2021年2月25日木曜日

安心して年を取る

 日本の寝たきり老人の多さは 欧米に比べて ものすごく多いらしい。 そして 単に日本人の寿命が異常に長いの理由は 結局 寝たきり老人が多い為に 必然的に寿命が長い・・・ということで なんか 手放しで 喜んでいいのやら・・。

と言うにも もうすぐ70歳に手の届く自分が いくら日本人で 寿命が長いから あと15年はいけるかな・・? とか思っても・・寝たきりの状態で 生きてはいたくないなぁ〜 と常に思う。

こちらで Quority of Life と言う言葉をよくきく・・つまり 質のいい生き方・・つまり 寝たきり状態で生きているのでは意味は無い・・と私は自分の事はそう思う。

とりあえず 自分の食べる物は自分で食べられて・・・自分でトイレに行けて・・自立した状態で生きているのなら 生きている意味があるかな・?と 常日頃思うのだ・・。

人に食べさせてもらって おむつをしつつ・・人の人生をも狂わせる程の厄介をかけてまで 自分が生きながらえて その意味があるのか・・? と思うと・・そうは思わない・・。

病院でも 食べられなかったら 食べ物は胃に管で入れたり・・人工呼吸機をつけたり・・。 それは 体自体が生きる事を拒否しているにも関わらず 無理をして生かされているし・・。

ある医者が言っていたけど・・無理して肉体を生かすようにすると 本人はとても苦しむのだそうな・・。

私は ここニュージーランドに30年以上生きて・・犬・猫を数匹飼い・・その猫ちゃんや 犬ちゃん達と 15歳・16歳になるまで一緒に生きて 最後は天国に見送った。

犬・猫は 生きる力がなくなって来て 死に向かうとひとりでに認知して・・人間から 世間から身を隠そうとする習性がある。

頑固にベッドの下に隠れて 出てこないとか・・猫は 遠くに一人で行ってしまって帰って来ないとか・・でも その死骸は決して人の目に触れない・・とか・・。

そして ニュージーランドの獣医は 無理して生かすということはしない。 いくら医療費を稼げるとしても 動物がこれ以上無理して生かしておくと 苦しむという線を知っている。

そして 飼い主に安楽死を勧める。 最初 安楽死を勧められた時はショックで どうしていいかわからなかったが・・動物が苦しむのだ・・ その苦しみを 飼い主の勝手で長引かせる事は動物にとって 拷問である・・と言うのに気がついて・・安楽死もいい事かも・・? と 思える様になった。

もう立つ事もできなく・・食べる事も拒否し・・長い事獣医にかかって・・これ以上の治療はなんの回復方向へには向かない・・となると 犬猫にとって その時から 拷問になるのだ。

早く 動物の希望の合わせて 楽にして上げる事が愛情なのかも・・・? と思う。

そして それらの自分のペットの死に直面してから かなり現実的に自分と言う人間にも当てはまる・・と思うようになった。

苦しい思いをして 他人に厄介をかけて 回復の無い状態で 延命措置をしても なんの意味がある事だろう。

ニュージーランド国も今度安楽死が容認され 今年の11月から施行される。

自分に間に合ってよかった! これで 安心して 年を取れる・・・。

2021年2月18日木曜日

普通の人間

自分の人生を振り返ると・・つくづく 自分は 多国籍の人達と 接した人生だったなぁ〜〜と思わずにはいられない。 

バックパッカーと言う 海外からやってくる ワーキングホリデーと言うビザでニュージーランドにやってくる若者がほとんどの宿経営。

 その国の人の名前を聞いただけで ラテン系とか・・ドイツ系 フランス系とか・・そして 中国人系でも 台湾、東南アジア人、 香港人 と色々あります。 その中でも どこの国籍かは なんとなくわかる様になって来た。 個人差はあっても やはり国民性気質も 明らかに見て取れる。 

 私が海外に出る前の時・・中学生ぐらいから 二十歳ぐらい迄は 外国人といえば 映画に出てくる人ぐらいしか知らなかった。

 そして 突然 20歳ぐらいから 私の生活は一変して 殆ど日本人以外の人の間で過ごして来たような気がする。 外国人と接していた時は 必死で 普通に付き合っていたが・・。今 自分の人生を思い起こせば・・あの映画でしか見た事のなかった人たちが 生身の人間として 今 私の目の前で 私と対等に接している。  

