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なかなか着かないローカルバス スリランカ
2016年10月31日月曜日
2016年10月30日日曜日
2016年10月29日土曜日
生きる
自分の体が動かない・・いま もう24時間近く寝床でダラダラしている・・。
ゲームもする気力が無いと・・寝転がったままYoutubeに走る・・。 でいつも私が観る動画は ホームレス・依存症・生きる・・とか そんなテーマの動画だ・・。
結局私が観るテーマは弱者の生き方だけに限られている様な気がする。 生きるには膨大なエネルギーが必要だ・・何となくでは生きられない。
命を懸けて守る・・命をかけて体当たりする・・そんな気迫・・気力が無いと一歩も生きる事はできないと思う・・。 だれでもそうだとは思わないけど・・少なくとも自分はそんな人間だと思う・・。
何をしていても フト!・・”あ~死んだ方が楽かなぁ~”と思うのは常だ・・。 いや あとちょっと生きてみよう・・と言うのが自分の生き方の様だ・・。
”タイでホームレスから生きる様になったふくちゃん”をYoutubeでずっと観ていた・・。 彼が生きれる様になったのを見ると涙が出る。
自閉症・・両親は他界・・頼れる人はこの世には居ない・・そんな状況で彼はタイで生きるすべを見つけた。
彼の人生と 自分の人生と重ね合わせる事が沢山ある・・。 彼が言った言葉・・
”日本では自分は社会の底辺でしかない。絶対這い上がれない” と・・その言葉は私の心を突き刺す。
自分もほとんど高校生になった頃から生きる力を無くした・・その後は社会の底辺でやっと這い回っていた・・。 そんな中のニュージーランド移住は”生きるすべの模索”だったと思う・・。
そして又 私の元夫の息子は 中学生時代から麻薬に入り・・青年時代はタイで過ごした。 ずっと親(私の元夫)をゆすり・たかりで・・金をせしめてタイに戻る・・と言う生活を繰り返していた・・。 親は彼を”悪魔”と言っていた・・。
が・・そんな元夫自身もアルコール依存症で何回も自殺をはかっている・・。 そして私にしつこく言っていた元夫の”夢物語”を思い出す。
社会で受け入れられない人間(犯罪歴のある人・依存症で社会生活が出来ない人・病気・障害のある人・・)の住めるコミュニティーを作ると言うのが彼の夢なのだ。
そしてその夢は漠然とはした物ではない・・彼の頭の中ではかなり具体的なそのコミュニティー運営方法企画が出来上がっていた・・。 まるですぐにでもそのコミュニティーを立ち上げそうな勢いでもあった・・。
その夢の裏には”悪魔”と呼んでいた息子をどうやったら救えるか・・?と言う構想から発した物だと言うのが・・元夫との離婚後だいぶだってから気が着いた・・。
しかし・・夫がその構想を現実化する時が来た時・・息子はタイで大量麻薬投与で死んだ。彼の死はクライストチャーチの新聞で小さく”大量麻薬投与での死”と書いてあったが・・私は自殺だと思う。
元夫が私と別れたのも これから壮絶なる息子との闘い(元夫にとっては仕事を引退して今まで臭い物には蓋的に息子に目を背けていたのを真向から向き合う覚悟を決めた事)・・それに私を巻き込みたくない・・と言う事もあった。
元夫は息子と同居する・・と言う事は 私達の家はもちろん 家の中の物・・金目の物・・全てを失う覚悟で息子と向かい会うと言っていた・・。それで我々は別居に踏み切った・・。
それを聞いてたかの様に・・その直後 彼の息子はタイの安宿で孤独に死んで行った。
彼の死は傷ましくて仕方が無い・・。 話を”タイのふくちゃん”に戻そう・・ふくちゃんもその崖っぷちに何回も立たされたと思う・・。
しかし・・そこでふくちゃんが自分の足で立ちあがえれる様に手を貸した人は・・死と背中合わせの癌治療をしていたアカの他人のおじさんだ・・。
やはり人間は他の人に親身になれるのは 自分自身がそこまで追い詰められて人の痛みも理解出来るものなのかもしれない・・。
ふくちゃんはホームレスで深夜寝ている時に襲われた事をこう語っている・・。 取材の人が「襲われて死んでしまうかもしれないですよね・・いいんですか?」
ふくちゃん「それも又 自分の運命として受け入れます」
癌宣告だって・・運命として受け入れるしかないのだ・・そんな究極な事態なのだ・・ふくちゃんにとってのその時のホームレスの生活は・・。
襲われて死ぬかもしれないから ちゃんとした宿・アパートに寝る・・と言う選択は彼には存在しない所まで追い詰められていたのだから・・。
私は・・ダラダラとしていて・・24時間寝床から起き上がれなかったけど・・やっと腰をあげて シャワーでもするか・・と言う気持ちになって来た。
とりあえず起き上がって・・何かをする・・それが生きる事なんだな~と思う・・。
2016年10月26日水曜日
この地球上には色んな人がいて 色んな場所で暮らしている・・
3ヶ月の旅を終えて・・一人で田舎の土地で ぼぉ~~っとしていると 色んな事が思い出される・・。
そういえば・・スリランカのゲストハウスで出会ったイギリス人の事を思う。 彼は背の高いとても気品のある人だった。 話す言葉がイギリス英語、それもアッパークラスの英語を話す。
私「キレイなイギリス英語ね。 イギリス人?」
彼「そう・・でも スリランカ人の血がまざってるの」
私「そうだと思った・・ただ陽に焼けている訳ではないのね・・。なぜスリランカで生まれたの?」
彼「いやいや・・私はイギリスで生まれて イギリスで育って イギリス人としイギリスで生活しているの。 で始めてスリランカに来たの・・」
彼は話を続ける・・スリランカ人のお父さんとイギリス人の母親との間で生まれたのが彼はすぐ孤児院に入れられそこで育ち・・父親も母親もわからない。 わかっているのは スリランカ人の父親の血を持っている・・と言う事だけ。
それだけでずっと生きて来て・・もう40才すぎ・・自分の体に流れているスリランカ人の血が騒いだのか・・一回はスリランカに来てみたい・・と思い続けていたとか・・・。
やっと その思いが叶って ここに旅に来た・・。で結果・・ここの地に足を踏み入れたとたん! 血が騒いだと言う・・。 なんと表現していいかわからないけど・・とりあえず 自分にはイギリス人の血よりも スリランカ人の血の方が濃いかも知れない。
すごく懐かしい気持ちで一杯! ここに暮らしてみたい・・とも思った・・。 と言っていた。 でも ここには住めない。 彼の住む場所はイギリスで作られているし・・イギリスに戻る・・・。と言っていた。
血と言うのはすごいな~と思う。 私も日本人の血を持ち 別の土地で暮らしているのでその辺の 彼の気持ちが刺すように解る・・。
彼に言ってみた・・自分の血を持つ子供を持ちたいとか思わない・・? その子供と一緒にイギリスで住んだら寂しくないかも・? と私が言うと・・彼は 「僕は・・実はゲイなんだよ」と言う。
私「わかるわよ! 最初からそうだと思ってた・・」と言うと彼は声たからかに笑った。
