2015年1月30日金曜日

私の古里となった場所をあるけば・・・。

クライストチャーチ大地震の爪痕は まだまだ 続く・・。
ここ Linwoodもまだまだ 殺風景な場所である・・。

が・・・歩道を歩いていると きれいな水玉のペンキが・・
だれかが 描いたのかな・・? と思ったら・・
あれ!? あっちも! あれ?! こっちも! ってなぐらいに ドンドン 水玉が延びて行ってるし・・・。

その内 水玉模様ではなく 球までも 歩道に転がっているではないか!
電気ボックスなのか・・それらのボックスにも かわいい水玉が・・。

クライストチャーチ市のアイディアだろう・・ 地震の爪痕を少しでも和ませて CheerUpしてもらおうと言う 心使いなんだろうな~~・・。

確実に 私の心を和ませた 水玉の軍団でした☆


電話ボックスも 無料WiFiが! お! ここでネットが繋がる・・! 
と思っても・・もう旅でネットを探している身分は終わったのだ・・。

今は 私の自宅でも Kiwihosueでも どこに行っても 自分のノートパソコン、タブレット、 スマホが 自動的にネットに繋がる・・。

ま~ 以前から パスワードを入れてあるから 自動的に繋がるのは当たり前の話なんだけど・・。

ここ7ヶ月間 場所が変われば その都度新しいパスワードをいれつつ・・ネットをしていた癖がまだまだ 残っていて・・やはり どこに行っても自動的にネットが繋がるのは 不思議な気分にさせてくれる・・。

近所の道をブラブラ歩いていると・・・ じ~~こ じ~~こと激しく鳴くセミの声。
アメリカ・カナダ・日本と真冬をジックリと味わって来た直後に このセミの耳をつんざくようななき声は なんだか嬉しい・・。

ジックリと声の出先の方へ 抜き足 差し足で 近づくと ちっこい セミが 今にも逃げそうになりつつ・・・鳴くのを止めて 私の気配を感ずいていた・・。

2015年1月27日火曜日

七ヶ月後の帰国 もうスッカリ自分の故郷となったニュージーランド


長い成田からのフライト・・・乾ききった顔の肌を手で擦りつつ 固まってしまった体を伸ばす・・。

いよいよ 長かった旅は終わりを告げ・・・住み慣れた自分の住み処に戻る。
やはり 心は踊る・・そして なんとも言えない安堵感もジワジワと湧いて来る・・。

ふと 飛行機の窓の外を見ると ニュージーランドが燃えている・・。 こんなオレンジ色に燃えているのを見た事がない・・。
私の帰りを歓迎しているのだろうか・・?
どんなに長く見つめていても 色が変わらなかった・・。

早朝にクライストチャーチ空港に到着・・。
気がかりだった Kiwihouseでは 朝日で生き生きとした花ばなが やんやと咲いていた・・。

16年前に切り枝を挿し木にして 育てたフューシャは・・・ 色んな所に 散りばめて・・今は大きなブッシュになっている。

これも又 同じく 挿し木から大きくした・・。 違う種類のフューシャ。

これは 私が20年前に買ったSmall KiwiHouseの庭にあった・・。 土を掘り起こすと膨大な数の球根があった・・。 その球根は もっと膨大な数になって MainKiwihouseの庭を賑やかにしてくれている・・。

小さかったバラの苗は 今は塀を埋め尽くす程。 もう10年以上にもなるな~~・・・。

これも又 自分で・・ピンクの花って どうよ~~・・? と思いつつ・・苗を10年以上も前に植えたが・・いまでは 立派に塀を這い回っている。 そして 苗の頃の迷いは全くもって無く・・どうどう!と 華やかに咲いているのだ。

16年前に買った私の自宅にあった薔薇。 あまりにもトゲが鋭いので・・Main Kiwihosueに移植した。 毎年鮮やかな花を忘れずに咲かしてくれる。

塀を這い回る白薔薇。 なんと純真無垢な花・・と いつも感動させられる・・。 それに 香り高いジャスミンが巻き付いている。 これ等の花も もう10年以上になる・・。

これは 私がこの土地を購入した 20年も前からあるアジサイ。 ほとんど手入れもしないのに・・毎年やんややんやと咲いてくれる。

16年前に購入した私の自宅にあった ブラックベリー。 その時は日陰にあって 全然実なんぞ付けてはくれなかった・・。

が! MainKiwihouseに移植したトタン! ぐんぐん! と延び・・ガンガンと大きな実をつけるようになった・・。

毎年 どっさりの実をつけて ジャムが出きるぐらいだ・・。

これも 自宅から移植したミント。 時々葉っぱをちぎってお茶にする・・。

これは 20年前にMainKiwihouseの土地を買った時に  ちっこいボロ家があってその回りにギッシリと植えてあったダリア。

ダリアの球根って 見た目がさつまいもにソックリ! 土からどっさりとそのさつまいものような球根を掘り起こし・・土に埋めた・・・以後 毎年膨大な数のダリアの花が咲く・・。

甘くなったブラックベリーの実

沢山の私の人生の歴史を思わせる植物達が やんややんやと花を咲かせて 私の長い旅の帰宅を歓迎してくれた。

あぁ~・・自分の古巣にもどったんだなぁ~~・・と とても嬉しかった・・・。

2015年1月22日木曜日

友人が高級レストランに連れて行ってくれた。



先日散歩していた時 メンバーしか入れないような 高級レストランがあった・・。 純日本風で・・・入り口から 関所のようになっていて・・その奥は日本庭園が続き・・その奥に庭園に突き出たガラス張りの和室で・・政界・財界の偉いさん達が 集いそうな場所。

おそれ多くて・・関所のような入り口からオズオズと覗いてみたが・・何も見えなかった・・。

でも もうちょっと歩くと塀の隙間から ちょっとだけ 中の様子が見えた・・やっぱ 偉いさんが 着物を来た人を侍らせて 集っていた・・。

ん~~・・私とは無縁の世界だな~~・・。

と そんな事を考えていたら・・ 友人が 贅沢なレストランに部屋を取って 贅沢な食事に連れて行ってくれた・・。

神様がちゃんと 私の心内を見て取ってくれたのかな~~・・。

夫なんか 盛りだくさんのごちそうに目を丸くしていた。

彼女の娘さんは ニュージーランドにいるときは 中学生だったのに・・今は 結婚して娘さんも居て・・・ きれいな女性に成長していた・・。

長い時が過ぎ去ったのを実感した・・・。

我等の部屋を担当した女性。すばらしい~! 着物での立ち振舞い・・も~~! キビキビとした動作で・・心も細やかな気配り・・舌を巻く程。

細身だから身軽なのか・・? いやいや長年鍛えた体は 若者のように しなやかにそして機敏に動いていた。

思わず写真を撮らせて もらった。 着物の着こなしも優雅で美しい~・・。

2015年1月18日日曜日

東京



東京にたどり着く・・。
友人宅に転がり込む。
日本と言う所は つくづく 自分にとっては もう歓迎されない社会なんだな~・・と感じずには要られなかった・・。

私は 気軽に人の家には転がり込めない人間に成り下がってしまったようだ・・。

結局自分で宿を取って寝床を確保するのがいいんだなぁ~~・・と痛感する・・。

よって いくら友人だとて・・東京の友人宅に そう長くは居候はできないだろうな~・・ と思っていた・・。

が! この友人は 私等を歓迎してくれた。
シングルだが・・・仕事も引退しているが・・・彼女の生活は毎日ビッシリとスケジュールが組み込まれ・・精力的に動いている人間だ。