 まるで異国の 全くの異人としか見れてなかった 怪しげあ生物が 今は 普通の人として 普通の人間として 自分と全く同じ対等な人間としている・・と言うのが 不思議で仕方がなかった・・。

 今は 外国映画を見ても 別世界の人として見ていた外国人が ずっと身近で・・私のあの友人と同じ国の人と見れる様になってる。 夢のようなフランス映画の主人公であった人が 友人と同じような顔をしていると・・あぁ〜 あの映画の主人公と同じく この映画の主人公も タダの人なんだなぁ〜 と思う。

 私がバックパッカーの宿経営をしている間に 1年間フランス人の男の人が 宿で働いてくれた。 彼とのつながりは 人間的にとても強い物だった。 

カナダ人、スイス人とか 色んな人が 宿の客だけではなく 宿の従業員としても いてくれた。 友達になりすぎて・・私の自宅に住み着いた 外国人も少なく無い。 そうして寝食を何ヶ月も共にした。

 私が初めて外国人の中に入ったのが 東京に住む アメリカ人家族だった。 英語を話したいということで 私は英語環境どっぷりの 住み込み女中でもすれば 英語がすぐ覚えられると考えて その手を考えた・・。 

 ラッキーな事に その頃 外国人家庭(とびっきり金持ちだけ)で女中を探している家は いくらでもあった・・。 何件も家庭に訪ねて行くと だんだん気が重くなってきた。  というのも どの家の奥さんも 私をゴミ扱いした。 どう考えても 「あんたは教育の無いバカだから家畜並ね」的扱いをした。 部屋も ダンボールの積み重なった倉庫が 私の部屋と紹介される。 そんな家を何件も回って行くと・・もう やめとこ! と思い始めた。 

 そして 一つだけ 女中ではなく ベビーシッター それも 時々働くと言うのがあった。 その代わり お給料はポケットマネー程度。 面接に行くと 私を長年のお友達の様に扱う。 あれ?! 違う! 全然 ちゃうし! ま〜 いい いや これはいい! お金とかは問題ではないし・・住み込みだから 英語だけの世界にはいれるし! ということで 即決定! 

 以後 子供は2歳半の 第一反抗期の 足跡まで憎いと言われる 一番扱い難い時期の子供との戦い。 しかし! この子供 どんなに反抗しても 憎らしい事をしても 親は 私に任せるのだ。 

私は怒ってもいいし・・暴力さえふらなければ その子の接し方は 私に任されてしまった。 と同時に 親の権限も私に譲ってくれたのだ。

 そうなると 私の子供の扱いが ものすごく楽になったのだ・・。 子供がだだをこねて 何がほしいとか 何がしたいとかごてても 全部 「Norikoに訊きなさい。Norikoがいいって言ったらいいよ」と 親に言われる。 

 渋々 子供は私の顔色を伺う様になった。 つまり その子供は私に絶対服従をしいられる様になるのだ。 親の作戦大成功なのだ。 つまり 母親はもうすぐお産で その子の面倒を見つつ お産は大変になるのだ・・。 なので その子が 私になつくのが 母親にとっては一番のお手伝いになるのだ。 

 その子は 最後には 寝付く時私が読んでいた本をのけて 私の首を掴んで 私の顔の目の前で 寝息を立てる様になった。 出かける時も 私のスカートの端っこを掴んでいないと不安で仕方が無い。 

電車に乗る時は 私の膝に乗って 私にべったり抱きついた状態で納得していた・・。

 ある日 その家庭で アメリカ人大使館の偉い人がそこのご主人で・・奥さんはお腹がでかいのに 大使館の仕事なのか ディナーパーティーをしなければならないと言う。 奥さんは 若いので かなり緊張して 私も手伝って・・ディナー料理を作り・・ティナーセットも全部整って・・後は お客さんを待つだけ。 

私は もう殆ど出す料理もできているので あとは かしこまって 料理をサーブしてゆけばいいので・・奥さんを お客さんおもてなしに 押しやった。 

 で!食事中に客の日本人奥さんが 私に向かって 「ちょっと あなた この私の落としたフォークを拾いなさい」と言いつけた。 私は慌てて 「かしこまりました!」 と言ってキッチンに行こうとすると・・ 

びびったのが その家の旦那さんと 奥さん・・「Noriko いい! いいから! 私がフォークを取って来る」と その家の夫婦二人が焦って立ち上がったではないか! 

