2019年9月28日土曜日

タンゴシューズ


タンゴダンスを始めて 二年。
タンゴはお高くとまっている人種。 国籍を問わず 全員 お高くとまっている。
よって 自分より下手と思う人とは 絶対に踊らない。

そして 他人からみて 自分が思うほど自分のダンスレベルの高くは無いのも常。

そして 往々にして男が少ない世界。
ニュージーランドでは・・ほぼ同数。

だが日本だと断然! 男が少ない。
でもって日本でのタンゴで知り合いを作る事は 自分が相当のレベルで無い限りありえない・・。

という事で タンゴダンスをやりたい! と思う人間は 世界じゅうでものすごく沢山いて・・・でも 問題は そのいけ好かない人間に負けて・・ダンスが継続できないのだ。

とりあえず 初心者は孤独になる。
誰もはなもひっかけない・・よって ダンス会では みすぼらしくするしか方法はないのだ。
よって 辞めて行く・・。

じゃ〜 自分のパートナーを連れて行き 二人でやればいいのでは・・?
いやいや そんなカップルも沢山いるが だから大丈夫という事も無い。

私は過去20年間に カップルで・・とか 練習を沢山して! とか ま〜 色んな事をあの手この手で何回も繰り返した。

でも そんな簡単な物では無い・・。

つまり すんなり入れられる人はほとんどいないのだ。入れるとすれば・・

*飛び抜けて若くてきれい(半端なく美しく 若くなくてはいけない。 私は高齢・ブス・チビ・デブ)

*飛び抜けてダンスが上手い(初心者で上手くないから上手くなりたいから踊りたいけど踊ってくれる人はいない)

*飛び抜けて高尚な社交力を持っている。(私はとりあえず人とは話したくない。だからダンスがしたいのに・・。 知らない人にすり寄ってはいけない・・。

安易にすり寄る人種も大勢いる・・が・・なんせ敵は半端ないお高くとまっているやからだけだから そう簡単に受け入れられる事は無い。 

安易にすり寄ると 会から追放もある。 すぐ上層部に通報されて その人は出入り禁止となる。)

*タンゴダンスは 踊りたい人に目をつけ その人と目が合う様にして 目が合ってお互いが頷いた所で 一緒に踊る交渉が成立する。

(私はいくら先生が 会場を ぐるりとスキャンして 男と目が合うように努力しろ・・と言うが 絶対にそんな事ができる程ダンスに自信が無い。という事は ダンスのチャンスは皆無)

そんな こんなのハンディーだらけの私はボロの靴に ダサイ服・・それ以上の事は 私のダンスレベルにそぐわない・・。

しかし! やっと! 最近靴を買う気になって来た。

世の中には ダンスシューズと言うのの他に タンゴシューズと言う特別な物が存在する。

私は左の足がひどい外反母趾 よって 右と左がサイズが違う・・。
そんなこんなの困難を経て・・やっとたどり着いた靴。

ネットでしか手に入らない代物なので・・この写真の靴は イタリアへ何回も送り返し 作り直し等失敗を繰り返し・・5ヶ月後に たどり着いた私の靴。

もう一生こんな靴を履くことは無いだろうと思っていた・・。

でも これを履いて 陶酔して踊ろう・・これからは・・!

2019年9月16日月曜日

大量の処分品

今日は少し片付けをする。

上の写真は私のベッドサイドにあった箱を捨てて・・椅子を置く。
そして 以前あった箱の中身を半分以上処分。
そして残りの半分を 収納タンスに収納したら ベッドサイドが画期的にスッキリ!

最近は 私が死んだら 誰が私の物を処分するのだろう・・と思う。
その人の仕事を簡単にすべく ゴミは おいて置かない様に・・が モットーとして 整理する日々。

ゴミ屋敷に住む人達の気持ちが解る瞬間だ。
つまり どれもこれも 自分の生きるのに必要な”物”なのだ。

必要であった・・と言うべきか・・。

いやいや 何回も捨ててしまった物が必要で・・ 「しまった〜〜!」と思った。

が・・しまった! と思う事は 何回もあったとしても そんなに重要でも無いのにも また 気がつく。 それよりも 何よりも 自分が管理できそうもない物の量に膨れ上がるのが 怖いのだ。

いつも 私の物は 最低量で・・いつでも死ねる・・と思いきや・・一年 いや 半年もすると なぜだか物の量が膨れ上がる。

つい数カ月前に 持ってる服の三分の一を処分したと思ったが・・今日はまた 今ある量の三分の一の量を処分。

明日は キッチン周りを見直して たぶん 半分ぐらいの物は処分できるかも?