歳を取ってくると・・結構の人々が 空虚感を持ったり・・そこまで自分の生活に実感ともちつつ シッカリと足を地に着け生きている人はいない・・・。

もう25年も前から彼女を知るが・・彼女はいつも いつも 何かに向かって行き続けている。 賢く心根のとても優しい女性なのだ。

敬服する。

その彼女は 我等に一室をくれ・・彼女のマンションの鍵を預け・・彼女は 彼女自身のスケジュールをさっさとこなしている。

豊富にドンドン 彼女のマンションの玄関に配達されている食材は 焦る程沢山ある・・。
彼女もせっせと 料理を続けているが・・ 私も参加して せっせと料理を続ける・・そして食べ続ける。

そうしないと 食材が無駄になってしまうのだ・・。

テレビで 凧揚げ大会がある・・と言っていた・・電車に乗り換え行って来た。

道路のマンホールのデザインって 結構素敵にできている。 これって 日本中の市町村 どこに行っても興味深い 素敵なデザインなのだ・・。

その土地土地の特産物とか 名物とかが デザインに織り込んである・・。

驚いた事に 海外も 全く同じで マンホールのデザインは その土地土地の特産物が織り込んであったりする。


15年も前にであったダンス、 Cerocは 世界中にある。 そのダンスも イギリス人の人が日本に数年前に持ってきた。

彼は 趣味程度に 時々色んな場所を借りて クラスをやったり・・バーを貸しきってパーティーをしたり・・。

私が東京に行くと できるだけ参加する。 今回もちょうど池袋でパーティーをやっていたので行って来た。

東京のCerocダンスで知り合った人たちと 久しぶりの再会も又 とても楽しかった!

階段を登り降りするキャタピラを持った機械。 これは! 便利!

ここぞ東京! ってな感じ・・・新宿スタバから外を見る。

2015年1月13日火曜日

Utenaちゃん

大阪を後に・・・北上・・途中で Utenaちゃんの住む 豊橋で途中下車。

KiwiHouseでレセプショニストをしてくれていた時は 若い女の子ってかんじで 顔もパンパンだったのに・・・ スッキリと細くなり・・お姉さんらしささえ醸し出し・・ビックリ!

新幹線を下車したら 改札口まできてくれていた・・。 しばらくぶりの再会で 涙が・・。

おしゃべりをが果てしなく出て来る・・・でも時は 嫌がおうでも残酷に過ぎ・・ 又もや 固いハグと涙で 別れた・・。

元気に羽ばたいてくれ! 若者よ~~☆

2015年1月12日月曜日

大阪見物 

 妹が大阪まで出てきてくれたので 大阪見物をすることにした・・。 彼女も長いこと関西に住みながらも 大阪見物なる物はほとんどした事がないとの事・・。

ま~ そうだろうな~~地元の人程 地元の観光ってのは しないしな~~・・。

スカイタワーは高かった・・・足がすくむ思い・・。 ってか 日本人は一人もいなかったかも・・? 全部外国人だけだった・・辺りにいたのは・・。

地図を片手で探しながら歩いてたら・・外人カップルがいた・・ あの人たちに訊けば知ってるかも・・? 

びんご~! 二人もウロウロして探していた・・ 彼らはネットを持っていたので GoogleMapでほどなく到着!

 路地裏で ガレージセールをしている人がいた・・。 このおじさん何をみて ニコニコしてるのかな~~? と思って おじさんの視線をたどると・・・・!

テレビ台の中で リラックスしている猫が・・・。 それが又 私が飼ってた猫 Mayちゃんとソックリ! 私もおじさんと一緒に顔をほころばせながら・・・猫ちゃんとひとしきり遊んだ・・・。

これ・・なんと言う植物か・・忘れたが・・このほおずきのような殻の中に数個の種がある・・。 でもって その種 ビックリすることに・・きれいなハート型の模様があるのだ! 

これを見たら ぜひ中の種をチェックしてみてくださいね~~❤

宿の近くにかなりデカイ 戎さんをやっている・・ってことで 行ってきました。 ものすごい人で ものすごい飾り物で・・生まれて初めての戎さんでした。

妹・姪 そして私と夫と ちょっと屋台のような所に座って食べたら・・全部で8千円だった・・。 高くて椅子から転げ落ちそうになった・・。

こうやって 将棋とか碁を楽しむ所が商店街にあるのだ・・。いいな~~ なんかみんな充実した人生を送っているように見えた・・。

孤独に自室でネットゲームをするより よほど健康的だな~~・・。

よくテレビで見る 蟹が動いている所に行きたい! って言ったら 姪と妹が連れて行ってくれた。 やっぱ 蟹が動いていた・・。

大阪は食いだおれ・・も~~ 昼も夜も 永遠にうまいものが 沢山あるのだ・・。

2015年1月10日土曜日

日本 風呂2


今だにあいりん地区に潜伏しているわたし。 

今までの宿からは 満室って事で 追い出され・・チェックアウト朝9時と言う時間に大荷物を ゴロゴロと引っ張りつつ 今の宿に来る。

この宿は前と同じような部屋だが・・ なんと! 銭湯券が付く! つまり無料で銭湯に入れるのだ・・。

いつも銭湯の前を通る度に 一度は入らねば・・と思ってばかりいた時だったので・・ヤッター! と言う心境。

暗い夜道には やはり男性老人が そこらここらに居て・・めずらしそ~~に私はジロジロ見られる・・。 最初はタランタラン歩いていたけど・・ ちょっと怖くなって・・早足になる・・。

風呂屋の番台を過ぎて風呂場に入ると すぐ手前でシャンプーしていたばあさんが 半分目を開け 私を見上げる顔はまるで般若の面。

こわ!! と ビビリながら・・ ばあさんと一番離れた所で体を洗う・・。 ってか このお湯 さすが 女湯とあって・・ がら~~んとしている・・。 

相撲取りではないのか?! と思うような大女と 般若面のばあさんしかいない・・。

湯船に入ると・・熱! ちょっと熱すぎる・・。 熱いのが気持ちいいかも・・? と思っていたが・・というのも25年間 時々行く ホットスプリング・・つまりニュージーランドの温泉のぬるい事! もうちょっと熱くせぇ~や~~! と怒りたくなる程・・ぬるい・・。

