2020年3月31日火曜日

e-bike



Lockdown直前に ちょうどいいタイミングで E-bikeをゲット。

だが 子供の頃から 自転車には乗ってないので そう簡単には 自転車を操作はできない。結構 四苦八苦しながら自転車を漕ぐ。

ニュージーランドには ママチャリというのは ないのだ。
ママチャリなら まだ 操作が 少しは楽だけど・・・。

購入した 電気自転車も 私の体サイズなんだけど・・・。

クライストチャーチ大地震からの復興は ”自転車使用奨励”で 車での移動よりも 自転車人口を増やそう!的に クライストチャーチ市の道路は自転車道がバンバン作られている。

どこもかしこも びんびかの自転車専用ルートができているのだ。

ネットで クライストチャーチ市内の自転車ルートマップを見ると車移動の人より 自転車移動の人を尊重されるのでは・・? と思える程。

自転車の走れるルート沿いは 海際とか 川ぞいとか 公園の中とか 季節感をバンバン感じながら走れる様になっていて気持ちがいい。

自転車専用ルートには可愛い自転車のマークが 盛りだくさんに描いてある。
自転車専用信号も自転車マークでかわいい。

ここ中央分離帯は いつも春になると 水仙がおびただしくビッシリと 咲き誇る・・。
が 今日気がついたら 自転車道・歩道になっている。

自転車人になった 私にとっては 嬉しい限り・・。


片道10km 行きは張り切って一番電力の弱いので行く・・帰りの10kmは 電気力全開で家にたどり着く。

2020年3月29日日曜日

busy our Lockdown bubble

apple harvest season now

so sweet this year
busy preparing dry apple


done!


drying mint
much stronger aroma handmade tea


garden has been cleaned up for winter


walnuts has been picked up 


2020年3月25日水曜日

いっくら緊急時だとて心臓に悪い

これから Lockdownがはじまるよ〜〜の警告が スマホに入る。 いくらなんでも まるで 心臓が飛び出すほどのでかい警告音と通知が がなり出す・・。

2020年3月24日火曜日

神様 もうこれ以上の試練は私には無理です。

Lock down つまり 自分を監禁状態にしろ! 外出禁止と言う命令。 これから4週間も・・。

も〜 第二次世界大戦来の 緊急時・・ 人も 戦争並に どんどん死んでゆく・・。
戦争は 若い男子が 死と向かいあう・・。

今は 老人が死と向かい合う戦争的緊急事態になって来ている・・。 
老人は持病があるし・・体は弱っているし・・免疫力が弱い。 

特に我ら老人プラス喘息持ちとなると もう 呼吸器官をアタックするコロナは ウィルスをもらった途端 それは死刑を宣告された事になる。

それも 死はアッという間にやってくる・・。

1年半前に私は 自分のビジネスを退職して老後の引退生活に入っていたのが 突然 引退から呼び戻され 現役に 舞い戻るのを余儀なくされた。・・

以来ビジネス売却に全力をあげて 一年以上も戦ってきた。 値段を半額にしても買い手はいない・・・。

過労とストレスでヨレヨレの状態で コロナが襲う・・。泣きっ面に蜂。

ビジネスは シャットダウンを余技なくされ・・ その間も 60人ぐらいの客は 私の宿にロックダウンされている。 

膨大な緊急事態の対処を瞬時瞬時で 的確に判断して 決断していかなければならない・・・私の電話、インターネットの ありとあらゆる連絡アプリが鳴りっぱなし・・。

神様は どこまで 私に試練を与えるのか・・? クライストチャーチ大地震の時も同じ状態に陥る。 瞬時瞬時に 緊急事態の状態を 切り抜ける決断を迫られる。

誰に相談するわけにも行かず・・・とりあえず 国中 世界中の人が パニック状態なのだから・・自分の周りは自分で どうにかしなければならない。

人として 何をどう判断して決断するのが一番いいことなのか? 人相手のビジネスだから 結局 そんな自問自答で答えを出すしかない。

人として・・・人とどう接して・・・ 対応するべきか? それを基準にして 決断するしかない・・。
15人ぐらいの私の従業員は瞬時の私の決断と支持を待つ・・。

私は老人だから・・喘息だから ヨレヨレだから・・も〜無理! なんて言ってる場合ではない・・。

神様 本当に いい加減に私をたくさんの試練から 開放してください・・。 

2020年3月7日土曜日

アジアの女は2流?