冷蔵庫はいつもガラガラだ。 私のほとんど物が入ってない冷蔵庫を人はびっくりする。

冷凍庫は別にあって・・結構でかい。 そこにはたくさん入ってる事がよくあるが・・今整理にかかっているので もうすぐ底を付きそうだ。

あとはパントリーの中にある物を整理したい。
食料はあまり入ってないが・・食器類やコンテナ類がたくさんある。 
すべて 捨てたくない 自分が必要だ! と信じて疑っていない物ばかりではある・・。

が・・自分がドンドン歳をとって・・そして 使うだろうか? と自問自答すると・・たぶん使わないだろう・・という事になるのだ。

私がもし まだ 40代とか50代だったら 使う物ばかり・・。
が・・歳を取って来ると・・色んな事をしなくなるのだ。

多種多様の料理をしたり・・たくさんの人を招いておもてなしをしたり・・もうそんな事はしたくない・・となると それに必要な”物”はもう不要な物なのだ。

たぶん フリマに出したら ドンドンみんなが買ってくれるだろう的物がたくさんあるが・・ フリマに出すのも面倒・・そんな事をするより リサイクルセンターに寄付する。

何回も何回も 膨大な量の”物”が リサイクルセンターに運ばれるのだ・・。

2019年9月15日日曜日

命の全う

早かれ 遅かれだれにでも 死はやってくる。 若い頃は 「そんな事当たり前じゃん」 と たかをくっていた。

が・・最近は ”だれでも死刑囚と同じ” と思える様になった。 いつ死刑の宣告が来てもおかしくない年齢に突入したからだと思う。

死刑囚の人は その日の朝死刑執行を知らされる。 つまり朝10時までに執行通告がなければ 次の朝まで 命が続くのだ。

自分もこのまま 平穏に 80最 90歳と行く訳ではないのだ。 いつ何が起こって死に至るかわからないのだ。 現に私の知る人 身近な人達が ドンドン 消えて行く・・。

明日は自分の番かもしれない。 

朝目が覚めて・・また 新しい朝が来て 私にもう一日生きる時間を与えてくれた神様に感謝したいと思うこともしばしば。

もし 病に倒れたり・・大きな怪我をしたりすれば そのまま 死に急行するのが老人なのだ。 ほとんどの元気な老人は 病や怪我がきっかけて 死がすぐそこに来てしまう。

しかし・・老人の死でいい事もあると言うのを発見した。

若い時は ”死” イコール恐ろしい物である。 つまり生命力にあふれている時に思う死は 残酷であり・・到底受け入れられる物でも無い。

が・・色んな経験を経て・・人は物忘れがひどくなり・・欲も少なくなって行く。 つまり刺激も欲しくない。

そして 毎日の生活も平穏になり・・生きる気持ちも少しづつ失せて来る。そして死を受け入れる気持ちにもなって行く。

そんな老人になって 命を全うできれば 最高かもしれない。

国の習慣の違いは気候の違いから・・・

真冬のニュージーランドから 真夏の日本に行くと いつも思うのは バクテリアの事。

高温多湿の日本の夏は 日本人の潔癖な程の清潔さ。 つまり 毎日洗濯をする。 毎日タオル類を変える。

毎日風呂 またはシャワーをする。 それも夜。

では ニュージーランド人 つまり 欧米の気候で生まれ育った人々にはそれは無い。 つまり いくら日本の真夏に行ったからとて 毎日の洗濯とか 夜体を洗ってから布団に入る・・と言った習慣が無いのでやらない。

日本で出会った欧米人風旅人 彼等はいくらインテリ風でも ちゃんとした感じの人たちでも 不潔な匂いがする。 汗から強い腋臭等・・・ 彼等は いかに高温多湿でバクテリアが繁殖しているか・・と言うのに気がついていない。

タオルと言う欧米から来た代物は日本の高温多湿には全然そぐわない・・。 特に旅をしていて・・タオルを持ち歩くと言うのは不可能なのだ。

ま〜 お金があって・・タオルがふんだんに使える宿に泊まれば 問題は無いが・・私の様な安宿しか泊まらないと・・タオルの持ち歩きは 不可能になる。 つまり 乾かないので 一日で臭くなる。

毎日洗いながら 乾かしながらの旅は不可能。

よって 手ぬぐいを持ち歩く。 手ぬぐいは体を洗うのにも使える。 風呂から出たら 固く絞って 体を拭く事もできる。 その後ちゃんと洗って きつく絞って 風通しの良い所にかけておくと すぐ乾く。 生乾きだったら ヘアドライヤーを当てると すぐカラカラに乾く。

つまり 日本の気候には 手ぬぐいは万能なのだ。

日本人が東南アジアとか トロピカルの外国に行くと あまり大変な事にはならない。 でも 欧米人が トロピカルの国に行って食中毒を起こしたと言う話は たくさんある。 

欧米人のバクテリア繁殖に横着なのは いつもの生活習慣を見ていると 如実にとって見れる。 あのやり方では 食中毒もさにあらん・・と納得する。

さて 反対の問題もある。 

日本人は乾燥にとても弱い体をしている。 肌がカサついて 皮膚が荒れる人がこの上ない。 目が乾いて目薬なしでは・・唇がカサついてリップクリームなしでは・・ と大変だ。