日本の湯は熱いから いいどぉ~~! と意気込んでいたが・・やっぱ・・・熱過ぎる・・くじけて・・ジャグジーの方に行く・・。

ここは 案配がいい。 で 壁にあるボタンを押すと 背中辺りからジェット湯が噴出して来るではないか!! それが又 どえらいジェット噴射で・・鉄棒の取っ手を捕まえていないとすっ飛ばされそう・・。

えぇ~~具合にジェット噴射は背中を揉んでくれる・・。 腰をもっと沈めると肩辺りを揉みほぐしてくれる・・。

両耳を塞いで・・頭をもうちょっと沈めると・・ジェット機が頭上スレスレに飛んでるような爆音がする・・。その爆音を聞きつつ 肩の揉みほぐしに恍惚となる・・。

そうこうしていたら・・ 般若面ばあさんが 湯に入って来て・・「あ! 熱! 熱!」と言いつつ 頑張って湯船に体を沈めようとしている・・。

ニコニコしながら・・私に 「おねえさん 気持ちいいから こっちの湯船にはいり!」と言う・・。 私が 「熱いっしょ?」と言うと 「いやいや・・慣れるて! ちょっとしたら すぐ慣れる!」と私を誘う・・。

般若ばあさん 突然優しいばあさんに変身! それに そのばあさん あたしと同じぐらいの歳なのに・・”おねえさん” とは・・。 ま~ それもここら辺では 相手を尊重する言い方なのかも知れない。

長湯して出たら さっきの 般若面ばあさんからニコニコばあさんに変身した人は エプロンをして脱衣場で働いていた・・。 「湯~ どやった?」とニコニコして訊くので・・「え~湯でした! この湯に住みたいわ~」 って言ったら・・そやろ~と言ってニコニコ・・・。

「おばちゃん ここで働いてるん?」 って言ったら 「そ~や でも ユックリ湯に入れんのよ~ これ(と言いつつ 親指と人指し指で丸を作った)もらわな な~~・・。」と笑った。

「あんた 遠くから きたん?」 と言うから 「え~ ま~」って言ったら・・ 「あ! えべすさんやから 仕事できなさった~?」 と言う。

ん~~えべすさんと 仕事とどう関係あるのか・・?? わからん・・。
「ただの旅行です」 って言ったら 「え~~な~~!!」とニコニコして言ってた・・。

あいりん地区のばあさんは 怖くもなく すごくフレンドリーで優しかった・・・。

銭湯で体の芯までホッコリ! ニコニコばあさんとの出会いで 心の芯までホッコリ!

日本 西成区 あいりん地区

ネットで 日本の宿泊で”安宿”を探す・・ 大阪だと あいりん地区。 

この地区は 私の年齢の人にとっては 必ず聞いた事のある名前。 とりあえず ”日雇い労務者のタムロする 治安の悪い所” と言うイメージしかなかった・・。

が 私がニュージーランドに住んでいる間で・・ ドンドン 海外から来る旅行者の宿と人気となったのが 大阪で言うと あいりん地区、 そして 東京で言うと 同じく 昔から ”労務者のタムロする治安の悪い所” と言う同じイメージの ”山谷”。

これから 東京に行くので 絶対にそこに泊まってみたいと思っている・・。

さて 今ここ・・あいりん地区は 年老いた男性の多い事! どこに行っても老人男性ばかり・・。 

そして ”自立援助” とか ”生活保護手続き援助” とか言う看板を掲げている所が多い。 宿の多いこと! 全部安宿 つまり千円代が普通。 そして風呂屋。 飯屋。

飯屋はここも安い! 百円おかずとご飯・味噌汁 お腹いっぱい食べても5百円程度で食べれる。
こ汚いイッパイ飲み屋、ホルモン焼きとかある・・。 酒だけの自動販売機だけがある場所もアチコチ。 そこには朝から老人男性がタムロしている・・。

ネットで見た事があるが・・ 半分浮浪者・ホームレスになっている老人男性、 完全ホームレスの老人男性をターゲットにして 生活保護手続きをしてあげて その手当てを猫ばばするやからがいると言うドキュメンタリー番組を見た事がある・・。

ややこしい生活保護手続きは 本人一人では無理・・ まず住所がなければいけないし・・ お金を受けとるには 色んな法的て続きが必要になって来る・・ それ等を一手に引き受けるのだ・・。

が 受けとる本人には 何がなされているのかサッパリわかってない・・。 とりあえず 誰かが親切にしてくれている・・と言う感しかない・・。

よって その猫ババ人間達の言うなりになる・・。この地区のホームレス老人男性を相手にする生活保護金横領の金は 人数が多ければ多い程 最後には膨大な金額になる・・。

今でも カモ(ホームレス老人男性)は この辺りには腐る程いる・・。 道をあるけば・・道端でしゃがみこんで缶の酒を朝から飲んでいる・・。

どこかで手に入れて来た食料を道端で 食っている・・。そんな老人男性が至る所にいる。

我等が泊まっている ”ホテル”と名のうった 10階建てのビル。 レセプションもその辺のホテルのレセプションの立派さにひけを取らない・・。

が・・・全然違うのは 部屋の中。 3畳、2畳半と言う小さな個室。 古ぼけたテレビ・・こんなテレビが まだ 日本社会の中にあったのか? と思うほどの古いタイプの物・・。 しかし ちゃんと作動しているのだ・・。

我等が泊まった所は この辺でも かなり上等な所だと思う・・。 一人辺り 千円を越している訳だから・・。

1泊800円 500円と言う所もある・・。 その宿の部屋はどうなっているのだろうか・・? ぜひ見てみたいところだが・・ そのチャンスはなかった・・。

一泊だけどうしても満室になると言う日があったので 仕方なく追い出されて他の宿を見つける・・・。

驚く事に・・・・ 男性しか泊まれない所もある・・。 つまり この辺りの老人男性しか相手にしていない・・と言う意味だろう・・。

シングルしかない・・と言うホテルもあった・・。 連れがいても 一人でシングルに泊まる事しか許されない・・。 これも 又 孤独な老人男性相手のホテルなのだろうか・・?

そして どこの宿でも・・男性用風呂ってのは デカクで来ている・・・。 夫が言うには その風呂にウジャウジャと男性が混みあって入っていて・・到底彼が入れる隙間も無かったと言ってた・・。

ちなみに女性風呂はあってもほとんど使用する人はいない・・。 今泊まっている所は男性風呂はあっても女性風呂さえない・・。 つまりシャワーしかないのだ・・。

”便所”とあるところは 必ず一つ。 女性・男性と別れている所はない・・。 つまり 男性対象にしかしていないのだ・・。

じゃ~ 女性はどこに行ってしまうのか・・? 老人女性は 足腰が立つ内は”使える”のだろう・・。 

掃除も食事の準備も 孫の世話も何でもできる・・よって 若者達にとっては使い道がある・・。 が! 老人男性は 邪魔にしかならない・・ ただ飯食いにしかならない・・。 つまり 社会では不要人間になるのかもしれない。

老人女性は そして 使えなくなると 家族が老人ホームにでも入れてくれるのかも・・?