彼「この地球上にはたくさんの子供達が居て・・親を必要とする孤児も多すぎるぐらいいる・・僕がもし子供が欲しいと思ったら・・親を必要とする子供を自分の子供として育てたい。 何も自分の血を持つ子供を作る必要はないと思う・・」
私はハッとする・・彼は親の無い子として育ったのだ・・。
この地球上には 自分の血 自分の国籍 そんなものは完全に関係なく・・色んな国で生活している人々がいる・・。 その裏にはその人の数だけ その人の人生模様があるのだなぁ~~と思う・・。
彼の事は 今の今までスッカリ私の中から忘れ去られていた・・。 でも 今 彼との会話を鮮明に思い出す・・。
そして 私も自分の血とは全く違った場所で・・彼もまた違った場所で 今は暮らしているのだ・・。
スリランカ人の血を持つ彼の目を 今 この雨がしきりに降り続ける田舎のキャンパーバンの中で想った・・。
そういえば・・スリランカのゲストハウスで出会ったイギリス人の事を思う。 彼は背の高いとても気品のある人だった。 話す言葉がイギリス英語、それもアッパークラスの英語を話す。
私「キレイなイギリス英語ね。 イギリス人?」
彼「そう・・でも スリランカ人の血がまざってるの」
私「そうだと思った・・ただ陽に焼けている訳ではないのね・・。なぜスリランカで生まれたの?」
彼「いやいや・・私はイギリスで生まれて イギリスで育って イギリス人としイギリスで生活しているの。 で始めてスリランカに来たの・・」
彼は話を続ける・・スリランカ人のお父さんとイギリス人の母親との間で生まれたのが彼はすぐ孤児院に入れられそこで育ち・・父親も母親もわからない。 わかっているのは スリランカ人の父親の血を持っている・・と言う事だけ。
それだけでずっと生きて来て・・もう40才すぎ・・自分の体に流れているスリランカ人の血が騒いだのか・・一回はスリランカに来てみたい・・と思い続けていたとか・・・。
やっと その思いが叶って ここに旅に来た・・。で結果・・ここの地に足を踏み入れたとたん! 血が騒いだと言う・・。 なんと表現していいかわからないけど・・とりあえず 自分にはイギリス人の血よりも スリランカ人の血の方が濃いかも知れない。
すごく懐かしい気持ちで一杯! ここに暮らしてみたい・・とも思った・・。 と言っていた。 でも ここには住めない。 彼の住む場所はイギリスで作られているし・・イギリスに戻る・・・。と言っていた。
血と言うのはすごいな~と思う。 私も日本人の血を持ち 別の土地で暮らしているのでその辺の 彼の気持ちが刺すように解る・・。
彼に言ってみた・・自分の血を持つ子供を持ちたいとか思わない・・? その子供と一緒にイギリスで住んだら寂しくないかも・? と私が言うと・・彼は 「僕は・・実はゲイなんだよ」と言う。
私「わかるわよ! 最初からそうだと思ってた・・」と言うと彼は声たからかに笑った。
彼「この地球上にはたくさんの子供達が居て・・親を必要とする孤児も多すぎるぐらいいる・・僕がもし子供が欲しいと思ったら・・親を必要とする子供を自分の子供として育てたい。 何も自分の血を持つ子供を作る必要はないと思う・・」
私はハッとする・・彼は親の無い子として育ったのだ・・。
この地球上には 自分の血 自分の国籍 そんなものは完全に関係なく・・色んな国で生活している人々がいる・・。 その裏にはその人の数だけ その人の人生模様があるのだなぁ~~と思う・・。
彼の事は 今の今までスッカリ私の中から忘れ去られていた・・。 でも 今 彼との会話を鮮明に思い出す・・。
そして 私も自分の血とは全く違った場所で・・彼もまた違った場所で 今は暮らしているのだ・・。
スリランカ人の血を持つ彼の目を 今 この雨がしきりに降り続ける田舎のキャンパーバンの中で想った・・。
やっぱり山姥
田舎の土地で働いていた・・・で 夫は仕事で自宅へ戻る。
真っ暗な・・光は我がキャンパーバンの中だけ。 近所隣も街灯も・・何もない。 時々 ポッサム(ニュージーランドに多く生息する害獣、ちょっと狸ににている)が 外でバタバタ・・ゴソゴソする。
だけど とりあえず静まり反ってなんの音もしない・・。
午後7時半 ちょっと何か食べて・・さぁ~って 何もないこのキャンパーバンで何をするか?
しかし・・気力がないのだ・・。 ネットをする気にもならない・・最終手段はダラダラとソーダクラッシュのゲーム。 だけど・・今夜はそんな気もならない。
とりあえず体じゅうが痛い。 高熱が出始める時に痛む・・痛み方・・。 そう言えば ちょっと寒気が・・。
いかん! これから車を飛ばして クライストチャーチまで戻るか・・? と ちょっと不安になる・・。
が・・その内寝てしまった。
目が覚めたのは深夜12時。 熱が出ている訳でもない。それでも 何をする気力も無い。布団から起き上がる気力も無い・・。 このまま寝たきりになるような気すらする・・。
ぼぉ~っとしながら English Patient の映画の様にだた一人 横たわったまま死んで行くのか・・? とか・・そんな事を考えたりもする。
外が明るくなってきた・・・朝6時半・・起き上がらねば・・と思うが全く起き上がれない。 そしたら寝てしまったのか・・お昼の12時半に目が覚めた・・。
こんな時間に爆睡するとは・・考えてみれば・・この寝る時間帯はスリランカの夜なのだ・・。 まだ 時差調整ができていないのかも・・? それもそのはず・・私は3ヶ月も別の国で過ごしていたのだから・・。
とりあえず 起きて ゴソゴソして・・その日は夜11時頃に寝れた・・ニュージーランド時間の夜だ。 で・・朝4時に目が覚めた・・。 ま~ この時間帯に5時間寝れればいつものニュージーランド時間に戻ったし・・いいとしよう。
しかし・・またまた・・体は言うことを利かない。 起き上がる気力がないのだ・・。 そのまま布団の中でだらだら・・。そうこうしていたら・・また明け方から昼まで寝てしまった・・。 またまた 一日10時間以上寝た勘定になる。
そしたら・・体が軽くなって・・体じゅうの痛みもスッカリ無くなっていたのだ。 お~!なんの事はない・・睡眠不足から来る疲労だったようだ・・。
で・・思った・・自分は この人っこ一人いない 田舎の真っ只中で完全に一人になる事で・・やっと気が抜けるのだ・・と言う事を・・。
昔から”自分は山姥になる!” といい続けていた。 やはりこれは自分の体の中にある 心の底にある念願だったのかも・?
ここで 何日続けて過ごすか・・? 風呂にも入らず・・着替えもせず・・。 ってか今度 こっちに来る時に 着替えは持ってくればいいし・・風呂なんかなくても お湯でちょちょっと体を拭けばいいし・・。
それにしても ポリポリ頭を掻くと・・なんか臭い・・。
真っ暗な・・光は我がキャンパーバンの中だけ。 近所隣も街灯も・・何もない。 時々 ポッサム(ニュージーランドに多く生息する害獣、ちょっと狸ににている)が 外でバタバタ・・ゴソゴソする。
だけど とりあえず静まり反ってなんの音もしない・・。
午後7時半 ちょっと何か食べて・・さぁ~って 何もないこのキャンパーバンで何をするか?