 そしたら フォークを命じた 日本人の奥さんも 慌てて立ち上がる・・。 なんか大変な事になったのだ・・。 

結局 私があわわわしている間に奥さんが キッチンからフォークを持ち出し・・彼女は私に「Noriko もうあなたは自分の部屋に行ってて・・後は全部私がしますから・・」 と言う・・。 

 えぇ〜〜! まだまだ ディナーは始まったばかりだし・・ あんたそのでかい腹抱えて・・それもロングドレスを引きずりつつ これからの料理のサーブを一人でやるの〜?! 私がやります! と言っても 彼女は いえ! あなたは もう 出て来てはだめ!  私はハラハラ そして奥さんは汗をカキカキ 一人で頑張って やりこなしたのだ。

 その日本人奥さん夫婦は ディナーが終わったら そそくさと帰ってしまった。 そしたら 他のお客さんも居づらくなったのか 全員帰ってしまった。 みんなが帰った後・・奥さんが 「Noriko 日本人ってのは そんなに早く帰る物なのか?」って訊く・・・私は返答に困った・・。 

アメリカ大使館の偉いさんの旦那とその奥さんに召使いの代わりをさせた・・。ひどいことをさせてしまった・・と思って 帰ったのだ・・と言うのが私の見解・・。

 旦那さんと奥さんは 私を召使い扱いをしたのが 私に対してとても悪いことをしたと思って 私をかばっただけだったのだ・・。 その家族が ユダヤ人家族であると 言うのを 配管修理に来ていた男から言われた。 

が・・その時 私はその 「ユダヤ人」と言う事を言われても 「だから?」 と思うだけで なんの意味もなかった・・。 

 やがて その家から離れて 私は直接ロンドンに行くことになった・・。 他のアメリカ人家族が二人の赤ちゃんを抱えてアメリカ横断して ロンドンに2ヶ月かけていくので どうしてもベビーシッターが必要ということで・・私はその話に乗った! 旅費も食費も数カ月のホリデー期間中費用全部無料! 

だが・・私はその一緒に行くアメリカ人がそういう人かどうか?も 調べずに出発してしまったのが 地獄の始まり・・。  

 あの頃が 一番の私の人生の地獄だったかもしれない。 私はその奥さんにとっては まるで家畜だった。 バカだのちょんだの常に怒鳴られ・・休みはなく 二人の赤ん坊をあてがわれ・・私の休息所は 深夜時々 リビングのソファーで仮眠するだけ・・。 私はどんどん 食も細くなり・・ガリガリに痩せて・・鬱状態に落ち込んで行く・・。 なんでもないのに涙がこぼれて来る・・。 

 ロンドンについてからも その鬱状態は続き・・意を決して 私はその家を離れたいと言うと また 罵倒された。 が・・救われたのは 旦那が私の鬱状態を察して どこか 気が休まる家庭を紹介してあげる・・と言う。 

でも 私は もうそのへんで野垂れ死にしても もうその家庭関連の人のところには行きたくない・・と断った。 家を出る時 奥さんから ありとあらゆる罵りを浴びせられた・・。

その夜は汚く暗い宿で泣いてすごした・・。 オーペアビザの私は・・オーペアの家族を見つけるのが先決。 

そして また 一苦労。 毎日面接に行くが・・どこもかしこも 東京で面接に回った時と全く同じ・・どの家に行ってもゴミ扱いされる。 自分の寝泊まりする部屋は 倉庫と同じ。 最後にあきらめて 普通と思われる家に住みこむ事にした・・。 が・・大金持ちでなければどれでもいいや〜 と思ったが それは間違いだった・・。 

朝から番まで 奴隷の様に働かされ・・怒鳴られ・・1970年代はまだまだ 有色人種と白人の間の隔たりもあり・・ 

あるパブに行った時 一緒にいた 白人家庭の人に 「あんたはあっち」と言われた。 つまり 白人と有色人種は パブが半分に分かれていて 白人の場所に私ははいれないのだ・・。 ゴミ扱いされるのには慣れていたが・・ハッキリ差別された事はその時が初めてだった・・。 