さて 老人男性はじゃ~ 細々とあいりん地区で生活していても・・足腰が立たなくなったら どうするのだろうか・・? 誰かが世話をするのだろうか・・?

足腰立っていても 社会から見放されている訳だから・・足腰立たなくなったからって 社会がどうにかしてくれる訳でもあるまい・・。

これも又 ネットで見た事があるが・・ 橋の下に住んでいた老人・・足腰も立たないから 食べ物も見つける事ができない・・。 近くに住んでいるもう一人のホームレスの人が・・ その老人は 長い事 横になっている・・ と呟いていた・・。

そして やがて その老人はそのまま 死んで行った。 亡骸はどうなるのか・・? 誰もそれに頓着する者もいない。 よって その老人の簡易住み処ごと 死骸は風化して行くのだろう・・。

夫の哲学;
社会は手を伸ばしてくれているのだから それを利用すべし。 足腰が立つのだから なんらかの仕事をすればいい。
若い時から ちょっと頑張れば 老人になってから そんな結末になる訳がない。 
結局彼等は ”怠け者” ”考えが甘い” 同情の余地なし。

しかし どうしても 私には そんな考え方はできないのだ・・。
世の中には ”良いこと” ”立派な事” と言われる事がある・・が それがわかっていても できない人間と言うのが存在するのだ・・。

アルコール中毒になる事は悪いこと・・ タバコを吸うことは悪い事・・ 盗みをする事は悪い事・・そんなの百も承知だけど・・ 避けられない人間はこの世に存在する。

浮浪者・ホームレスを援助するボランティアがいる・・・東南アジアや 中南米を旅してきて・・ どんなにか多くの物乞いや ホームレスを見て来た事か!

そんな人たちのすぐ隣は 立派な服を来て立派な仕事をしている人も ウジャウジャといる。

だから 社会が悪い訳でもない・・ 結局は本人が悪い・・と言うことになるのだろう。 

が! だからと言って・・本人は立派な事を頑張ればできたであろうか・・? いや・・一人一人違う人間だから・・ 同じ事でも できる人もいれば できない人もいると思う・・。

生まれつき目の見えない人もいる・・ 生まれつき 手足もない人もいる・・。 それは 本人のせいではあるまい・・。

同じく 生まれつき社会に順応できない人もいる。生まれつき麻薬無しではいきれない人もいる。 

私の前夫の親族は ほとんど全員問題を抱えていた。 アル中、麻薬中毒、精神分裂性等。

アメリカの刑務所にいる犯罪者には 精神分裂性を持つ人間が ものすごく多いとの事。 つまり 精神分裂性の遺伝子を持つ家族は かなりの割合でアル中、麻薬中毒者になると言う。

そして それは犯罪に繋がる。 よって 刑務所に入る確率が多くなる・・。 正に 私の前夫の家族・親族がそれであった。

彼自身がアル中、 息子は麻薬中毒で タイのホテルで自殺した。

前夫の彼の弟もアル中 そしてその弟の子供達は ほとんどが麻薬中毒。 刑務所に服役している息子、娘もいる。

その弟の妻は完全麻薬中毒で廃人同様で 山の中の小屋で麻薬だけで暮らしていた・・。そして 彼女の前夫である人は 定期的に パンと牛乳を買って届けている。

その前夫はビジネスの成功者でお金は十分にあるのだが・・ 違法である麻薬常習者に食物を他人に頼む事はできない・・。 よって 彼は彼自身で食料運びをしていた。

現金を手渡す事イコール 彼女の死を早める事になる。つまり 現金は麻薬にしか化けない・・。そして彼等の二人の子供は 全員重い麻薬中毒者であり 刑務所を出たり入ったりしているのだ・・。

私の前夫は弁護士であり そして又 自分の弁護士事務所を持ち弁護士を7人も持つ結構大きなビジネスをしていた。

が 彼ら兄弟の親族の有り様は惨憺たる物で・・。 しかし・・・彼等は自分達の血を呪いつつも・・ そういう人間達も住める ユートピアを作りたい・・と口癖のように言っていた・・。

つまり 社会では見放された・・人間に手をさしのべ 援助するコミューンの話をいつも私は聞かされていた。 

刑務所帰りの人間、麻薬やアルコールから抜け出せない人間 犯罪に手を染めるしか生きるすべを知らない・・・。そんな人間には 希望と言う物がないのだ・・。

そんな ”血”で生まれて来ていない人間達は 普通の社会生活が出きる人々には到底理解のできない人種なのだ。 

しかし! 同じ”血”の人間であれば 手を差しのべる事ができる・・ どういう方法で手を差しのべるべきかもわかる・・・ と。

結局 夫とその弟の夢のユートピアは作る事はできなかったが・・ 7年間彼等の家族・親族と接して来た私は 彼等の持つ”血” と言う物を無視できない人間になってしまった。

以来・・ホームレスや浮浪者達は それしか彼等に取ってはできない生活なのだと理解するようになった。

ここあいりん地区の老人男性達も 同じ事であろう。 彼等は日本経済成長に多いに荷担した人間達であるのは間違いないだろう。

海外を飛び回って国際的に動いたエリート達もいるが・・高層ビル建築の現場の仕事を担った日雇い労務者だって同じく日本の高度成長を担った訳だから 同じ人生の結末があってもいいのでは・・。

一人部屋に入る・・2畳半の擦りきれた畳の上で・・ 煎餅布団によりかかり・・これを書いている。

近くにいるスーパーには 山ほど積んである 100円白ご飯のパック、多用多種のおかずのパック、それ等をのお金を払って袋摘めする所に置いてあるレンジでチンする人もいる。

電子レンジもない自分の部屋でそれを食べるのが日課の人達。 早朝安宿の入り口から出て来る腰の曲がった老人。 何をするのか・・? と見ていたら・・ ノロノロとして・・るだけで・・目はウツロ・・出口から出たら・・両腕を気弱にちょっと振り回した。

朝の空気を吸いに出て来ただけだったのだろう・・。 その後も 何をするでもなく・・。 

もうちょっと行ったら・・道路脇に鳩が一人の男性老人に群がっていた・・。 背中も丸く・・足もヨタヨタしていた。次から次に何か鳩の餌のような物をばらまいていた・・。

立つのもしんどくなって来た今日この頃の私。 腰をあげるのに 腰の痛み無しでは上がらない・・。 ずっと立っているのの辛いこと! 場所を見つけてはすぐ座る。 座る場所がなければ 地べたでもいい・・。人目なんかどうでもいい・・。