しかし・・気力がないのだ・・。 ネットをする気にもならない・・最終手段はダラダラとソーダクラッシュのゲーム。 だけど・・今夜はそんな気もならない。
とりあえず体じゅうが痛い。 高熱が出始める時に痛む・・痛み方・・。 そう言えば ちょっと寒気が・・。
いかん! これから車を飛ばして クライストチャーチまで戻るか・・? と ちょっと不安になる・・。
が・・その内寝てしまった。
目が覚めたのは深夜12時。 熱が出ている訳でもない。それでも 何をする気力も無い。布団から起き上がる気力も無い・・。 このまま寝たきりになるような気すらする・・。
ぼぉ~っとしながら English Patient の映画の様にだた一人 横たわったまま死んで行くのか・・? とか・・そんな事を考えたりもする。
外が明るくなってきた・・・朝6時半・・起き上がらねば・・と思うが全く起き上がれない。 そしたら寝てしまったのか・・お昼の12時半に目が覚めた・・。
こんな時間に爆睡するとは・・考えてみれば・・この寝る時間帯はスリランカの夜なのだ・・。 まだ 時差調整ができていないのかも・・? それもそのはず・・私は3ヶ月も別の国で過ごしていたのだから・・。
とりあえず 起きて ゴソゴソして・・その日は夜11時頃に寝れた・・ニュージーランド時間の夜だ。 で・・朝4時に目が覚めた・・。 ま~ この時間帯に5時間寝れればいつものニュージーランド時間に戻ったし・・いいとしよう。
しかし・・またまた・・体は言うことを利かない。 起き上がる気力がないのだ・・。 そのまま布団の中でだらだら・・。そうこうしていたら・・また明け方から昼まで寝てしまった・・。 またまた 一日10時間以上寝た勘定になる。
そしたら・・体が軽くなって・・体じゅうの痛みもスッカリ無くなっていたのだ。 お~!なんの事はない・・睡眠不足から来る疲労だったようだ・・。
で・・思った・・自分は この人っこ一人いない 田舎の真っ只中で完全に一人になる事で・・やっと気が抜けるのだ・・と言う事を・・。
昔から”自分は山姥になる!” といい続けていた。 やはりこれは自分の体の中にある 心の底にある念願だったのかも・?
ここで 何日続けて過ごすか・・? 風呂にも入らず・・着替えもせず・・。 ってか今度 こっちに来る時に 着替えは持ってくればいいし・・風呂なんかなくても お湯でちょちょっと体を拭けばいいし・・。
それにしても ポリポリ頭を掻くと・・なんか臭い・・。
2016年10月25日火曜日
今日は暖かい!
朝目が覚めると・・キャンパーバンの中が ムッとするほど暑い!
慌てて 窓を全開 そしてドアを開ける・・。
裸足のまま 外に出る・・外は爽やか・・。
空は抜ける程青い!
って事で 昨日は曇天で・・くら~い日だったので・・改めてこの土地を散策・・。
この白い花はリンゴの花だと私が言うと・・夫は梨の花だと言う・・。 さぁ~~って・・秋には何が実るのか・・? |
このキャンパーバン かなり寝心地が良くなった・・。
って事で 今日は 中を色々改装する。 棚を沢山作ったので・・料理とかがとても便利になったのだ・・。
空はきれいな雲が浮かんでいた・・。 |
このちっこい球根の花が一面に咲いていた・・。 一ヶ月前は もっとすごかったとの事・・。 見逃した・・。 |
隣の牧草地。 今 ここにいつもいる羊さん達は場所を変えて・・・我が家のすぐ隣にいる。 私をいつも なにかと言えば じと~~っと見つめているのだ・・。 9月ぐらいから11月ぐらいまで 羊さんの赤ちゃんが続々と産まれる。 お隣さんの羊さん達も 子連れお母さん羊がたくさんいた。 |
デッカイ胡桃の木があるのを発見! 沢山胡桃がなるといいなぁ~~・・。 |
ユーカリの木はこの土地で一番背が高い・・。 てっぺんまで登ったら眺めがいいかも・・?
この花はなんと言う名前なのか・・わからん・・。 が・・おびただしい数の花が咲いていた・・。 |
椿の花は冬の花。
だからもうスッカリ散ってしまっている。
そして地面が花びらで赤く染まっていた。
これは木に咲いていた花。 なんの実がなるのだろうか・・? |
草とお花が混ざっている・・。 来年は 冬の内から手入れをしよう! そしたら ステキなお花畑になると思う・・。 |
このピンクの花はなんなのだろう・・。
子供の頃原っぱでこんなのがあったけど・・。 あれと同じ物なのだろうか・・?
色々調べる事が沢山あるのだ・・。
土地内にある小川も 相変わらずきれいな水が沢山流れていた。
シャベルカーがぶっ壊れた・・
今日は久しぶりに自分の田舎の土地を見に行く。
3ヶ月前・・旅に出る前とは季節も変わり・・・真冬の様から 春真っ只中の様になっていた。 緑が広がり・・春の風がそよぎ・・鳥達がさえずりまくっていた。
あぁ~ ここが自分が気に入った場所なんだ~と改めて思った。 緑の匂いがぷんぷんして 鳥のさえずりしか聞こえないこの場所はやはり自分の気持ちを落ち着かせてくれる。
さぁ~~って何をするか? 3ヶ月も誰もエンジンをつけていない私のシャベルカーは動くのか? なんせ中古で買った代物・・それも私はシャベルカーの事なんかなんにも知らない訳だから・・。
車の様にバッテリーが上がっているかも・・? 恐る恐るキーを回してみたら・・一発でエンジン始動! お~~し! いい子だ・・どうどうどう・・といいつつ この土地の前のオーナーが山にしていた土を均す作業にとりかかる・・。
今までこの土地からどんなに多くのゴミが出てきただろうか?! そのおびただしいゴミの山は大変な物なのだ・・。 なのに! なのに! 私がシャベルカーでちょっと土の山を崩すと・・もぉ~! その中は ゴミ! ゴミ! ゴミ!
ゴミを土で覆って山にしていたのだ・・。 ため息が出るしかない・・。 山を崩しては・・シャベルカーから降りて・・ゴミを集めて 一輪車でゴミの山に運ぶ・・その作業を繰り返す。
本当に・・まるで受刑者の重労働の様だ。 だが・・続ける・・汗が冷たい風に気持ちがいい。
シャベルカーはうおん!うおん! と唸りつつ・・精一杯の力を出して・・デッカイ岩だのデッカイ木材だのゴミだのを含んだ土を押したり 乗り上げたり・・としつつ 作業を進める。
時々シャベルカーが大きく傾き 危うく倒れそうになる・・乗っている私は ひぇ~!! と怖くなって止めて・・倒れない様にどっちに行けばいい?! とパニクる・・。 やっとの思いでシャベルカーが落ち着くと・・私も落ち着く・・。
ふ~倒れなくてよかった!
と・・またまた 作業開始・・そんなのを何時間も続けていたら・・ぬ!? なんか変な音が・・。 と下を見たら・・キャタピラにかかっているゴムの輪が外れているではないか!