 その家のステレオシステムが その家では とんでも無い ハイテク機械で私はそのステレオに2m以上近づいては行けないと言われた。 壊すからというのがその理由・・。 

 ある日洗濯機が壊れたら 私のせいだから弁償しろと法外な額を言われた。 私は怒鳴られ続けるのが限度に来ていたので その瞬間 なけなしのお金を全部支払って逃げる様にその家を出た。 

 また 住み込み家庭探しを始める。 そんな中 ホームレス・・? と思えるような薄汚い日本人の私と同じような年頃の女の子にであった・・。 なんか私に要求して来る・・。 彼女は 何を訊いても 「んなもなぁ〜ないよ〜!」としか言わない。職も家も無い・・「VISAはなんのビザ?」と訊くと・・同じく 「んなもなぁ〜 ないよ〜!」と言う。 私が 「出国する時に捕まるんじゃ〜ない?」と言うと 「もう日本には帰らないからいいし・・」と言う・・。 

 その時 私はゾッとした・・。 このままで行くと 私も この薄汚れたホームレスに成り下がる・・。と焦った。 

 それから 真剣に住み込み家庭を探し始めた・・。 なんとなく・・東京で住んでいたアメリカ人家庭の夫婦のような温かい感じの家を発見! 

 イギリスのオーペアビザと言うのは 外国から英語を学ぶ為にくる若者が取得できる物で 家庭に住み込み 1日2〜3時間 奥さんのヘルプをして・・ポケットマネーをもらい 公立の殆ど授業料無しの英語学校にも通える・・と言う物だった・・。

 私はひどい目にあってばかりで ロンドンについてから 半年もたっていながら そのオーペアビザでありながらも ちゃんとした オーペアをさせてくれる家庭に出会ってなかった・・。 

 ということで 私はその感じのいい奥さんに トライやる期間を設けた・・4週間双方がハッピーであれば 継続。 朝9時から11時迄赤ちゃんの世話。 それ以外は一切やらない。 それ以外の時間は完全自由、つまり拘束なし。 ポケットマネーも設定。  もしそれ以外のベビーシッターは 1週間前のNotice無しではやらない。 の条件を 奥さんは わかりました・・と飲み込んだ。

 その家は とんでも無い金持ちで・・親戚も全部血縁は 大きなお屋敷に住み 運転手付きのリムジンがあり・・何人もの召使いがいるのが普通。 でも その私が決めた家は金持ちだったけど・・若夫婦でそこまで大きな家ではなかった・・。 

奥さんはお嬢さんで育って・・料理は一切だめ。 私が作った かんたんなオムレツを 物欲しそうに見ているので 食べる?と訊くと ものすごく喜んで食べた。  奥さんはいつも 家の中でもハイヒールを履き 高級服を来て・・全てが高級感いっぱい! 私の部屋もインテリアデザイナーのデザインした部屋で 洒落てて まるで インテリア雑誌から飛び抜けて来たような すごいところだった。 私専用のバスルームもあった。  

 私がその家に入る迄は 看護婦さんが 1歳の赤ちゃんを育てて来たので 奥さんは一切その赤ちゃんに関わっていなかった。 なので そのあかちゃんは 私を母親と同じぐらいに慕った。 今までの看護婦さんは かなりの年寄で 赤ちゃんを椅子に座って 見守るだけで 赤ちゃんと遊ぶということはなかった。 

なので 私が来てから その赤ちゃんは様子が完全に変わった と 奥さんは行っていた。常にキャッキャっと言いながら 私について来て・・私の名前を Nonoko!! Nonoko!! と 呼び続けるのだ。 私が現れると異常に喜ぶ。 

 結局私は 時間外でも そのあかちゃんと いつも遊んでいた。 私が一年後 その家を出て フラットに引っ越したら その赤ちゃん 鬱っぽくなってしまって・・私は何回か ベビーシッターを頼まれた。 そして その奥さんと旦那さんは 数カ月のヨーロッパホリデーを予定してるけど・・どうしても 赤ちゃんを連れて生きたいので・・あなたも来てくれないか? と言う・・。 

 私は 初めて 住み込みから開放され 自立の道を歩み続けたばかりなので どうしても その申し出は渋った・・。 が 二人は 諦めない・・週に3日だけ赤ちゃんの面倒を見てくれ。 それ以外は全部自由、 豪華ホテルでの別の部屋を取り 旅費も食費も 全て無料! お金も出す! と言う・・。 今 考えると そんな豪華旅行が タダで それもお給料も出る。 仕事だって行っても 私になついている2歳ぐらいの赤ちゃんと一緒に遊んでいるだけ・・それも週3日だけ・・。 だが それも辞退した。 