あいりん地区の老人達となんら変わらない自分を見る思いがした・・・。

釜ヶ崎用語

  • あいりん - 「釜ヶ崎」とおおむね同一地域を指す。なお、労働者はこの語を使わない。
  • あおかん - (青空簡易宿泊所)- 野宿。
  • あぶれ - その日の仕事が得られないこと。失業。
  • あんこ - 日雇い労働者のこと。語源は普段は眠っているが目の前に美味しいエサが現れるとパクッと食らいつく魚のアンコウに由来すると言われている(労働者は普段ゴロゴロしているが仕事があるとパクッと行くことから)。
  • いんし - 日雇労働被保険者手帳に貼る雇用保険相当の印紙。印紙代は、1級176円・2級146円・3級96円。
  • かま - 釜ヶ崎の略で、「釜」と表記することもある。「われわれ釜の労働者は - 」などと言う。
  • かまきょう - 暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議。解散した。
  • けいやく - 10日とか20日というように一定の期間を区切って飯場に入り働くこと。
  • かまやん - ありむら潜(漫画家)の描く釜ヶ崎日雇い労働者のイメージキャラクター「カマやん」のこと。
  • けたおち - ひどい。(日当が)安い。
  • げんきん - 現金日払いの仕事。
  • しけはり - ヤクザ賭場の見張り役。手入れ(捜査)の警察官など「ヤバい人間」が歩いてくると「しけーしけー」と仲間に注意をうながす。なお、安全ならば「てんてん」である。
  • しのぎ - 他人の収入の強奪。
  • しのぎや - 路上強盗
  • しょしき - 発生した賃金の範囲で、意思表示をして長靴軍手など作業道具およびビールなど類を掛けで買うこと。
  • せんたー - あいりん労働福祉センターのこと。あいりん労働公共職業安定所を指すこともある
  • そーめんだい - 夏季一時金のこと。あいりん労働公共職業安定所では、日雇労働被保険者手帳を持つ人のうち一定資格の人に支給していたが、2004年度をもって廃止された。
  • てちょう - 日雇労働被保険者手帳(日雇雇用保険の手帳)のこと。
  • てはいし - 手配師。事業所に労働者の世話をして紹介料(手配料)をとる者。
  • どや - 宿(やど)の逆読み。簡易宿所、簡易旅館とも。
  • とんこ - 工事現場や飯場などから逃げること。無断退職。
  • にしなり - 「あいりん地区」や「釜ヶ崎」を指す。現地の労働者が使う。
  • にっとう - 日当。
  • にんてい - 日雇労働雇用保険で給付される給付金。
  • もちだい - 冬季一時金のこと。あいりん公共職業安定所では、日雇労働被保険者手帳を持つ人のうち一定資格の人に支給していたが、2004年度をもって廃止された。
  • 450(汚れ) - 西成警察署による日雇い労働者を指す蔑称

2015年1月9日金曜日

大阪 釜が崎(アイリン地区)


長い長い旅の費用を切り盛りするのは大変な事だ・・。
たとえ日本は物価が高いとは言え・・・宿の費用に妥協するわけにはいかない・・。
安いのは あるのか・・? どこまで 安いのがあるのか・・? と ネットとにらめっこをして・・ゲットしたのがここ!
1泊二人の個室で二人で 2400円
アイリン地区。

昔 高度成長時代に田舎から出稼ぎにやって来た土方の人たちが住み込んだ地区。 その頃の住み処は ヒドイ所だったようだ・・。

タコベヤと呼ばれ・・ただただ 寝る為のスペースだったらしい。 その内 高度成長は終わりを告げ・・職は少なくなる一方・・つまり収入も途絶える。

田舎から出稼ぎに出てきているお父ちゃん達は 重労働から酒浸りになったり・・ギャンブルに溺れたり・・結局は仕送りもできなくなり・・そして 田舎の家族とも離れ・・寂しくここアイリン地区で 老後を過ごす老いた男達の町である・・。

今でも この辺りで見る人と言えば 男しかいない・・。

普通町と言えば 色んな若者が闊歩しているが・・ここだけは違う・・普通の人がいないのだ・・。

大阪を地元として・・関西をよく知る人たちは 私が アイリン地区に潜伏しているのを知って・・「悪い事は言わない・・すぐさまそこから出るのだ!」と言った。

我等が取った宿は そびえるように高いビルのホテル。 レセプションは普通のビジネスホテル。

だが部屋は 3畳の畳部屋。 2組の布団も重ねるように敷かないと いけない・・。
しかし ちゃぶ台はある・・テレビもある・・セントラルヒーティングで 常に心地いい温度に設定されているのだ・・。

寝具も清潔なシーツで臭くもない。 布団は煎餅ではあるが・・セントラルヒーティングのせいで ちょうどいい加減だった・・。

騒音もなく 個室だし・・・長旅の疲れを癒すのに最高の宿だった。

シャワーは100円コインを入れて5分。 3枚の100円玉を用意して挑んだが・・ふんだんに熱いお湯が出て・・5分で十分の量だった。 
それで ちゃんとシャンプーができたのだから すばらしい~のだ。

シャワーは24時間自由に浴びれる。
しかし 風呂だって 銭湯より小さいサイズだが・・清潔なのが設置されていて 夕方から夜まで使用可能。それは無料なのだ・・。

キッチンもある・・がキッチン用具は何も置いてない。 
料理をする人は一切いない。 インスタントラーメンを作る人ぐらいの物だ・・。

それもそのはず 激安スーパーがすぐ近くにあって・・炊きたてのご飯が100円他 おかずもありとあらゆる物がある。 500円も使えば立派な食事が出きるのだ。

後で妹と姪が二人で我等に会いにやって来た。 我等の隣に部屋を取った・・ちっこいちゃぶ台を二つ並べて・・我等の3畳の部屋で 宴会をやった。 激安スーパーからの食い物で 豪華な宴会になった。

この宿は 日本人より 外国人が多いかも・・? つまり 激安宿をネットで見つけてやって来るやから用のホテルなのだ・・。 よって すべて英語での説明書だってあるのだ・・。

エレベーターとかで出会う人たちは ほとんどが アジアの外国人だった。

朝御飯を求めて・・宿の近くをうろつく・・。 この食堂もまた 激安! そして焼き魚は 自分で選んだのを食堂のおじさんにやると彼が焼いて持って来てくれる・・つまり焼きたてなのだ!

納豆だの・・熱々ご飯だの・・味噌汁・・ちょっと豪華に豚汁にしてみたり・・ とま~~ 高級ホテルのバイキング朝食は ずっと前に調理したのが そこに置いてあって・・味も落ちまくっている・・。

が! ここは違う! すべてが台所から調理されたばかりのが テーブルに並ぶのだ・・。 寒い気候では最高のごちそうなのだ・・。

朝から ビールを飲んでいる人もいる・・ある中? いや~ 夜十働いていたから 今彼が食べているのは 夕食かもしれない・・。 彼は疲れて これから寝るのだろう・・。

デカイどんぶりで食べた 豚汁のうまかったこと! 焼きたてのサンマもうまかった! 豪華に食べても 500円とか600円。

ニューだけ見ても なんか ワクワクするのは 私だけか・・・?