どうする?!! 修理の人には来てもらえない・・今日は祝日。 で! どこに修理を頼めばいいかも検討がつかない・・。
すったもんだ・・して・・。 とりあえず 夫と自転車のタイヤをはめる様な・・同じ原理でやってみっか~! と言う事になり・・とりあえず キャタピラーが地面から浮かなければはめられない。
よって 私はシャベルカーのシャベルの部分をキャタピラーの横に持って行き・・そのシャベルを地面に押し付ける様にする。ちょっとづつ押し付けると少しづつキャタピラーが浮きだした。
ゴムの部分が十分にはめられる空間が出来た時点でエンジンを止め・・やおらゴムの輪を装着しようとする・・。が! そのゴムの輪が私の力では到底持ち上げられそうもない。
夫と二人で持ち上げつつ装着!と・・そうは簡単には行かない。なんせかなりのキツい状態ではまっていた訳だから・・・ほい!って言う訳には行かない。夫はとりあえずキャタピラーの片方の輪にはめて・・もう片方の輪には少しづつ前進する時にハンマーでゴムの輪を叩きつつはめる・・と言う作戦に出した。
そう簡単に行くか~~? と私は思った・・シャベルカーに私が乗ってちょっとづつ前進・・彼は必死でゴムの輪をはめるべくハンマーで叩く・・もうちょっと! もうちょっと! と前進していたら・・はまった! はまた~~!! と夫が大興奮で喜んでいた。
やったのだ! 修理屋を呼ばずに自力で出来たのは すごくうれしかった。
しかし・・そうとうくたばってきたそのゴムの輪は多分手荒く扱ったら又すぐ外れるだろうなぁ~~。 近い内に買い換える必要あり・・。 で とりあえず・・あまり手荒く扱わない様に使用せねば・・。
でも それから何時間も ぐわん! ぐわん! 言わせつつ働いたが・・とりあえず外れなかった・・。
3ヶ月前・・旅に出る前とは季節も変わり・・・真冬の様から 春真っ只中の様になっていた。 緑が広がり・・春の風がそよぎ・・鳥達がさえずりまくっていた。
あぁ~ ここが自分が気に入った場所なんだ~と改めて思った。 緑の匂いがぷんぷんして 鳥のさえずりしか聞こえないこの場所はやはり自分の気持ちを落ち着かせてくれる。
さぁ~~って何をするか? 3ヶ月も誰もエンジンをつけていない私のシャベルカーは動くのか? なんせ中古で買った代物・・それも私はシャベルカーの事なんかなんにも知らない訳だから・・。
車の様にバッテリーが上がっているかも・・? 恐る恐るキーを回してみたら・・一発でエンジン始動! お~~し! いい子だ・・どうどうどう・・といいつつ この土地の前のオーナーが山にしていた土を均す作業にとりかかる・・。
今までこの土地からどんなに多くのゴミが出てきただろうか?! そのおびただしいゴミの山は大変な物なのだ・・。 なのに! なのに! 私がシャベルカーでちょっと土の山を崩すと・・もぉ~! その中は ゴミ! ゴミ! ゴミ!
ゴミを土で覆って山にしていたのだ・・。 ため息が出るしかない・・。 山を崩しては・・シャベルカーから降りて・・ゴミを集めて 一輪車でゴミの山に運ぶ・・その作業を繰り返す。
本当に・・まるで受刑者の重労働の様だ。 だが・・続ける・・汗が冷たい風に気持ちがいい。
シャベルカーはうおん!うおん! と唸りつつ・・精一杯の力を出して・・デッカイ岩だのデッカイ木材だのゴミだのを含んだ土を押したり 乗り上げたり・・としつつ 作業を進める。
時々シャベルカーが大きく傾き 危うく倒れそうになる・・乗っている私は ひぇ~!! と怖くなって止めて・・倒れない様にどっちに行けばいい?! とパニクる・・。 やっとの思いでシャベルカーが落ち着くと・・私も落ち着く・・。
ふ~倒れなくてよかった!
と・・またまた 作業開始・・そんなのを何時間も続けていたら・・ぬ!? なんか変な音が・・。 と下を見たら・・キャタピラにかかっているゴムの輪が外れているではないか!
どうする?!! 修理の人には来てもらえない・・今日は祝日。 で! どこに修理を頼めばいいかも検討がつかない・・。
すったもんだ・・して・・。 とりあえず 夫と自転車のタイヤをはめる様な・・同じ原理でやってみっか~! と言う事になり・・とりあえず キャタピラーが地面から浮かなければはめられない。
よって 私はシャベルカーのシャベルの部分をキャタピラーの横に持って行き・・そのシャベルを地面に押し付ける様にする。ちょっとづつ押し付けると少しづつキャタピラーが浮きだした。
ゴムの部分が十分にはめられる空間が出来た時点でエンジンを止め・・やおらゴムの輪を装着しようとする・・。が! そのゴムの輪が私の力では到底持ち上げられそうもない。
夫と二人で持ち上げつつ装着!と・・そうは簡単には行かない。なんせかなりのキツい状態ではまっていた訳だから・・・ほい!って言う訳には行かない。夫はとりあえずキャタピラーの片方の輪にはめて・・もう片方の輪には少しづつ前進する時にハンマーでゴムの輪を叩きつつはめる・・と言う作戦に出した。
そう簡単に行くか~~? と私は思った・・シャベルカーに私が乗ってちょっとづつ前進・・彼は必死でゴムの輪をはめるべくハンマーで叩く・・もうちょっと! もうちょっと! と前進していたら・・はまった! はまた~~!! と夫が大興奮で喜んでいた。
やったのだ! 修理屋を呼ばずに自力で出来たのは すごくうれしかった。
しかし・・そうとうくたばってきたそのゴムの輪は多分手荒く扱ったら又すぐ外れるだろうなぁ~~。 近い内に買い換える必要あり・・。 で とりあえず・・あまり手荒く扱わない様に使用せねば・・。
でも それから何時間も ぐわん! ぐわん! 言わせつつ働いたが・・とりあえず外れなかった・・。
2016年10月22日土曜日
ビックリした息子のブログ
赤ちゃんの時から静かな子供だった息子。今はもう39才だけど・・。
赤ちゃんの時 私の妹が
「泣け ほら泣けー!」と声援を送るほど 泣かない息子だった。
幼児期は自閉症と間違われた事もあった。
ニュージーランドに来てからは あまりにも寡黙な為 いつも英語がわからない人とおもわれた。
彼の胸の内を知る者はこの世には神様以外存在しないのではといつも思っている。
しかし! この彼のブログから ほとばしる彼の心が感じられる。
興味を持つのは 母親である私だけかも知れないけど・・でも 彼のチョイスである音楽は誰をも神秘な世界に誘う様な気がする。
彼の奨励する聴き方
*質の良い スピーカー もしくは ヘッドホンで聴く。
*静かな環境で音楽だけに集中する
*耳を労れる限りの大音量で聴く
この3点を 踏まえて 彼のblogにある音楽を1度お試しあれ。必ずあなたの心を癒す力を感じますよ。
↓のリンクを クリック又はタップでサイトに飛びます。
我が息子が突然始めたブログ
赤ちゃんの時 私の妹が
「泣け ほら泣けー!」と声援を送るほど 泣かない息子だった。
幼児期は自閉症と間違われた事もあった。
ニュージーランドに来てからは あまりにも寡黙な為 いつも英語がわからない人とおもわれた。
彼の胸の内を知る者はこの世には神様以外存在しないのではといつも思っている。
しかし! この彼のブログから ほとばしる彼の心が感じられる。
興味を持つのは 母親である私だけかも知れないけど・・でも 彼のチョイスである音楽は誰をも神秘な世界に誘う様な気がする。
彼の奨励する聴き方
*質の良い スピーカー もしくは ヘッドホンで聴く。
*静かな環境で音楽だけに集中する
*耳を労れる限りの大音量で聴く
この3点を 踏まえて 彼のblogにある音楽を1度お試しあれ。必ずあなたの心を癒す力を感じますよ。
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我が息子が突然始めたブログ
2016年10月21日金曜日
見知らぬ人と目が合ったら・・どうする・・?