やはり自立した生活の魅力から離れたくなかった・・とんでもないお金持ちの奥さんの実家は大きな会社をやっていて・・「Norikoはすごく賢いし・・あなたの服装もセンスがよく品がある しっかしした誠実な人だから 私の会社で働きませんか?」ともいわれた・・・。 でも やはり 自由自在に 動ける様になった生活からは離れず・・私はそのまま 突っ走った。2年近く関わった 

その私を完全に見込んでくれた人達が ユダヤ人家族だった・・。またもや ユダヤ人が出て来た。

 そんな生活を送った事を・・ここニュージーランドに来てから またもや とんでも無い 人種差別を受け・・と言うか 有色人種を白人が見る目と言うのを 嫌と言うほど体験する日々。 

 70歳に手が届く今・・ そして 宿を手放して・・完全自由な身になる・・と言う今・・ふと考える。 

もし私が日本にいたら そういう目で見られるということはもう絶対になくなるのだ・・。と思うと・・それもいいかも・・? と思うようになる。 がむしゃらに突っ走って来たけど・・もう そのがむしゃらも不要なのだ・・。 もう何も頑張る必要はないのだ・・。 自分が自分らしく 自由になれるのだ・・ と日々思う・・。

 私は 日本を出ると同時に 世界人種の中のマイノリティーになったのだ・・。  ナチスドイツのユダヤ人刈りの中に マイノリティー人も入る。 有色人種・障害者・同性愛者なども ユダヤ人とひとまとめにされたのだそうな・・。 ゲルマン人といわれる人達の中にいたら 自分はマイノリティーであり・・下層である・・というのは  今でも脈づいているのはたしかだ・・。 

 70歳近くになって やっと どこに行っても 唯一ユダヤ人だけが 有色人種の私を普通の人間扱いしてくれたのだ・・と言うのが わかった・・。

プチトマト

自家製プチトマト。
やっぱ 自家製は 甘い! そして トマトの香りがブンブンする。
夫に自慢して 持って行ったら いきなり どんどん口に放り込み・・危うく 全部なくなるところだった・・。

もう 25年ぐらい前になるが・・知り合いの家に行ったら・・庭じゅうプチトマトの苗だらけで・・トマトが無数になり・・無数のプチトマトが 土に落ちて・・荒れまくっていた・・。

私が感動のあまり・・これらの プチトマト ちょっともらっていい・・?
というと・・ どうぞどうぞ・・全部持って行ってもいいわよ・・と言う。

彼女が植えた訳でもなく・・彼女は 庭いじりなんて一切しない。
ただただ 無視し続けていた結果・・こうなったらしい。

私は 手入れの行き届いた庭 とか 畑とかにはあまり感動しないのだ・・。
手入れ無しで 植物がはびこっているのに なぜが ものすごく! 感動するのだ・・。

つまり 野生の群生ほど感動する物はないのだ・・。

だから 自分もなるべく手を入れなくても 生きて行く植物が好きなのだ・・。
ま〜 モノグサな自分だからってのもあるけど・・。

そして 奇跡のりんごを読んで また より 手入れをしてはいけないのだ・・と思うようになった。

いつか あの彼女の荒れまくった・・そして 広範囲にプチトマトがはびこった庭にしてみたいと 夢みている・・。

 

Lemongrass



                                         香りもん となれば 私は俄然 Lemongrass.
                          誰がなんと言おうと バカの一つ覚えのように Lemongrass.。

                        石鹸だろうと・・なんだろうと・・アロマオイルも Lemongrass.



だが! 私のLemongrass.の苗から獲った Lemongrass茶っぱ。
これのお茶は 強烈な本物Lemongrassアロマで 痺れるほど感動!

最近 人工Lemongrassアルマで満足していたせいか・・ それでいいのだ・・的になっていたのかも・・?

