2015年4月15日水曜日

姥捨て山

先日 60代の友人と話をしていて 彼女の口から出た言葉・・・

”姥捨て山って 理にかなっていると思うよ”

まさに 私もそう思う。

我々団塊の世代は 自分も”老人”の域に入り 第一線から完全に退き・・病に倒れる者・・家族の厄介になる者・・介護施設に入れない者・・と言う将来を抱えて生きている・・。

そして 多くの者は 80歳代 90歳代の親達を抱えて その介護に自分の生活が完全に取られている・・。

自分は我が子や 自分の家族にこんな苦労を掛けてまで 生きながらえたくはない。 だからと言って ちゃんとした介護施設に入れて 誰に気兼ねもない老後をそこで過ごせるような社会には まだなって居ない。

そしたら ”姥捨て山”で 死ぬというのが 自分も一番いいし・・家族全員にとってもベストだと思う。 今の時代に そんな事は通用しないのは 解る・・。

今朝 FaceBookで 98歳の老婆が シャキシャキと意見をのべ・・車を運転し・・ 隣人の老人を助け 生きている姿があった。

人間は歳で ”老人” と判断するものでもないと思う。 そのFaceBookで見た老人は まだまだ 50代の様だった。 

言葉も発せず・・喜怒哀楽も無くなり・・生きる事すべてに無気力になった時が老化した老人と言えよう。

猫は食べる事が出来なくなり・・病気になったりすると 身を隠す習性があう。 飼いネコで 家ネコは ベッドの下とか・・人が見つけにくい所に身を隠す・・。

が 外猫は 飼い主すら絶対に見つからない所に身を隠す。 

そして どういう訳か かならず飼い主に最後の挨拶をして身を隠すのだ。 そして 二度と姿を現さない・・。 

よって 「あ~! あれが 最後の挨拶だったのか~!」 と鮮明に 普通の様子と違った見つめ方をした 自分のネコの事を思い出す。

自分も ネコのようにできればいいな~・・ と思う。

猫のように 敏感に適格に その身を隠す時期を判断できないから ”姥捨て山”システムがあったら 楽かな~ ・・と 食器を洗いながら・・・思った・・・。

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