アジアの女は2流?

白人の男がアジアの女を連れていると 女を家畜の様に飼っていると言う印象が 昔(1900年代はじめから終わり頃にかけて)はあった・・。

東南アジアを旅行していると 白人男が意気揚々とアジア人女を連れている。 大体アジア人女は 水商売女が多い。

ここニュージーランドでも 旅行をしていて・・白人男がアジア人女を家畜扱いしているのを見た事がある。 ホテルの隣の部屋で えらいでかい音がすると思ったら DV男だった。

部屋の外でも その男は女に命令ばかりしている・・・。女はアザだらけで泣いてばかりいた。 そんなのは よく見た。

そして 私と夫(白人男)が旅行をすると 高級ホテル・高級レストラン・空港チェックインカウンター では 人は必ず夫に話しかけ 必ず夫にすべてを決断させる。

どんなに私の意見や 質問を投げかけても 無視される。 先日なんか ただの店員にだけど・・・
「私が質問しているのに なんで 私の夫に返事をして 私を完全に無視するの?! 買い物をしているのは 私であって 夫では無い!」と言ったのだ。 

そのぐらい 私はゴミで どうせお金を出すのは 夫の方だから 私なんて 会話をする価値も無い・・質問されても 返事をする価値も無い・・と思われるのだ。

旅の予定を組むのも 宿の手配 飛行機の手配 それらの支払い すべて! ON Lineで何もできない夫ではなく 私の仕事なのだ・・。
だから 夫に話しかけても夫はチンプンカンプンで私しか わかってないのに・・。

Cast awayの映画で 両足をなくした登場人物が生きるのを捨ててやけくそになっていたが・・最後に新しい妻を見つけて幸せになる・・その妻がアジア人。

私のやっていたパートナーダンスに来ていた男の人が妻に暴力を奮って法的にその妻には何メートル以内には近づくな命令が出た。 
その人がしばらくして 新しい女を作ったけど・・それもアジア人。

私が南米旅行を何ヶ月も夫と旅行していた時 病気になって医者み診てもらった。 その南米の医者は 私とは 全く話はせず 夫とだけ話をして 挙げ句の果に 「あんたの女の最終学歴は?」 と訊いていた。

つまり どこで あの無能的女を拾ったのか? 的質問なのだ。 一言も私と話をしないその医者は 私が一言も英語を理解しないと判断したのだろう・・・あいつの前で何を言ってもどうせわからないだろう・・と思ったのか・・。

ジョンレノンの女が小野陽子で良かった! と思う。 彼女のおかげで アジアの女でも 色々いるんだ・・と言うのを あの時代に世界に知らしめてくれたから・・。

ゴールドカード

ニュージーランドに移住し・・少しづつ定着しつつあった・・。 クレジットカードも取得して これで 大丈夫! と 思ったけど・・・ そんなに神様は簡単には許してはくれないのだ・・・。

レンタカーも借りられなかった私をかわいそうに思って ゴールドのくれっじっとカードを私に与えた 銀行支配人。

あの頃 ニュージーランドで ゴールドのクレジットカードを持っている人はそういなかった・・。

普通のクレジットカードを作成するのさえ たくさんの審査があり・・それにパスしないと クレジットカードなんか 作れない時代だったのだ・・。

今でこそ ネットショッピングが盛んで 銀行が 勝手に デビットクレジットカードなる物を押し付けて来る時代だが・・。

あの頃のクレジットカードは 完全に信用カードと言って ちゃんとした職 ちゃんとした 高収入が無い人には クレジットカードと言う代物を手にすることも不可能だったのだ・・。