古い雑居ビルのにたたずむ 焼き鳥屋は 今でも現役なのだ・・。

宿のネットは 超高速で 常にサクサクだった・・・。

近くの駐車場で見た・・クランク! 車が動かせなくなっている・・。 こんなシステムは見た事がない・・。

つまり 超過料金を払わないと・・自分の車は動かないようになっているのだ・・。

誰がこの塀に空き缶をくくりつけるのか・・? 不思議だ・・。 これはタバコの吸い殻入れになっている。 そして ちゃんとたくさんの吸い殻が入っているのだ・・。

どこで手に入れたのか・・? タッパーに入った食べ物で食事をしていた。 本当にこの辺りは 膨大な人数のホームレスがいる。

私のセントラルヒーティングのある宿の部屋から ガード下にすむ人たちの延々と続く住み処を見ると・・ちょっとため息が出る。

日本 風呂


今泊まっている宿は激安宿・・1泊一人千2百円・・個室・・ でもって 風呂だってある・・。 無料。 で 石鹸だって着いている。

旅の間じゅう 手拭いサイズのタオルを2枚、 一枚はバスタオルの代わり、もう一枚は足拭き用。 足拭き用タオルって旅の間はすごく重要。 シャワーから出てすぐ濡れた足でサンダルとか履きたくないし・・。

その他は石鹸、シャンプー、リンス、かかと擦り、垢擦り布(手の平サイズ)をずっと持ち歩き・・安宿のみなので・・・それは 常に必需品・・。

日本に来る前に ”日本じゃ~ どこに行っても風呂グッズは設置してあるし・・ もう全部不要かな・・?” と思っていたが・・ もしかの時に! と持っていた。

やはり 予想は的中! 激安宿には 絶対必需品だった・・。

行ってみると 銭湯の風呂の半分ぐらいの大きさ・・洗い場は二人分しかない狭い物ではあるが・・ なんせ 他に誰もいない・・。

もうもうと湯煙の上がる風呂場 そして 湯船の中にはたっぷりの湯・・その中に冷えきった体を沈めると・・うをぉ~~・・ えぇ~~湯じゃ~~・・と唸ったのだ・・。

なんせ 今まで実家の家にいたが・・一軒家だからか・・ 老朽化した家だからか・・その寒さと言ったらないのだ・・。

いくら風呂に熱い湯を入れても・・湯からでたトタンサブ!! 湯に浸かっていると暑くなる・・が・・やっぱ 湯船から出ると寒い!のだ・・。 我慢して チャッチャと体を洗って又湯船に浸かる・・でも やっぱ 暖まらない・・ もう仕方がないので・・湯船から急いで出る。

そして脱衣所で服を着る間もさぶ!! 廊下にでたら・・ もっと寒い! 部屋に行っても凍てつく寒さ・・。なんせヒーターがぶっ壊れているのだ・・。

布団も煎餅布団で・・スースーする・・。 何枚も重ねても いっこうに体は暖まらない・・。 日本についてからも そんな毎日だった・・。

激安宿の風呂に話をもどそう・・。

それから1時間以上も風呂に入っていた・・垢を擦ると・・いくらでも出て来る・・かかとを ナツメグとかを擦るようなチッコイ大根おろしのようなので ガリガリと擦る。

なんせ かかとは干からびた鏡餅のようになってるし・・。 根気よく擦っていると だんだん垢が磨れて来る・・・。 で ドンドンかかとが ツルツルになって来る・・。 

摩れたかかとの垢は ドンドン山のように収穫出来て 最後には 大根おろしのような物が大さじ山盛り一杯とれたのだ・・。

も~~目にみえて かかとの垢が取れるので・・ 面白くなる・・。 結果 両かかとはツルツル!

指の腹がシワシワになるのはもちろん 最後は手の平全体がシワシワになるほど ふやけてしまっった。 

皮膚をちょっと擦ると 垢がゴロゴロ出て来る。 私は垢擦りの布(絹だがとても荒い目の布)これを7ヶ月の旅の間じゅう手の平サイズに小さく切って回りを縫ったのをもちあるいた・・。

で シャワーの度に その荒い布でゴシゴシと擦っていたから 垢なんて 全然溜まってないと思っていたが・・・ そんな事はない・・。

やっぱ シャワーでは絶対に出てこない垢が出現! 日本の風呂はいい! 体の芯まで暖まるし・・。って事は シャワーでは絶対にふやけない肌が 風呂では 完全にふやけるようだ。

安宿の風呂は大阪御堂筋線とJRの交わった角に立っている・・よって 電車の音がひっきりなしに聞こえる・・・ がたん・・ごとん・・ と 湯船に浸かって・・耳を澄ますと聞こえて来る・・。

電車の中で疲れきって仕事を終えた人々の事を思う・・。彼らの肌は汚い空気にいっぱいのバイ菌と汗等がネットリと着いているんだろうな~~・・。

こうやって たっぷりの湯にふぅ~わ ふぅ~わ 浮いている自分はなんと幸せなんだろ~・・と思う。

湯の中で暑くなると・・湯船の外に出て 湯船の縁の狭い所に横になる・・冷たいタイルが心地よい・・頭の中が空っぽになって・・ 外から来る街の喧騒にだけに耳と脳みそを集中する・・・。

こんなに長いこと 風呂でゆっくりできたのは いつだっただろうか・・。

湯から出る頃は 体全体の肌がキコキコになり・・外の冷気に当たると もっと気持ちがいい・・。 セントラルヒーティングの効いた部屋に戻ると 汗が吹き出るくらい 体の芯まで暖まっていた・・。

やっと 日本にきたんだな~~・・と思った。

2015年1月4日日曜日

日本 家族親族保険システム


私は母親が肺結核の療養で 幼児期に野生児になって育った・・腹が空けば・・食い物を漁る・・昭和30年代と言うのに私は裸足でいた事が多かった。

つまり 靴とか言うのもは 小さい時に買って貰ったのしかなかった。 母親が家に戻って・・・私は極端に小さい靴を爪先を曲げて履いていたと言う・・。

母親代わりにいた女中は 私を叩いたり したたかに摘まんだりしていた・・。 あの摘ままれた後の痛さは今でも忘れない・・。

つまり 母親不在の間 家を牛耳っていたのは女中で その女中から逃げ惑うのが私の毎日の生活だった・・。 そこに2才下の妹がいたが・・ 彼女は常に私の小判鮫のような存在で 引っ付いていた。