ここ ニュージーランドでは 知らない人と目が合ったら・・とりあえず お互いにニコッとする。 まずしない人はいない・・。
そして挨拶とかする人とか・・その内世間話を始める人もいる・・。 とりあえずフレンドリーなのだ・・。
それに完全に慣れてしまっている私は・・日本に行って ちょっと戸惑う。 日本人の人に目が合ってしまったので・・ニコッとしたら・・
”あんた誰? 知らんけど・・” 的な目で 睨み返された・・。
それにはちょっと焦った・・
”い・いや・その・・別に深い意味はない・・すんません・・”的に 照れ笑いをしても許してくれない・・。
ちょっと寂しい・・。 基本的に日本人は優しい人・親切な人がほとんどなのだ・・。 しかし ちょっと目があってしまったら・・目を反らさなければならない・・。 私は敵意はありませんよ! とちゃんと言う為に目を反らすのだと思う・・。
昔 お侍さん時代は 目を合わせる イコール 敵意がある・・とみなされた・・。 とりあえず 敵意がないのであれば・・おじぎをして ”文句なんかありませんよ~”的に目を合わせない様に お辞儀・・つまり頭を下げて無防備な姿勢をしなければいけないのだ・・。
そんな文化は やはり日本だけなのかな~~?
色んな国を旅行しているけど・・やはり日本だけかも・・?
今日 近くのショッピングモールで買い食いをした私・・で・・買い食いで出たゴミを掴んで・・その辺を見回す・・絶対この国では沢山ゴミ箱があるので・・あるはず・・だけど・・無い・・・。
って事で 仕方が無い・・他で探そうかな・・? と思ったトタン! 私の目の前に居たよぼよぼ・・多分80歳ぐらいのおばあちゃんが・・私の後ろの方を指さす。
振り返ると・・あるではないか! ちゃんと普通ゴミ用・リサイクルゴミ用の二つ でっかいのが! 私はおばあちゃんに照れ笑い・・。
おばあちゃんも ”良かったね!’的笑顔をくれた。
言葉を一言も交わさずとも・・心が触れあったのが嬉しかった・・・。
そして挨拶とかする人とか・・その内世間話を始める人もいる・・。 とりあえずフレンドリーなのだ・・。
それに完全に慣れてしまっている私は・・日本に行って ちょっと戸惑う。 日本人の人に目が合ってしまったので・・ニコッとしたら・・
”あんた誰? 知らんけど・・” 的な目で 睨み返された・・。
それにはちょっと焦った・・
”い・いや・その・・別に深い意味はない・・すんません・・”的に 照れ笑いをしても許してくれない・・。
ちょっと寂しい・・。 基本的に日本人は優しい人・親切な人がほとんどなのだ・・。 しかし ちょっと目があってしまったら・・目を反らさなければならない・・。 私は敵意はありませんよ! とちゃんと言う為に目を反らすのだと思う・・。
昔 お侍さん時代は 目を合わせる イコール 敵意がある・・とみなされた・・。 とりあえず 敵意がないのであれば・・おじぎをして ”文句なんかありませんよ~”的に目を合わせない様に お辞儀・・つまり頭を下げて無防備な姿勢をしなければいけないのだ・・。
そんな文化は やはり日本だけなのかな~~?
色んな国を旅行しているけど・・やはり日本だけかも・・?
今日 近くのショッピングモールで買い食いをした私・・で・・買い食いで出たゴミを掴んで・・その辺を見回す・・絶対この国では沢山ゴミ箱があるので・・あるはず・・だけど・・無い・・・。
って事で 仕方が無い・・他で探そうかな・・? と思ったトタン! 私の目の前に居たよぼよぼ・・多分80歳ぐらいのおばあちゃんが・・私の後ろの方を指さす。
振り返ると・・あるではないか! ちゃんと普通ゴミ用・リサイクルゴミ用の二つ でっかいのが! 私はおばあちゃんに照れ笑い・・。
おばあちゃんも ”良かったね!’的笑顔をくれた。
言葉を一言も交わさずとも・・心が触れあったのが嬉しかった・・・。
ブログの新書き込み 日付順に・・・
私のブログは昔から・・内容と日付がバラバラ つまり前後しているのだ・・・
そうすると・・ いつも 昔の事を 今書くと・・まるで 今が 昔の事の様になってしまう・・。
特に旅をしている時はネットが無い時が多い・・。
そうなると いつも 旅から帰ってから 時間を無視して書き込む・・。
そうすると・・読んでくださっている方は まるで 私の旅がまだ続いているかの様に・・錯覚する・・。
読んでくださっている方々には完全に混乱をあたえてしまう・・。
って事で・・これからは 昔の事は 昔の時間で・・つまり旅をしている時の日付で 書き込みをする事に決定!
(なぜ・・それを今までやらなかったか・・? すごくズボラであったのを謝罪いたします・・)
と言う事で・・スリランカの旅 ”スリランカ人は人懐こい” (9月16日)を新しく書き込みました!
↑の ブログ題名をクリック 又は タップすると その書き込みページに飛びます。
まだまだ スリランカの旅ブログは続きます。 その度に 以前の書き込み日付を ブログの最新の掲示しますので・・ヨロシクお願いいたいま~~す。
そうすると・・ いつも 昔の事を 今書くと・・まるで 今が 昔の事の様になってしまう・・。
特に旅をしている時はネットが無い時が多い・・。
そうなると いつも 旅から帰ってから 時間を無視して書き込む・・。
そうすると・・読んでくださっている方は まるで 私の旅がまだ続いているかの様に・・錯覚する・・。
読んでくださっている方々には完全に混乱をあたえてしまう・・。
って事で・・これからは 昔の事は 昔の時間で・・つまり旅をしている時の日付で 書き込みをする事に決定!
(なぜ・・それを今までやらなかったか・・? すごくズボラであったのを謝罪いたします・・)
と言う事で・・スリランカの旅 ”スリランカ人は人懐こい” (9月16日)を新しく書き込みました!
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まだまだ スリランカの旅ブログは続きます。 その度に 以前の書き込み日付を ブログの最新の掲示しますので・・ヨロシクお願いいたいま~~す。
2016年10月20日木曜日
相棒がいない・・・。
私は7月から10月まで約3ヵ月 家を離れた・・。 その間ずっと 相棒と呼ぶ友人と過ごした。
ま~ 彼女は27年前からの知り合いではあるが・・こんな長い間 一緒に食べて・・寝て・・行動を共にしたのは初めてなのだ・・。
それも スリランカと言う後進国への旅は一か月も及んだ。 つまり 暑い・・ダルイ・・・臭い・・食いもんは無い・・水は無い・・シャワーは水・・トイレは流れない・・トイレットペーパーはいつも無い・・。 騒音はする・・ネットにはつながり難いので情報を得るのも難しい。
ネットでは得れない情報が沢山ある。 ネット予約は出来ないのが沢山ある・・。
と ま~ あげればキリがない程・・先進国では考えられないストレスだらけの国に 我等は一緒に過ごしたのだ。
誰でもイラつく・・だれでも怒りがこみあげて来る・・。
でも 私はそれをストレスと感じた事は全くなかった。 いつも すべてを ”笑い”として 話を展開してくれる相棒・・・。
いつもいつも 笑いが絶えなかった・・。
2回程 私は切れて・・それも絶対に許せない不条理な目に遭わされたのだ・・。 絶対に許せないし・・一歩も譲歩したくない・・。と言う事で 本気で スリランカ人と喧嘩した。
それも 深夜到着の宿のオーナーと・・クタクタに疲れ・・もうベッドに倒れ込みたい程疲れているのに・・怒りに震える程。 そんな所で寝れる訳がない・・それから・・・その宿から移動!