ATMなんて 存在しない・・。 カードOnLine決済なんてシステムすら存在しない・・。

だから まるで ホームレス的にしか見えない私が ゴールドカードを持っているって事が 店の人にとっては 信じられない事。

私のゴールドカードを見た途端! キャッシュで払いなさい! と言う。 キャッシュの手持ちがないから カード使うのに・・・と私が言っても 聞く耳を持たない。

店員が渋々 カード決済をしようとしたが・・カードの著名と私の署名が違う! このカードどこから盗んだの!! と も〜〜 犯人扱い・・。

私が盗んだのではないよ〜〜・・と言っても ぜんぜん聞く耳持たず・・・ 店の支配人まで呼んで来て・・3〜4人で 私を攻めまくる!

挙げ句のはてには 警察! 警察! と叫ぶ・・・私は 逃げる様に 店をでるしかなかった・・。

そして 銀行のマネージャーさんにまた 泣きついて ゴールドカードではなく 普通のカードにして貰った・・。

レンタカー会社 Ha....

1970年代は まだ キャッシュレス時代ではなかった・・。 すべては 現金で カード 特にクレジットカードを使う人と言えば・・ 私のイメージとして 借金だらけで破産すると言うイメージしかなかった・・。

そして 今でこそ 海外に出るのは クレジットカードは必ず必要になるが・・ 私にとっては クレジットカードイコール 借金破産と言う事で 断固としてクレジットカードは作らなかった。

霞が関ビルで意気揚々と働いていれば 色んな金融業者が出入りして カード作れ 作れと言って来る。

そんな感じで あのplasticカードなんか 完全に避けていたのが・・・ニュージーランドに移住して 一番先に必要なのは クレジットカードを作成する事なのだ。

とりあえず レンタカーが必要だ! なんせ 欧米はどこに行っても車社会だし・・だが お金を持ってても クレジットカードがなければ車は借りれない・・のは今は常識・・。

だが その時 アンチ・クレジットカードの私はどうにかしてレンタルしたい! と 真っ向からレンタカー会社に行って ひどい目にあった・・。

まるで 汚い物を見るみたいに シッシッと追い払われた・・。 現金で払うのに・・と行ったら レンタカーの建物から 強行的につまみ出された・・。 そんなひどい扱いをしなくても・・ と思われる程・・・。

と言う事で 私の銀行口座を一手に引き受け 家購入等全面的に付き合ってくれて 助けてくれた インターナショナルマネージャーが 私をかわいそうに思って・・ クレジットカードだけど ゴールドを作ってくれた。

一万ドルの買い物もカード一つでできるよ! と ま〜 私には無縁の事を言うのだ・・。

出来上がる前に レンタカーもかりれる様に 彼本人のクレジットカードナンバーを レンタカー会社に連絡してくれて・・・ 「なんでもいいから 好きな車を借りなさい」 と言ってくれた。

私は なんか 車なんか も〜〜 どうでもいいや〜〜・・と思っていたが・・せっかく銀行のマネージャーが言ってくれたのだから・・と渋々 あの私をゴミの様につまみ出したレンタカー会社のドアをこわごわと押した。

入った途端! 腰が抜ける程びっくりしたのが・・さっき私を ゴミ扱いしていた レンタカー会社の支配人が ミセス○○ と 手揉みしながら 近づいて来るではないか?

銀行のマネージャーは 私を彼の奥さんと言ったのだ・・。 ひぇ〜!! と 慌てて逃げ出したくなるほど ネチネチ・・・。

豹変とは まさに この事!

