた。
今でいう KARENと言うヤカラに 私はすでに ものすごく多く出会っているのだ。とりあえず 見た目 様相で私を判断し・・”能無し” ”あやしい” ”悪い事するだろう” ”要するにここから去れ” 的扱いは 日常茶飯事。
が その時は私は 野垂れ死にの方が今よりまし・・というのを強く感じていたので・・その家を出るのは 怖くも何もなかった。 ゾンビの様にして 辿りついたのが 治安の悪い地区。 そこで ビザも切れ 浮浪者と化した汚い日本人女性と出会う。
その人との出会いによって 私は”生きる”決心をする。 負けてはいけないのだ。 どんなに踏まれても 自分をちゃんと持って生きねば・・あの浮浪者体の女性になってはいけないのだ・・とあせった。
それからが 私のLondon生活の始まりなのだ。
人種差別 パート3
私がLondonで 1年住んだ家庭は とんでもない大金持ちのジュウイッシュの家族・・そこでは 私は客として扱われ・・尊重され・・夢の緒様な生活ができたが・・ そこに至るまでは 色々あった。
一回 Londonの中流の家庭にオーペアとして入った事がある。 中流が最悪かもしれない。
と言うのも まず世界の国々の情勢 文化とかに疎い・・つまり 良く知らないから 瞬時に 有色人種 イコール 教育がなされてなくて 英語を話さない イコール脳が足らない・・と判断するのだ。
そこで 私は洗濯機が壊れたのは私の 脳の無い手で触ったからと言う事で・・ 弁償しろ・・と怒鳴られ・・掃除のやり方も知らない 野蛮人と言われ・・ 最新のステレオを購入したその庶民の家庭で 私は ステレオから2m以上常に離れていろ・・と命令されていた。
日本人と言うと 「あ~ 中国人だね」と言われた。
そこは 人間として扱われる所ではなかった・・。つまり 彼等は世界の国々の知識は全くなかった・・。
そこでの経験と そこでの人間を観察し 理解した知識は 私の脳みそにシッカリと叩き込まれた。
だから 其の後の私の人生で 人との出会いで瞬時に 差別人間と 対等に接して私を尊重して接する人間の違いを判断できる様になった。
人種差別 パート2
Londonで 私がオーペアとして住んだのは その大金持ちジュウイッシュの若い夫婦の家。
以前もそこの家では時々 他のオーペアを使っていたが・・家じゅうの棚 引きだし クローゼット パントリーすべての所に鍵がかかっていた。
が 私はそれは知らなかった。 ある日・・そこの奥さんが あなたが来てから 初めて・・物がなくならなくなった・・と言う。
私は彼女が何を言っているのかわからなかった・・。 つまり 彼女は常に 常に 全ての箇所に鍵をかける習慣があって・・ それを私が来てから かけ忘れる事が頻繁に・・。
そして かけ忘れたら大変! と思っていたが・・鍵をかけなくても いっこうに 何も盗まれない・・。
で・・彼女は 私のところに来て・・「鍵をかけなくてもいい生活って 素晴らしい! 初めての事なの!」と 目を輝かせていった。つまり 私は物を盗まないのだ! と言うのを発見して 喜んでいたのだ。
以来 私はこの家で ものすごく大切に扱われた・・と言うか オーペアと言うより 大切な客の様に扱われたのだ。
奥さんは料理も何もできないで育った・・つまり 大金持ちのお嬢さんで育ち 全てはメイドがやってたので・・何もできない・・。
私が作ったランチを 「できたら 少し私 もらえるかなぁ~~」とオズオズと言う。 私は 「もちろん! だって この材料は全部あなたの家の冷蔵庫からなのよ~!」と言っても・・彼女はまるで 浮浪者がめぐんでもらえる様にありがたがって 私から受け取った。
料理のできない彼女はいつも 飢えていた。
私はミシンも何も持ってなかったけど・・手縫いで自分の服を縫って・・着て歩いていた。 それが そこの奥さんの目に止まり 彼女は私に彼女の服も作ってほしいと言い出した。
私の服はけっこう突飛だったかもっ知れない・・型紙がある訳でもなく・・デザインは自分の感覚で裁断して感覚で縫い上げた。でも それが 斬新で奥さんは高く評価してくれた。
高級ブティーックで買って来たドレスを 私に手直ししてくれ・・と頼んだ事があった。 手が震えて 鋏を入れるのが怖かった覚えがある・・。一歩間違ったら 私には弁償なんて絶対できない代物なのだ。
お金の無い私が買う布切れは 処分品の端切れが多かった・・。 でもその端切れは 元は とんでもなく高い代物で 庶民には手のとどかない 物ばかり・・。
だって Knight Bridge つまり Harrods とかのある高級な物ばかりのある地区を 私はほとんど毎日うろついていたのだ・・・。
その辺にいると 世界のてっぺんの人達の生活が見えて来る。
そして その一角に Slone Squeir があった・・そこは 私は一日十でも いて楽しめたのだ・・。 私の服を作った 端切れの布は そこ Slone Squeirで いつも買っていた。
Kate Middleton が 出現した時 Slone Squeir Girl と呼ばれていたと聞いた時・・
”お~ わしも スローンスクエアガール だったべ~!” と思った・・。
んなこたぁ~ないのだけど・・その頃に 世界の中で てっぺんの世界 真ん中の世界 そして 下層の世界を たんまり見て・・そして 体験したのだ・・。
人種差別 パート1
欧米の国に住むと・・・即座に感じるのは ”差別”的視線だ。 そして 瞬時にそれは私のガッツに通じ 自分が差別されている・・と言うのが判断される。
最初に住んだのがLondon. そこで 私は人生での ”差別”される感覚を知り・・差別する人と される人の区別が瞬時にできる様になったと思う。
ニュージーランドで宿業を32年も続けれたのは その経験無くしては考えられない。瞬時に私を下層人間と判断するヤカラは 使えない・・。
Londonでの数年住んだ経験は私の人生を変えた。 有色人種の私は白より下に位置付けられるのだ・・と言うのを骨の髄まで沁み込ませてくれた・・・。
そんな中 私を高く評価してくれた人種がいた。 それは 私がオーペアとして住み込んだジューイッシュの家族。 とんでも無いお金持ち。
週末にはロングドレスを着て 夫はタキシード 黒塗りのリムジンがお抱え運転手で出迎える。 そんな家族だ・・。
私はそこで 家族同然に扱われた・・。 私はバカではなく 賢く 服装もセンスがよく他の人達とは違う・・といつも言われた・・。
Hurlingham Clubのメンバーである家族は 私もそこに招待し・・私にもゲストカードを渡してくれて 自由に出はいりできる様にしてくれた。
が 私はそこは 私の様な者が出はいりする場所ではなかった。 どう見ても アジア人メイドとしか扱われなかった・・。 普通の欧米人は 私を人目みて 下層人間と判断する。