髪もガシガシなって・・手入れが大変になる。

他 アトピーの人の肌はてきめんに乾いてひどくなる。 つまり湿気が少なすぎて 肌が完全に乾いて そこから痒くなって来る。 肌が乾いて 割れて 血だらけになる人がなんと多い事か。

それから 見えない・臭わないダニに関しては 日本人は 完全に無力だ。 つまり 欧米人は 週に一回はシーツの取替をするが そんな日本人はあまりいない。 日本住宅のダニの多さは半端ないと聞く。

放射能汚染に無頓着な日本人は 見えない・臭わないからなのかも・・?

2019年9月11日水曜日

化粧品

最近化粧を真剣に始める・・。

百均の化粧品でも 最高級の化粧品でも なんでもいい・・とりあえず 闇雲に 色んな物を試した。

化粧品に関しては もう すでに 誰よりも知っているつもりだ・・。

最高ブランドであればいいと言うのでも無い。

最高ブランドは 人種を選ぶという事がある・・。
つまり お高く止まった金持ちおばさん、 それも白人のみ・・と言うブランド。
高いのはだいたいそれに当てはまる。

安もんは それなりに粗悪素材で あまり良くない・・と言うのも学んだ。

資生堂は世界の資生堂として 今は 世界どこに行っても 高級ブランドと肩を並べている。

白人でも無い私は 資生堂が合う・・・と 時々思った時期もあった・・。 が・・やはり それは アジア人向け的商品が多いのに気がつく。

ま〜 私はアジア人だから 合うのでは・・? と思っていたが・・私は私で どこにも属して無い・・と言うのにも気づく。

つまり アジア人でも 中国の北 つまりロシアに近けれ白い。 秋田美人は白い肌の人が多い。

フィリピン人やカンボジア人的の肌の色とは全く違うのだ。

一概にアジア人と一つにくくってしまえる物でも無い。

アジア人は 欧米人からすれば インド・パキスタン・中東の人も まとめて入れて考える人もいる。

そしてまた 年齢層によっても 化粧の仕方は違う。 日本・韓国・中国のキラキラ若者の化粧と フィリピン系の中年以上の女性の化粧とは全く異なる。

そして 気候が違えば 化粧品の質はまるっきり違ってくるのだ。 
湿気と温度は化粧品に大きく作用する。 

ニュージーランドで使っているものが 日本の高温多湿では使いもんにならないし・・・

日本でこれはいい! と思っていたのが・・ニュージーランドに持ち帰ったら 冷たい乾燥した場所では カッサカサのカッチカチで使いもんにならない事もある。

さて 結論!

私が辿り着いたのは MACと言う化粧品。 これは人種を選ばない。 つまり肌の色を選ばない。 キラキラ若者だろうが・・老年白人だろうが・・アフリカ系黒人であろうが・・ 大丈夫。

つまり 顔はキャンバス そこに どんな色を載せようが なんでもござれと 揃えてある。

気候も選ばない。 世界中どこに行っても同じく作用する。 

そして嬉しい事に飛行場の免税店の化粧品売り場の固まった所にはなくて MACは 飛行機に乗る前に必ず待ち時間が生じて来る・・その場所に店を構えているので つい覗いてしまう。

そして 若者ギラギラ肌であろうが・・しわくちゃ・カサカサ肌であろうが・・ちゃんと化粧ができる肌に仕上げてくれるのが MACの商品なのだ。

何気に一つの商品をMACから 選んだのが・・・堰を切った様に この商品だけに集中してしまった。

人種・年齢を選ばない色合いをすべて揃えている・・と言う所に 私は一番魅力を感じたのかもしれない・・。

ブレずに生きたい

若い時 粗野な私は 化粧はどうも 受け付けられなかった。
化粧水も乳液も気持ち悪い・・ クソ喰らえ。
つまり 野生動物並にやって来たのだ。

日焼け止めも リップクリームも 目薬も ハンドクリームも 無縁の世界で生きて来た。

それが・・ここ数年 歌舞伎役者か舞妓さんなみの化粧でも いいのだ! と 両極端に走ってしまった。

昔から 老人が化粧を・・それも厚化粧をしていると とても いい感じに思えていたからだ・・。
しわくちゃの肌に シミだらけの肌。 それでも 嬉々として塗りまくっているのをみると・・ その人が 華やかに見えて・・ハッピーそうに見えた。