そんな育ち方をした野生児・・つまり 自分の生存は自分で守る 母親は私が10歳になる
頃結核療養地から家に戻って来て突然に私の人権を無視する行動に出る。

10才の子供であった自分は あの頃すでに自分の人権を言うのを持ってしまっていたのかもしれない・・。

私の考え 感性 行動をことごとく無視され 否定されると言う毎日が起こった。
それは もう 拷問のむしろに座らせられ そこには 反論の余地は一切なかった・・許されてなかった・・。

つまり 親は絶対、 父親の口癖は ”扶養されている癖に・・” と言う事だった。

子供の頃 ”扶養されている・・” と言う呪縛は 本当に呪わしい言葉だった。 12・3才の頃からは ”扶養さえされなければいいのだ!” と言うのが 頭の中に住み着いた。
以後 ”扶養されない” イコール自由を手に入れると言うのが 自分の生きる基本になる・・。 

以後 自分は大人になり いち早く 死ぬ気で海外に出る・・ そこからは 海外の”個人主義”に ドップリ浸かる事になる・・。

野生児で育った私にとって ”個人主義”と言うのは ぴったりのやり方だった。 つまり ”自己確立”は否が応でも迫られ・・ 全ての責任は自分で取り・・その代わり ”自由”を手に入れる。

と言う事は ”自己確立” と言うのが無くしては生きては行けない・・。 全ては自己責任で事は進む・・。

何をやるにも 全て”自己責任”でしか事は進まない・・。 人の助けと言うのは 一切期待してはいけないのだ・・。

日本社会では 特に田舎では ”付き合い経費”と言うのが 生活費用の大きな部分を占める・・。 これは絶対に怠ってはいけない費用なのだ・・。

助け合いの精神と言えば 聞こえはいい・・。 が! それは ”保険” と言う費用だと 私から見れば思える・・。

つまり 何かあったら 助けて貰う・・ よって それに対しての費用なのだ・・。 家族の付き合いも・・近所付き合いも・・親族の付き合いも 春夏秋冬・・冠婚葬祭・・ それらに大きなお金を投資する・・。

悪いと言ってるのではない・・ つまり それは ”個人主義”の社会とは全くもって違いすぎる社会だと 今回日本に戻って来て再痛感する・・。

結局は人生を 親・親族・知り合いのバックアップによって 成り立っているのだ。 つまり それが 恐ろしい程に 人生の”バックボーン” となって成り立っている・・。

と言う事は それに ”義理を欠いてはならない” と言う信条が強くある・・。 
”義理を欠く” イコール それはもう 人間ではない・・ と言う摂理がでて来る・・。 

さて 自分は 年賀状を言う物すら・・子供の頃以来ない・・ 付け届けもした事はない・・されてもお返しと言う物もしない・・ ことごとく ”日本社会保険システム”を利用しなかった・・。

つまり 日本人からみたら ”義理を欠いた人間” を生きて来た。

が! 海外にでて ”個人主義”を知ってしまった後は その方向に没頭した・・。 産後の日達が悪く・・ 寝床にいながら一日12時間も内職をする日々が続いた事がある・・。

一日12時間働いても 100円にしかなかった・・ が 一ヶ月で3千円になる・・ 37年前 高卒の初任給が優に10万円を越している時期にも・・ 一ヶ月3千円は 私にとっては 大金であった・・。

よって その内職を出来ない事は飢える事になった・・つまり 大きな食費になったのだ・・。 それは 何年も続いた・・。

子供を預けて働き出した時も このまま死ぬのでは・・と思った事は何回もあった・・ 早朝からでかけ 子供を預け・・昼の横に置いてあるオニギリ一つを口にする時間もなく 働いた・・。

夜も勤務服のまま ぶっ倒れるように朝まで寝てしまった事も何回もある・・。 親はなくとも子は育つと言うが・・ 私の子供は保育園・学校・学童保育で育ったような物だ・・。

海外移住した時も そこら辺で野垂れ死にしてもいい と言う覚悟で行く・・。 

常に”死”を覚悟して望まないと・・何も始まらないのだ・・。 誰かが手を貸してくれる訳でもなく・・ 全ては自己責任だから・・。

”個人主義”は ”利己主義”とは全く違う。 それを混乱する人がいる・・。”個人主義”では キチンと自己確立さえできていれば・・生きて行ける・・しかしそれは絶対に容易ではない・・。

常に自己責任が課せられる・・が 私は海外移住してから・・弁護士も何人も代えた・・。結局自分の価値観の合う弁護士に今は出会っている・・。

最近は4年越しに戦っていた相手に勝利した・・。 もし私が最後の判決に旅にでていなかったら 完全勝利且つ相手にお金を払わせる事もできた・・と弁護士は言っていた。

4年越しの戦いは長かった・・私の弁護士は粘り強く 私に付き合ってくれた・・私の歯ぎしりを噛むような人権無視的行動をとったそのビルダーは何がなんでも許せなかった・・。

私は弁護士に依頼するとき 相手、つまり敵と絡んでいる金は微々たる物・・だが 自分のJusticeの為には そんなお金の何倍物弁護士費用がかかっても いい! と告げた。

弁護士も自分の事のように憤慨し・・私のJusticeを守ってくれた。4年越しの勝利後 私は膨大な弁護士費用を覚悟していた・・。その価値は十分にある・・。

回りの私の知人達は 自殺行為だよ・・と言った。 破産しようと自分の人権は守りたい一心だから・・私にとってはそれでもよいのだ・・。

結果弁護士は戦いに絡んだお金は殆どなくし・・彼の弁護士費用も微々たる物であった・・。 そして 自分の事のように喜んでくれた・・一緒に個人的にお祝いもしてくれた・・。

彼のクライアントで彼私用の携帯番号を持っているのは私だけだと聞く・・。

移住地で得た20年越しのビルダーは最初は若造だったが・・今は何人ものビルダーを雇い・・現場監督兼彼の右腕の男をも得ている・・。

仕事も億と言う大きな物ばかり手掛けるようになっていた・・私が仕事を頼もうにも・・何年先までも先約が入っている・・。 だんだん私から遠くなって行ってると思ったが・・私が困っていたら・・どんな小さな事も 私が自分でやっていると 見てられないとばかりにと一緒に日曜大工的な事をやってくれる・・。

なんでも困ったら すぐ俺に言え! と言ってくれる。 本人が来れないと必ず使用人の大工を寄越す。 あまり小さな仕事は金の請求もして来ない・・。

電気屋も同じだ・・彼は電気屋はもちろん 大きなビルの消防法アラームシステムもライセンスをも持ち・・TVアンテナ配線 電話配線 インターネット配線 取りあえず 全てのライセンスを持っているので・・・大きな仕事をガンガンこなす。