イミグレでの屈辱

オーストラリアの義理の母が危篤となって 私と夫はオーストラリアに飛んだ。 一週間してニュージーランドに戻って来て 空港のイミグレーションを通過する際私は 突然怒鳴られた。

「おまえは 何年オーストラリアに 不法滞在していたのか! どうせ 不法労働もしていたんだろう!!」と・・・。 

周りの人々は 一斉に白い目で私を見つめていた・・。 サポートしてくれるはずの夫は とうの昔にイミグレーションを通過して 姿も見えなかった・・。

もちろん 私が 「義理の母親の危篤で・・ 夫と・・」と言ったら どこに夫がいる! と 有無を言わさず・・・部屋に監禁された。

その部屋には 床にびっしりと 座りこんでうつろな目をした 黒い肌の人間達がいた。 私もその人達の間に 座り込んだ。

数時間監禁されて・・ 出ろ! と言われて 開放された。 謝りの言葉の一つもなかった・・。 いくら政府機関の権力のある人間でも・・ そんな事をしていいものなのか? 

私はちゃんとオーストラリアのビザも取得して・・ 経った一週間のオーストラリアの滞在を経て戻って来たばかり・・・。 

完全なるイミグレーションオフィサーの間違いなのだ・・。

やはり ”見た目” でしか人は人を判断しないらしい・・。

その後 私が日本のパスポートを捨て(日本の法律では二重国籍を許さない)ニュージーランドの国籍を取得したのは その理由なのだ。

夫と結婚し・・夫もニュージーランドのパスポートを取得させ・・私と夫の名字を同じくしたのも そんなこんなの事が頻繁に起こるからの 理由だ・・。

なんと 情けない・・・ふざけた理由の市民権取得と結婚なのだ。

私と夫が二人揃って 外国から 我等の”母国” ニュージーランドに戻って来た際 おなじニュージーランドのパスポートを空港イミグレーションオフィサーに差し出すと・・ 笑顔で ”welcome home!" と言われる・・・。

私の風貌は本当に厄介なのだ・・・。

イミグレとの戦い

息子がまだ 7歳ぐらいの頃だから 1970年代終わりか 1980年代に入った頃 私は イギリスに移住したいが為に 子供を連れて ロンドンに向かった。

あの頃は ネットもなく・・・ 私が1970年代にロンドンに2年住んでいた頃の情報だけをあてにして・・どうにか 永住権を取得できないものか・・? を模索していた頃だ・・。

とりあえず ロンドンに住んで そこから どうにか永住権につながる様な方向にやってみよう! と言うのが 私の渡航の理由だ・・。

が そんなこたぁ〜 口が避けても ヒースロー空港のイミグレーションオフィサーには言えない。 とりあえず私は 六ヶ月の観光ビザがほしい! を連呼した・・。

前もって用意していた・・銀行の残高証明書・・子供の学校の手配・・・ 私は ダメ元とは思いつつ・・かなりの準備をして 六ヶ月の滞在許可発行んい臨んだ・・。

すったもんだの挙げ句 なんと! 私は親子二人の六ヶ月の観光ビザを 空港でゲットしたのだ! やればできる! と言う自信をその時 会得したのだ。

その時の飛行機は パキスタン・エアライン かなり怪しい・・ 36時間かけて 日本からロンドンまでたどり着くのだ・・。 ましてや子連れ・・そうとう怪しい・・・。 

パキスタンエアラインで 1980年はじめの頃のバックパッカーの男達・・・多分8人ぐらいの子が居たと思う・・・彼らは 私が そのイミグレで擦ったもんだをしていた 一時間以上の間 全員私を待っていたのだ・・。

なぜか? その夜泊まる所がある子は誰も居なかった・・。 私が飛行機の中で 「どうにか見つかるさ!」 と言った言葉をあてにして待っていたのだ・・。

イミグレでやっと開放された私と子供は ぞろぞろと大人数を引き連れて 空港の外にたむろしている バックパッカーの客引き男との交渉をやった。 
その夜はまるで 修学旅行の宿の様なやかましさだった・・。

そんな経験から自信をつけた私だったが ニュージーランドに初めて足を運んだ時 イミグレで止められた。

日本の団地で捨てられていたビニールのバッグ一つを カートに紐で縛り付け・・・汚い格好で ニュージーランドを見に来た・・その夜に泊まる所も決めて無い・・と 言えば ま〜 それも仕方ない事かも・・?

