人は見た目で判断する・・・これは よ~~く知っている。 特に 欧米諸国に身を置くと つまり 白人主流の国に身を置くと 有色人種と言うだけで・・女と言うだけで・・年寄りというだけで・・差別される。
と言う事は 私は最悪の人種と区別される。 日本と違って 欧米は身なりしぐさで その人のレベルというか 社会的地位が見えるからだ。
昔から・・じゃ~ 差別されないように 身なりをちゃんとして しぐさも ちゃんとした学歴のある 育ちのいいしぐさをすればいいのではないか・・? とも言われ続けてきた。
でも 私は それに反発して 自分は自分を通してきた。
なぜに そこまで かたくなになって 身なりもしぐさも変えようとしなかったのか・・? と 最近 つらつらと考える・・。
思い当たったのは・・ 私自身 人を見るときに 肌の色ではなく 身なりやしぐさでもなく その人を”見る”という癖がある。 いい人は ”あぁ~いい人だなぁ~” というのが 一瞬でわかる。
”この人は貧乏だなぁ~” とか ”金をもっているなぁ~” というのも 一瞬の内に 感じる。
それは 私は 決して 身なりやしぐさ等では判断してない・・。
いくら 金持ちっぽくふるまっても・・金を持っていないのはすぐ わかる。 いくら 教養がありそうにふるまっても ”いや~ あなたはだからどれだけの力があるわけ?” と 思われる程 能力の無い人も 一瞬の内に見える。
ビジネスをやって 何千 何万という 世界中からやって来る客を見て 接してきた。 その経験もあるかもしれない。
それと 30年以上も 常に 大体10人や 20人の人達を雇って 私の商売を手伝ってもらってきた。
信用できる人とそうでない人の判断を誤る事はまずない。 客でも これは危険と思ったら すぐに宿から出す作業もせっせとやってきた。
その30年以上もの 毎日毎日の人との接した経験から・・ 身なりとか しぐさとか 履歴書とかで 人は何も判断できない・・自分で 会って 話して 感じた事だけが すべてである。
と いうことは 反対を思えば 私自身を みなりやしぐさ 肌の色で判断するやからは 私が信用できない・・という事になる。
よって 私は 自分を地で行き 自分をさらけ出して・・それをキチンと 判断してくれる人だけとやっていけばいいという事になる。
つまり 私の肌の色や 身なり・しぐさは 私が付き合ってもよいという人を見つけるバロメーターになるのだ。
だからこそ 人まねをして 自分を他の人の様に装うのは 良い人をみつけられなくなってしまうのだ。
70歳になって 今・・私が信用できる人 私自身を飾らずに 素で接する事の出来る人だけが 私の周りにいるなぁ~ と 日々感じるのだ。
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