しかし 私が丑三つ時に困って電話しても・・やって来てくれる・・何があっても どんな時間でも 日曜祭日でも 携帯にでない事はない・・。

友人で今 電話して泣きつけば 次のフライトで私のところに飛んで来てくれる人がいる。 彼は何ができると言う事はない・・ どちらかと言えば常にオケラ状態。

だが 電話も忘れた頃に彼からかかってくる・・”大丈夫か?” と言うから 私が ”うん” と言うと ”じゃ~よかった” といいすぐ電話を切る。

信頼・友情は個人主義社会でも立派に築きあげる事ができる。 義理人情と似ているところもある・・。 

自分はたくさんのそんな人に囲まれて突っ走って行けるのだ・・。
それは 家族親戚保険システムとは全くもって違う物なのだ・・。

人生は ”守り”に入ったら おしまいだと思う・・。 つまり ”守り”イコール 先はない・・。私には守る物は何もないのだ・・。 

さして言えば 私を無条件で支えてくれて 信頼してくれる人を裏切らないと言う事だけだ・・・。 

自暴自棄ではない・・ 常に自爆を背中合わせ・・つまり死ぬ気で突っ走る・・それしか方法はないのだ・・。
他の事を選ぶ選択枝はないのだ・・・。

バックアップとか言う 日本社会の家族親族保険なぞないのだ・・。 3回結婚したが・・ 女として 扶養される・・と言う・・”甘い” ”優美”な経験をした事はない・・。

常に 自分の足で綱渡りをしている・・ いつ奈落の底に落ちるかも解らない・・そんな生き方しか 私は知らない・・。

もうすぐ90才になる母が 私の夫がテーブルにあった食器を片付ける姿を見て・・”優しい旦那さんに出会ってよかったね” と言う・・。

思わず私の口から出た言葉 ”私はあの人に 一銭たりとも扶養して貰った事ないし” なんともかわいくない返事だろう・・ だが そのままなのだ・・。

男に扶養された経験のない女は・・自分の足でしか立った事のない女はそうなって行くのだ・・。

死ぬほど自分の夫を呪った時期も多々あった母。私はうんざりするほど愚痴をきかされた。 私が高校生の頃から ”あんたも女だからわかるでしょ?!” と 訳のわからない事を涙ながらに愚痴っていた・・。 

父は若い時から女を外に常に作っていた・・。 70才になっても 80才になっても 女を作っていた・・何十年も同じ女をもっていた父・・それが 二人同時に女を作っていた時期も相当の間あった・・。

だから母も父を呪った・・。 が 私が離婚を勧めても・・絶対にそれはなかった・・。 つまり 専業主婦の”妻の座”にしがみついていたのだ・・。

そして 父が死んだ後は 心身共にボロボロになった母。酷い鬱に落ち込み 手がつけられないぐらいになった・・。 

これは 日本社会に見る典型的な ”自己確立”のない人間と言えよう。 日本社会で言えば それは ”普通” だから それを私は非難する気は毛頭ない・・。 

そして 父の外の女は一銭も父からは貰えない・・が・・妻の座である母は扶養される権利がある・・父の死んだ今でも 公務員であった父の年金を妻は受ける権利がある・・。
よって 贅沢な介護施設にも入れる・・。

これなのだ・・”日本社会の家族保険”と言う物は・・。 ましてや 父の先祖から継がれた土地もある・・。 全て それは 法的妻である母が受けとるのだ・・。

自分の生きてきた ”個人主義”は その ”日本社会保険”と言うのが無いだけ・・常に綱渡りだ・・バックアップはゼロなのだから・・。

自分は訳の解らない病気が取り付き 苦しんで苦しんで 救急車で運ばれ・・このまま死ぬのでは・・と思うことも何回もあった。

無理ばかりして自分の体を省みる余裕もない自分は 医者の言うことばかりなぞ聞いていられない。 そんな余裕はないのだ・・。

もし 医者の言う事を そのまま聞いていたら・・ 自分は 今ごろ薬づけになって・・病院にいるかもしれない・・と思うことがある・・。

血液検査は毎月医者が私に強要する・・ドンドン検査検査の手紙が私の私書箱に舞い込んで来る・・。つまり 正常値ではない結果ばかりでてくるのだ・・。

”守り” ではなく ”攻め”だけで生きてきた 私の体は 老年期に入り心身共に極限に来ているように思える・・。 が 綱渡りの人生は 立ち止まる事は許されない・・立ち止まるイコール 死と直結する・・。

商売をしている事 イコール それは綱渡りなのだ・・。一寸先の事は何も解らない。

私の故郷になっている クライストチャーチの大地震で 建物を失い・・商売は停止状態になった事がある・・。つまり無収入イコール多大な必要経費は否が応でもでて行く・・。 つまり大赤字・・。

停電・水道停止状態の大地震後・・井戸水を運び 薪で火をおこし・・私の貯蔵庫のような冷凍庫の食料で回りの人達の飢えをしのいでいた時は・・ もう完全に 綱渡りの綱から 奈落の底に落ちた・・と言う感があった・・。

突き進む力も全く失せて・・ 人気の居ない裏の壁にフト背を寄りかけた時は 足が砕け止めどもなく涙が溢れて仕方がなかった・・。

もう 私の突っ走りは終わったと思った。死んでもいい・・ もう疲れた・・立ち止まって一息いれたい・・それだけだった・・。

35才になる息子が私の商売を嫌々手伝っていたので・・ もう 全ておしまいにしよう・・と 私が言うと・・ ”俺はやる” と言う返答が返ってきた。

彼もまた ”個人主義”の社会で育ち・・日本社会の家族親族保険なぞ なにもない人間なのだ・・。 それなのに・・”俺はやる” の一言は・・ ”俺がその綱渡りをやろう” と言
う事なのだ。

その時 私には バックアップは皆無と思っていたが・・目に見えない物が いつの間にか育っていたように思う・・。

日本社会の家族親族保険を強く持つ人間には 絶対に理解の出来ない ”個人主義”のすさまじい世界なのだ・・。

日本社会の家族親族保険を強く持つ 日本の私の家族は 一切私の生き方を肯定できない・・私の生き方は自分勝手の自己中心的な行動としか写らない・・。 

つまり 私の生き方を全否定している・・卑下すらする・・傲慢としかとらない・・よかれを思って老朽化した母の家に金を使っても ”金持ちぶって” ”人を貧乏にん扱いして” と言われる・・。

一日12時間労働で100円の収入、腱鞘炎になりつつも 産後の日達が悪く 床に横になりつつも働き続けた事は 今もなお私の身に染みている・・。 

100円のお金も・・落ちている輪ゴムも無視できなくて・・拾って大切に仕舞うドケチぶりも 今も変わらない・・。

身をすり減らしながらも そうやって 生きて行く方法しか知らない・・その生き方を少しでも揺るがしたら 綱から落ちると言う恐ろしさを抱えつつ・・生きるしかないのだ・・。

日本の家族親族保険システムが悪いとも言わない・・が ”個人主義”の生き方の人間がこの地球上にいると言うのを知らずに・・私の全人格をも否定する・・と言うのは あまりにも悲しすぎる・・・。