深夜に他の宿探し・・まるで夜逃げの様に荷物を抱えて・・ツクツクを捕まえて・・移動。
そんな時でも 彼女は黙って・・一緒に行動してくれる。 一切の愚痴も言わずに・・テキパキと動く・・私の荷物まで持ってくれようとする・・。
そして 彼女はスリランカ人とは喧嘩はしないが 絶対に不条理は許せない! と 私にピッタリと着いてくれる。
いつも いつも 彼女は私をサポートしてくれた。 こんな人間に会った事が無い・・。
私は自分の欠点を言われると 反発したくなるが・・彼女は一切言わずに・・むしろ私のサポートをしてくれる・・そうなると・・私はいつも 自己反省をする事になる。
そして彼女は私が学ぶべき行動を 彼女の行動の仕方・彼女の問題解決の仕方等を・・たくさん教えてくれた。 彼女の行動を見て 私は学んだのだ・・。 こんなにたくさんの事を学んだのも人生始めてかもしれない・・。
まるで 修行を積んだような気持ちだ・・。 その多々の教訓が 私のこれからの人生に反映すればいいなぁ~・・と思う。
3ヵ月の長い・・長い 我等の旅も終わり・・私が日本を発つ時・・彼女は空港行きのバスまで見送ってくれた・・。 手を振って いつもの様に・・またね~~ と笑って別れた・・。
だが! バスが発車したトタン! いつも いつも 旅をする時は 私の横に居てくれた相棒が居ない・・。 突然激しい寂しさがこみあげて来た・・。
何十回ともなく ツクツクの運転手とすったもんだしたり・・汚いローカルバスで何時間も何時間も揺られたり・・日本でも電車・バス・タクシー・新幹線・ありとあらゆる乗り物に乗って・・彼女と一緒に移動したのに・・。
3ヵ月も 日本から台湾へ・・また日本に戻り・・そしてスリランカに・・ぞの後は 今度は岡山に・・レンタカーで二人で旅を・・温泉に入り・・色んな事をして・・。
そして 今度は小田原へ・・。 と 本当に 移動・移動・・の連続・・。 ずっとスケジュールびっしりの3ヵ月だった。 いつもいつも彼女と私は荷物を引っ提げて移動してきたのだ・・。
でも 成田行きのバスの私の横の席には彼女はいなかった・・。
その寂しさは半端なかった・・。
相棒! 本当に長い間 ありがと~~! 何に対してありがとうか 言い尽くせないけど・・とりあえず 感謝感謝!
ま~ 彼女は27年前からの知り合いではあるが・・こんな長い間 一緒に食べて・・寝て・・行動を共にしたのは初めてなのだ・・。
それも スリランカと言う後進国への旅は一か月も及んだ。 つまり 暑い・・ダルイ・・・臭い・・食いもんは無い・・水は無い・・シャワーは水・・トイレは流れない・・トイレットペーパーはいつも無い・・。 騒音はする・・ネットにはつながり難いので情報を得るのも難しい。
ネットでは得れない情報が沢山ある。 ネット予約は出来ないのが沢山ある・・。
と ま~ あげればキリがない程・・先進国では考えられないストレスだらけの国に 我等は一緒に過ごしたのだ。
誰でもイラつく・・だれでも怒りがこみあげて来る・・。
でも 私はそれをストレスと感じた事は全くなかった。 いつも すべてを ”笑い”として 話を展開してくれる相棒・・・。
いつもいつも 笑いが絶えなかった・・。
2回程 私は切れて・・それも絶対に許せない不条理な目に遭わされたのだ・・。 絶対に許せないし・・一歩も譲歩したくない・・。と言う事で 本気で スリランカ人と喧嘩した。
それも 深夜到着の宿のオーナーと・・クタクタに疲れ・・もうベッドに倒れ込みたい程疲れているのに・・怒りに震える程。 そんな所で寝れる訳がない・・それから・・・その宿から移動!
深夜に他の宿探し・・まるで夜逃げの様に荷物を抱えて・・ツクツクを捕まえて・・移動。
そんな時でも 彼女は黙って・・一緒に行動してくれる。 一切の愚痴も言わずに・・テキパキと動く・・私の荷物まで持ってくれようとする・・。
そして 彼女はスリランカ人とは喧嘩はしないが 絶対に不条理は許せない! と 私にピッタリと着いてくれる。
いつも いつも 彼女は私をサポートしてくれた。 こんな人間に会った事が無い・・。
私は自分の欠点を言われると 反発したくなるが・・彼女は一切言わずに・・むしろ私のサポートをしてくれる・・そうなると・・私はいつも 自己反省をする事になる。
そして彼女は私が学ぶべき行動を 彼女の行動の仕方・彼女の問題解決の仕方等を・・たくさん教えてくれた。 彼女の行動を見て 私は学んだのだ・・。 こんなにたくさんの事を学んだのも人生始めてかもしれない・・。
まるで 修行を積んだような気持ちだ・・。 その多々の教訓が 私のこれからの人生に反映すればいいなぁ~・・と思う。
3ヵ月の長い・・長い 我等の旅も終わり・・私が日本を発つ時・・彼女は空港行きのバスまで見送ってくれた・・。 手を振って いつもの様に・・またね~~ と笑って別れた・・。
だが! バスが発車したトタン! いつも いつも 旅をする時は 私の横に居てくれた相棒が居ない・・。 突然激しい寂しさがこみあげて来た・・。
何十回ともなく ツクツクの運転手とすったもんだしたり・・汚いローカルバスで何時間も何時間も揺られたり・・日本でも電車・バス・タクシー・新幹線・ありとあらゆる乗り物に乗って・・彼女と一緒に移動したのに・・。
3ヵ月も 日本から台湾へ・・また日本に戻り・・そしてスリランカに・・ぞの後は 今度は岡山に・・レンタカーで二人で旅を・・温泉に入り・・色んな事をして・・。
そして 今度は小田原へ・・。 と 本当に 移動・移動・・の連続・・。 ずっとスケジュールびっしりの3ヵ月だった。 いつもいつも彼女と私は荷物を引っ提げて移動してきたのだ・・。
でも 成田行きのバスの私の横の席には彼女はいなかった・・。
その寂しさは半端なかった・・。
相棒! 本当に長い間 ありがと~~! 何に対してありがとうか 言い尽くせないけど・・とりあえず 感謝感謝!
2016年10月19日水曜日
春たけなわの我が家
林檎の花もやんややんやと咲いている。 3種類の林檎の木がある・・。毎年当たり年の木と当たり年ではない木がバラバラにやってくる。 だから ・・ま~ いいのかも・・? 今年はどれがドッサリ実がなるのか・・? 楽しみだ~~! |
林檎の花はとても可憐 |
私が三か月旅をしている間に我隠居部屋が完成していたのだ! 外壁も古い板壁的にしてもらったので とても落ち着いている。 |
二階の私の寝室の窓から見下ろすと 胡桃の木に新芽が沢山! ついていた。 15年もの間・・この胡桃の木を見守ってきたが・・このアングルで・・つまり上からみたのは初めてだ・・。 私の友人が大好きな木。 彼女はこの木に惚れたのだそうな・・。 ん~~・・好きってのはわかるけど・・木に惚れるか~~? |
2016年10月15日土曜日
またもや小田原の友人宅へ
私はどうしても 私の友人をもう一人の友人に紹介したかった。
だって みんなおんなじ世代・・おんなじ女性で自立し・・そして シッカリと人生を歩んでいる。
もちろん・・彼女等だってそう平坦な道を歩んで来た訳ではない。 誰でもそうだとはおもうけど・・その平坦ではなかった道を知っているだけ・・私達の共有できる物は大きい。
だからこそ これからの人生は 我等は手と手をとりあって歩んで行きたい。
別に一緒にいる必要はない。
時々連絡を取り合うだけでもいい・・それだけでも 十分に心が通じるし・・共通点も多いからなおさら・・。
小田原の友人がススキの野原に連れてってくれた!