この自家製Lemongrass茶で目が覚めたおもいだ。

これだよ! これ! と 本物が蘇った。

このLemongrassの苗は もう4年越しに持っている。

ずっと前 外に植えていたLemongrassが霜にやられて死んでしまった。
その教訓から Lemongrassは温かいところに生息するから 冬の外では死ぬのだ・・と知り・・
また 新しい苗を 今度は大きな鉢植えで育てる事にした。

ところが 冬を越して 生きてはいたが・・ ただただ水だけあげていたら・・今度は 根腐れをしてしまっていた。
なんだか 全然成長しないな〜〜と思って 苗を掘り返してみたら 根が腐っていたのだ・・。

でも まだ すこぉ〜〜しだけど 生きてる部分があったから・・それを 水はけのいい土に植え替えて 育てたら・・ ちっこいのが3個 生き延びた。

その3個から ゲットした 葉っぱを このお茶にしたのだ。
そして そのちっこい苗は 大きくなって来て・・今度は 株分けをして今は 15株ぐらいになって 植え替えた。

これから もっと もっと 株を大きくして 株分けして とんでもない数のLemongrassをそだてようと思っている。

これからも何年かかるかわからんが・・すでに4年は付き合ってきた このLemongrass。
末永く よろしく〜〜!


Sproutsは最強!

spuroutsに最近凝っていて どんどん エスカレートしている。
これは エンドウ豆。
ザルの下の方へ 根が伸びているのが かわいい。
頑張って 伸びている様子がかわいい!

これは ひよこ豆。
数日で ニョッキリと芽が出るのが 生きてるぞ! と主張していて・・
がんばれよ! 一緒に生きようね! 
ってな気分にさせてくれて いじらしい・・。

あずきの芽がどんどん伸びて・・光を当てると 光に向かって 今度は 光合成を始めたのか・・芽が緑になって来た。
すごい! 生命力。
今朝も私は Spurious達に元気をもらっているのだ。



sprouts用 キットがネットで売っていたが・・
たか!
ということで そんなもん 買わなくても できんじゃね・・?
と思って そのへんのもんで じっけ〜〜ん!してみた。
ボールとザルさえあれば そのへんのもんで いけるのだ!

野菜の種とか豆とか あれば すぐできる・・。

最初は 面白半分・・(実際おもろく 楽しい)
そして 思ったのだ・・ 元気がもらえる。
だって こぉ〜〜んなちっこいのが 健気に日に日に頑張って グングン伸びるのを見ていると・・
私も生きねば! と意味もなく思えて来る。

で なんと! sproutsはアンチエイジング・がん予防・肝臓にいい・・
とか いいことばかり。

そりゃ〜 そうだろう・・こんなに生命力にあふれているし・・
生鮮食品だし・・

今 私は自分の土作りもしている。 化学肥料・遺伝子組み換え的な物一切使わず 野菜を育て・・その種を集めている。

って事は 純粋な自作種をゲットして それをsproutsにすれば 最強!!

 

2021年2月11日木曜日

sprouts栽培


私が sprouts育て に出会ったのは 50年も前の事である。
 色んな種を発芽させ モヤシ状態になった所で食べる。

日本ではやっている人には出会ったことは無い。

私が50年前にこれに出会ったのもアメリカ人の家庭である。

物凄く簡単に出来ると言うが 事実簡単だが やはり 気をつけなければ行けない点はある。

ネット等ではガラスのジャーにメッシュの蓋がなければsproutsの栽培は出来ない様にも感じる。

そんな物は無くても ザルさえあればすぐ出来る。
注意点さえわかっていれば誰でも  すぐできる。

注意点
1晩水に浸した種は 水でよく洗って よく水切り を する。朝晩2回する。

注意点
雑菌が増えないように道具はできるだけ綺麗に洗っておく

これだけ気をつければ sprouts栽培は可能

お試しあれ。


 


2021年2月8日月曜日

アナログ電話機は災害時備品

この固定電話機はぜぇ〜ったいに捨ててはいけないのだ。
大切に死ぬまで持っておくのだ。
災害時 水も電気も 電波も使えなくなった時のライフラインはこれしか無い。
固定電話でも受話器が本体にコードで繋がっているものでなかればならない。
つまり 受話器がコードで繋がってない場合は電気で繋がるので停電には使えない。

クライストチャーチ大地震では長期に渡って 停電 断水 電波塔混乱、つまり 即携帯も繋がらなくなった。

そんな中 この電話回線にソケットを繋ぐ電話は ソケットを突っ込んだ途端 なり続ける。

クライストチャーチ大地震では 大使館から 日本の大手マスメディアから 私のビジネスが 全ての通信中継地と化する。

こちらも疲労困憊してるのに いい加減にして! と大使館の人に怒鳴ってしまったくらい このアナログ電話機は活躍した。

もう 大災害はコリゴリだけど この固定電話機は ライフラインとして大切に取っておくのだ。

 