私はいつもどちらかと言えば ホームレス的な格好をしている。好きでやっている訳でも無い・・。 

どうしても 無駄なお金は使いたくないし・・実用的な服装が好きだし・・ 日本の物の豊富な社会では 団地の粗大ごみ置き場が 私の生活必需品の宝庫なのだ・・。

家具も ミシンも 自転車も その旅行バッグも ”ゴミ”から引張だして来た物だから 見た目が言い訳が無い・・。

ニュージーランド大使館から 永住権発行をします! と言う確定ができて・・ それを聞いてニュージーランドにやって来たのだ。 

私は ニュージーランド大使館から 弁護士・公認会計士・銀行のインターナショナルマネージャー 等 家を買うのに 必要な人達を 全員紹介して貰って・・ ニュージーランドにやって来たのだ・・。

が その頃 私は そんな私的な事まで イミグレの人に言う必要も無い・・と思っていた・・。 ただ 観光に来た・・と言えば すんなり 三ヶ月の滞在許可は普通にもらえるのだ・・。

が! 私と言う人間は そんなに簡単に イミグレを通過できる代物では無いようなのだ・・今を思えば・・。

ホームレス的風貌で その日に泊まる所も無い・・となれば・・ま〜 イミグレに不審に思われても仕方の無い事かもしれない・・。 1980年代は クライストチャーチに日本人がやってくるって事もなかった・・。

今でこそ 日本人はニュージーランドの事はよく知っているが・・あの頃 ニュージーランドと言っても どこか ヨーロッパ? と言われたり・・ ニューギニアの間違いでしょ? とか言われたり・・・ ま〜 ニュージーランドと言う国がどこにあるのか? どこに存在するのか? も 全く知られてなかった時代なのだ。

だから ニュージーランドのイミグレの人が この怪しい女は日本からなにしに? と思ったのは 仕方のない事かもしれないのだ・・・。

イミグレと擦ったもんだ した挙げ句・・ 監禁されそうになったので・・ そ〜〜だ! ニュージーランド大使館で貰った 色んな人達への紹介状を見せれば どうにか私を信用してくれるかも? と見せたら・・

今まで 私を極悪犯人の様な扱いをしていたイミグレのオフサー達は突然 猫なで笑顔に豹変!

あの豹変具合の衝撃さは 今も 拭いきれない程私の脳裏に刻まれている・・・。

万引き犯

最近のスーパーは めっきり自動レジ式になって来た。 ここニュージーランドでは ほとんどのスーパーがそれになって来ている。

そこで エコの理由もあると思うが レシートはいるか? と機械が訊いて来る。 最初は いらんぜ! と思っていたが・・・ すぐ やっぱいる! となった・・。

なぜか? レシートなんか すぐ捨てる・・・ が! 私にとっては 家に戻るまでが レシートが必要なのだ・・。

家に着くや否や 捨てる。

昔 ニュージーランドに来たばかりの頃 私は スーパーの出口で おばさんに 胸ぐらを掴まれて・・・ 私の持ち物検査を 徹底的に公衆の面前でされた。 あまりにも 屈辱的な経験がある・・。

つまり 私は万引き犯と見られた。 もちろん 私のバッグの中からも どこからも 何も出てこなかった・・。 こんな事って 今になると 反対に訴えたくなる様な 屈辱的な事なのだ・・。

そんなこんなの出来事は一生の傷として 消える事は無い・・。

よって 今の 自動レジで見張っている スーパーのスタッフ達に対しても レシートは 重要な役割を果たしてくれるのだ・・。