人生もまんざらすてたもんじゃ〜ね〜なぁ〜〜 と思って最後の時をエンジョイしている人に見えた。

よって 私もその部類に突入しよう! と思ったのだ。
誰が どう言おうと もう そんな事 しったこっちゃ〜ね〜 自分さえ良ければいいのだ。
どんなに自分の顔に色んなもんをハデハデにぬったくっても 誰に迷惑をかける訳でも無い・・。

洗練された化粧品会社のポスターモデルのようには 所詮誰もなれないのだから・・。

そして・・・自分の顔を鏡で見ながら 塗りたくっていると・・ 毎回 横浜のメリーさんの事を思う。

↓メリーさんの事がちょっと解る
横浜のメリーさん

彼女の最後はホームレス。
そして それでもなおかつ 厚化粧をして・・・時々 ぼぉ〜〜っと 最高級のフランスの香水とか女の憧れのグッズがあるショーウインドウを覗いていたとの事・・。

すごい!
彼女は最後まで 女だったのだ。

骨の髄まで 自分が自分であるのを 貫いたのだ。
決して妥協はしなかった。

私もメリーさんを目指して 彼女の様にブレずに 生きて行きたい。

2019年9月10日火曜日

自分の位置が少し見えて来た

日本人として生まれ 日本で育った。 そして 闇雲に海外に飛び出して・・また 日本に舞い戻るが・・そこはもう 自分の生きる場所はなかった。

何をどうあがいてみても 自分は日本社会に根を張れる人間ではなかった・・。

かと言って 日本以外の国で 生きて行けるのか? と思った所 そう簡単な物ではなかった・・。 

それから 私は自分の根を張れるべく がむしゃらに生きて来た。 30年ニュージーランドで一心不乱にやってきて・・結果 ニュージーランドが私の根を張れる地になったか? と思うと・・ いやいや 絶対に 私の居場所では無い。

ニュージーランド人は私の顔を見ると「ニーハオ」と言う。 私に Helloと言うのではない人種と即座に差別される・・。

世界どこに行こうと 地球上どこでも 「ニーハオ」なのだ。

そして 日本に行くと 私の言動・服装・髪型・化粧の仕方は 決して日本人のそれでは無い。 つまり 日本では 私はアジアの外国人と扱われる。 買い物をしても英語で対応される事しばしば。

と 言うことで 私は宙に浮いた わけのわからない人種で どこにも根は張れないのだ・・・と 長年思っていた。

が・・ 最近 少しだけだけど・・ 自宅の中にいる分は 確実に”自分の場所”なのだ。

自分の土地があり・・自宅があり・・自分の部屋があって そのスペースは紛れもない ”自分の場所”なのだ。

そう思える様になった。

つまり ニュージーランドに自分のスペースはある。

人が 私の顔を見て 「ニーハオ」と言おうが 私の場所はニュージーランドにある。 

これからもこのスペースを大切にして ゆるぎのない自分のスペースを開拓して行こうと思っている。

人の場所に行くのではなく 自分の場所に人が来てくれる分には 私は私でいれるのだから・・ 人を私の場所に招待すればいいのだ・・。

田舎の土地は 開拓中止状態だが・・大きな納屋はパティー会場はすでにできている。

大きな屋根のあるデッキ・何十台物車が停められる駐車場・10人以上が寝泊まりできる施設・・・これらを完成に向けて やって行こうと思う。

それが完成したら 世界中の友人を招待して そこで 休んで・人生の充電をして・遊んで・楽しんでもらおう。

そしたら そこもまた 自分の場所になり・・そこに深い根が張り・・自分の場所はもっと確固たる物になると思う・・。

なにかふっきれた・・・

長年がむしゃらに生きて来て・・もう 人生の最終章に突入している。

なのに なんか 癖なのかそのむしゃらさが 出て仕方が無い・・。

もうちょっと肩の力を抜いて もっと シンプルにいきなければ・・と 思うばかり。
そして 肩の力を抜いてみたら 少しばかり 吹っ切れた様な気がする。

人に媚びる・・・自分では こびているつもりでは毛頭なかったけど・・やはり媚だったのかも? 人には礼儀をつくして 精一杯やるべき・・でも それは もう媚でしかなかったのかも?

つまり いくら頑張っても その人の為に・・・と私が思っても それは 私の自己中心的な思いやりであって・・・必ずしもその人の為にではないのかもしれない。

逆に 他の人も 私の為に・・私を想って・・と してくれる事が私の為という事も無い。

ならば・・もう 何も考えずに まるで完全自己中心でいいのでは・・と思う。

人からなんと思われようと・・自分の為に行動していいのでは・・。

残り少ない人生の時間を どう自分が使おうと それは 自分の物であるので それはそれで 許されるのでは・・と思う。

そう思いだしたら・・なんか いつもいつも 自己嫌悪とかにさい悩まされていたのが アホくさくなって来た。

自分が傷つかない様に 今のまだ残っている自分の力を自分の為に使って生きていこうと思う。