朝早く まだまだ車が混み合って来ない時間に グングンと曲がりくねった道を登りつめる・・すると朝露をタップリ含んだススキの穂が朝日に光って とても美しかった。
すがすがしい空気が又 我等の体も生き返らせている様に感じた。
秋晴れ! 雲の全くない真っ青な空・・そんな中 もっともっと山を登りつめ・・そして・・山を越えたかな・・? と思ったトタン! 目の前にでっかい富士山が顔を出した。 壮観な眺め・・。 この写真は もう山から下り切った所でやっと車が停められて・・撮影。 小さく写った富士山もとてもきれいな形をしていた・・。 |
まるで霜が降りている様に光っている・・。 でも 朝露なのだ・・。 |
Kiwihouseの卒業生と再会
特に 私が Kiwihouseを始めて・・そして最初に ちゃんとしたビジネスとして ニュージーランドの観光産業の一端を担うぐらいのレベルに仕上げたのが この 下にある写真のSmall Kiwihouse.
今でも存在するが・・もう 今のSmall Kiwihouseとは 全く違うのだ・・。
まず この写真にある芝生の裏庭には 息子夫婦の建物が建っていて・・芝生は一切無くなった・・。
そして Naoさんが持っているMayちゃん(猫)はみんなに愛されながら長生きをして・・そして別れが来てしまった・・。Mayちゃんとの別れはほんとに悲しかった・・。 この頃はまだ Mayちゃんも若かった! そしてみんなに愛されていた・・。
この真ん中にいるNaoさんと今度日本で再会したのだ・・。
Facebookで彼は中華料理のシェフになったのは解っていた・・。 それに Facebookでいつも いつもよだれが出る様な料理の写真を見て・・くそ~~! いつかはこの美味そうなもんを食ってやる! と叫び続けていた・・。
で あれからもう10年以上も経っている今・・私は日本でそのNaoさんと再会。
再会は彼がチーフシェフをして・・彼が熟考したメニュー。 彼が創作した料理。 それを出してくれたのだ・・。
私は友人二人を引き連れて・・ま~ ラーメン屋さんに行く様な気分で・・ガンガン 食って・・楽しんで来よう! とばかりに行ったのだが・・なんかえらく立派なレストランで・・ちょっとビビる。
ウェートレスのおねえさんにテーブルに連れてってもらってから・・Naoさんの名前をだしたら・・そのウェートレスさんになんか・・なんでお客さんがチーフシェフを呼べとか言うのか・・? と怪訝そうな顔をされた・・。
そして そのウェートレスのおねえさんが彼に私の名前を告げに行ったトタン! 彼が出て来た!
そして テーブルサービスする低調な給仕さんが出て来た・・。
Naoさんとの再会感動挨拶もそこそこに彼は厨房に引っこんでしまった・・。
テーブルは一番奥のリザベーションテーブルに誘導される・・テーブルにはステキにはバラの花に折られたナプキン・・他 超豪華テーブルにセッティングされている。 そして これから出てくるだろう・・Naoさんが熟考したメニューとその詳細の お品書きが置いてある・・。
我等のテーブルの横は 我等専用給仕用の皿だの・・色んな物が 準備されている・・。
出てくる・・出てくる・・次から次へと・・溜息が出る程 美しく・・これは懐石料理? フランス料理の豪華コース? と・・・
ラーメン屋的中華料理屋を想像していた我等は 面食らうばかり!
食べきれない程に・・・心もお腹も満腹・・。
私はNaoさんがKiwihouseに住んでいた頃・・Naoさんの食材が大量にあって名前も書いてないから・・と言う理由で ガンガンと外のゴミ用ポリ容器に捨ててしまった・・。
他のKiwihouseの連中が そこまでしなくても・・と私を白い目で見ていた・・。 それもそのはず・・後で知ったけど・・Naoさんは Kiwihouseのその頃住んでいた連中に 自分の作った料理を毎日ふるまっていたのだろうな・・。 全然知らなかった・・私・・。
そしてNaoさんがKiwihouseに戻って来て・・ゴミ箱に自分の食材が全部捨てられていたのを知った時・・私は恨まれるだろうなぁ~と・・ヒヤヒヤ・・。
でも彼は全然私を恨まなかった・・「あ~あ・・でも ま~これも大丈夫・・あれも大丈夫・・」といいつつ ほとんどをゴミ箱からまた拾いだしたのだ・・。
私はホッとした・・。 Naoさんって心の広い人だなぁ~と強烈な思い出として残っている。 そしてその時の その瞬間をハッキリと覚えているのだ・・。
今回 Naoさんと話をして 初めて知った事だが・・NaoさんはKiwihouseに来た頃は日本で色んな事があり・・自暴自棄になっていた頃だった・・。 シェフとしては行き詰まっていたそうな・・。
でも Kiwihouseに来て みんなにふるまって みんなが美味しいと言ってくれた事が力となって・・今の自分がある・・。 と言ってくれた。
それを聞いた時には 私は思わず涙があふれた・・そして後からあとから涙が流れた。 私の人生ともいえるKiwihouseを肯定してくれた・・つまり私の人生をも肯定してくれたような気持ちでいっぱいだった・・。
そして 彼はこうも言ってくれた・・。「僕の夢が一つ叶った」
私こそ 私の人生を支えてくれたNaoさんなのに・・。
私は本当に生きててよかった!
私の生きて来た道は間違ってなかった・・!