全部ゴミ
何十枚もの新品DVD, ディスクトップPC用品
WiFiやデータ通信が主流ではなかった頃の物
も〜 全部ゴミ。
仕事もタブレットや スマホで殆ど済む時代
どうしてもPCが必要でも タブレットサイズのラップトップがある。
メモリースティックも不要になって クラウドで済む。
最近 クラウドにもキャパが出てきて有料とか
でもちっこい テラハードドライブもあるし
巷は 日進月歩。
私の若い頃は...... ついこの前迄 PCもなければ ネットもなかったのに..........


 

2021年2月6日土曜日

人のホリデーと 自分のホリデー

 引退したら 旅にでたい・・・これは コロナで 閉ざされたが・・いつかは 旅に出る・・と思っている。

そして コロナで 私のビジネスは完全に殺された・・。 と言って 所有している 建物と土地を売りたいと思っても・・完全に 外国人向け宿のビジネスなので・・ これを買ってくれる人はいない・・。

ということで・・2年半の間 売却に躍起になって来たが・・絶対に 売却は無理という結論・・。

だからと言って収入はゼロで 不動産を持っているというだけで・・ それも 業務用不動産となれば 保険だの 固定資産税だの・・ を払っていては 借金がかさむばかり・・。

ということで・・売却作戦から 2年半もう維持費にも限度に来て・・不動産売却に 捨て値を出した。

私の弁護士は ”お前 気でも狂ったのか?”というほどの捨て値にしたら・・2時間ぐらいで 処分決定。

ま〜 そうだろうな〜〜。 買い手もついて その買い手もまた 土地ころがしで すぐ別の買い手に転がすらしい・・。 

つまり 私の売値は 完全捨て値。

さて・・でも それでも いい・・。 借金がかさむのが止まるのだから・・そうでないと 首でもつらなければならなくなる・・。

時間ができたら・・そしてコロナが終決したら・・旅に出るのだ! と 知人に言ったら・・世界旅行なら お金がかかるでしょう?(あんた捨て値で処分してお金ないべ〜? の意味) という・・。

その人のホリデーはいつも 高級ホテルに 高級リゾート地 とか豪華船での旅とかが 彼のホリデー。

ツラツラ思うに・・私のニュージーランド人の友人は全て! 全員! が ホリデー イコール 豪華ホテル 豪華レストランの毎日がホリデーなのだ。 

サーブする人間が 周りにいて・・その人間が 召使いとなり 自分は キング・クイーンの毎日をすることが ホリデーなのだ。

私が世界旅行がしたいというと・・そんなに金が無いのに・・世界旅行なんだできるの〜? 的目で見られる。

だから もう世界旅行をする・・なんて 人には言わない事にしている。 

私の旅は 言ってみれば 完全貧乏旅行なのだから・・。 大体大きな街や 都市には行かない。 どちらかというと発展途上の国々・・そして その中でも 田舎をウロウロする。 

田舎の土地で取れる作物の市場に行って それを食べる。 火を入れて 煮炊きする物は 自分で そのへんで火を熾して調理が基本なのだ。

交通手段も その土地の人が使っている物だけにする。 南米のチキンバスというのが縦横無尽に ほとんどタダ同然で走っているが・・もっぱら それを利用していた・・と誰かに言ったら

「よく そんな危険な物に乗ったのね〜〜! あれはとんでもなく危険なんだよ〜」と教えてくれた。 が・・だからといって 避けて通ろうとは思わなかった。

だって チキンバスが一番便利かつ ワクワクするのだから。 その土地の人と直接触れ合う事ができたし・・。 

そう考えると 私の世界旅行は ほとんどお金がかからないのだ・・。 自分の国で生活をしているより 旅に出ていた方が 生活費はかからない・・という事がほとんどなのだ・・。

今まで 人がホリデーに行く とか ホリデーに言って来たとか言っても そのホリデーの話を聞いても 全然 ワクワクしないのだ・・。

最近 やっと わかって来た・・自分のホリデーと 人のホリデーとは 全然違うものである・・というのを・・。