私こそ 私の夢が叶った瞬間だったのだ・・。
2016年10月13日木曜日
”和気町” 魂が澄んでくる・・
友人が(相棒)移住すると・・ここ10年ばかり前ぐらいから騒いでいた・・。 特に 3・11後 この放射能汚染にたいして・・本気で移住を考えている・・。
実際に移住候補地に行くと・・膨大な数の人達が移住を企んでいるのがわかる。 3・11以前は退職者達の終の棲処として移住者が多かったが・・3・11以降は俄然! 子供連れの家族の移住が多くなって来たのだ・・。
私が奄美大島に行った時も 3・11以後は家族連れの家族の移住で 今まで空き家だったのが 全部埋まり・・そして賃貸家屋も全部出払った・・との事。
友人が四万十に移住・・そして神戸の田舎に移住と なんせ彼女は色んな処を調べまくり・・通いまくり・・移住地の模索に励んでいたのだ・・。
どこも家族連れが移住して来ている・・。
そして 今 ”和気町” に来て・・私も同行した。 役場の人(飯豊信さん)がとても親切に案内してくれたのだ・・。
彼自身も地震の事を考え・・断層の無いところ・・40年も東京に住んだ故・・東京と気候がそこまで変わらない処・もちろん3・11後は本気で放射能被害の少ない処・自然災害の少ない処・アクセスの便利な処・と 言う条件を加味して浮き上がった処が・・”和気町”
彼は和気町移住者の先駆者・・。 何年もかけて・・ここに決定し・・・移住したら 今度は こんないいところを紹介しない訳には行かない! と言う事で 自分自身で役場に働きかけて・・役場で”地方創生課”と言うのを立ち上げる。 それをするのに膨大な企画書を自分一人で作る・・そして今は 役場で沢山の部下も・・受け入れ体制の為に役場は 興味のある人達のお試し家を安価で貸し出す・・と言う施設も沢山持っている。
今では移住者希望の人達のお世話でてんてこまいしている。 彼は過密スケジュールで仕事をしている。 しかし一切のストレスは感じないと言っているのだ。 それもそのはず・・ストレスのある生活から逃れて来る人達のお手伝い・・と言うのが彼の仕事だから・・やりがいがあるし・・仕事をすればするほど沢山の人の生活を救済できるのだから・・。
しかし彼は我等にはそんな過密なスケジュールであるとは微塵も感じさせない雰囲気で・・半日も付き合ってくれて・・ゆったりとした気分で色んな処を案内してくれ・・説明してくれて・・一緒に遊歩道も歩いてくれた・・。
お試し移住の施設(家々)を見学させて貰ったが・・旅行気分で来ても 生活に必要な物一切合切が家に設置してある。 故に(電化製品一式・寝具一式・台所用品一式 その他生活に必需品全部)気軽に和気町に来て住んでみることができる。
それに 彼自身、東京の大企業に勤め・・大きな企業は財力で政府が一般人に流してはいけない情報はすべてコントロールして流さない様になっていると言うのを知り・・目が覚める。
つまり・・テレビや新聞等のマスメディアのコントロールを上層部がしていて・・普通の人達は真実が解りにくい様にで来ている・・等・・色んな試行錯誤を経て・・彼の家族は和気町移住に至っている。
彼の夫婦に長い間 東京では子供が授からなかったのに・・和気町に来てすぐ授かった・・と言うのには驚いた・・と彼は言っていた。 偶然かも知れないけど・・なにかやはり自然がそこで動いていたのも間違い無いような気がした・・。
私と友人は温泉も出るこの地に 一泊して・・温泉に浸かり・・ありあまる新鮮な空気を吸い・・二人ともにこにこ顔で・・ここに決めた! と 心の底からの安堵を感じる。
終の棲処としてここ和気町に住み着くまでの 土地さがし・・住み家を建てる等の過程をすべてサポートしてくれる 和気町役場と飯豊さんとの出会いは・・私自身・・これから邁進できるエネルギーを沸々を感じさせてくれるのだ・・。
2016年10月9日日曜日
相棒はつわもの スリランカ
我等 仕事引退女高齢者二人組。 我等はここんとこ 何ヵ月か旅を続けている。 どっちかと言うと私が一人で突っ走っている様な感じ・・かな・・? 友人は 私のわがままに いつも付き合ってくれている・・と思う・・。
台湾旅行の終盤にきて・・色んな事件勃発もあり・・それを 二人で潜り抜けて来ると・・友人が 友人と呼ぶのではなく・・”相棒” と読んだ方がしっくり来るような気がして来た・・。
そして 相棒と呼ぶだけではなく・・”強者”と言ってもいいような行動もする。つまり 頼りがいのある相棒なのだ・・。
エピソート1
予約した宿に到着して見ると・・それが消えている・・途方にくれる・・でも 相棒は全くもって たじろぐ事もない・・・タンタンとして 自分の旅資料をひっくり返し・・その夜の新たなねぐら探しを始める。
てきぱきとその宿の住所をしらべ まったくもってタクシーを拾える環境でない場所でも その辺の人にタクシーを呼んでもらうさんたんをもする・・。
何があってもたじろぐ事もない強者の相棒なのだ・・。
エピソード2
一日列車で移動・・と言う時・・どうしても ボックスシート(4人が向き合って座る座席)しか予約がとれなかった・・それも・・一番避けたいと思われる客が我等の席の向かい側に座っているのだ・・。 彼らはテーブルいっぱいに物を置き・・・足元は 我等の席の方まで 荷物と彼らの足でいっぱい・・。
それに・・そのうっとおしい奴は・・日本語をペラペラしゃべれるぜ! と信じて疑っていない70才くらいのじっちゃん。 ガンガン日本語で話かけて来る・・。 かなり乱れた日本語なので・・ほとんど何を言っているかわからない・・。
それでも ガンガン喋りまくる・・。 足は伸ばせない・・物は置けない・・相当窮屈な事態になってきた・・。 おまけにじっちゃんの訳のわからん日本語攻撃には ひきつるような笑みで彼の会話に反応するにも限度が来ていた・・。 も~~・・! 私はどうしていいのかわからない・・。怒りにも似た イライラ・・・!!
ふと 相棒の顔を見ると 完全に爆睡状態(絶対に狸寝入り)だ。 私は ”負けた・・” ”こいつじっちゃんの相手を私に押し付けたのだ・・” やはり相棒は強者なのだ・・。
エピソード3
相棒はなんでも食べるが・・口に入れる物にはかなりうるさい・・無農薬、手作り、添加物無しに徹している。
だから 食べる物には絶対に妥協しないのだ。 NOと言えないような状況でも・・自分の口に入れたくないものであれば・・絶対にNOと言う勇気がある。 私は自己主張の強い人間だと思ってはいるが・・彼女には負ける。
彼女はNOと言いたい時は 有無を言わさず NOが言える。 その辺日本人離れしている・・。 私が見習う事もたくさんもっている。
私も もっと自分の好き嫌いを自分で見極め・・それに徹する勇気を持たなければ・・と 彼女の行動から学ぶ事が多々あるのだ・・。
エピソード4
昨夜 私の独断でパッションフルーツを5個買った。 私の大好きなフルーツでニュージーランドではバカ高い・・だから こういう気候の土地に来たら・・必ず買う・・そして食べる・・。
相棒は何気に私が勧めたパッションフルーツを口にして・・次に彼女の口から出た言葉「明日 これを50個ぐらい買って来よう!」と真面目な顔をして言う・・。 私は椅子から落ちそうになる・・50個?!。
いつも 真面目で極端な事は一切口にしない彼女が ”50個!” それも本気!? 本気なのだ・・彼女は・・。
もちろん! 私は狂喜する! 50個買っても800円ぐらい・・。いつもケチケチしてしか食えない物が思いっきり食えるのだ!
私はそうとう面食らいながら・・ニマニマしてしまったのだ・・。やっぱ私の相棒は強者なのだ・・!
エピソード5
スリランカ旅の最後は始めての大都会Colmboに宿泊・・。
今まで スリランカのど田舎だけを攻めて来て・・毎日毎日・・毎食毎食・・主食はクラッカー(パンよりクラッカーの方が腐らない)とバナナ・・明けても暮れても・・それだけだと・・だんだん 日本に帰ったら何を食うか?の妄想ばかりしているわたし・・。
しかし! 相棒は「もうバナナが切れるからかわなくっちゃ~ね~・・」と呟く・・
あたしは 現実逃避にだけ走ってるから・・”バナナなんて食いたくねぇ~や~!” と心の中で思っている・・。
しかし! バナナの無い食事はもっと辛い・・。 クラッカーと水だけでは 本当に情けなくて涙が出そうになる・・だからバナナは必需品なのだ。 だからバナナをしっかり買う相棒。
そして やっとやっと! 大都会に来た我等は ”ごちそ~を食うぞ~!とレストランに行く! 金に糸目はつけねぇ~!と鼻息も荒く・・。 普通食事を買っても二人分で400円程度。 クラッカーとバナナだけなら二人で50円ぐらいで収まるのだ。
それを相棒が連れてってくれたレストランは二人で6千円ぐらいはする・・つまり金持ち外国人旅行者ぐらいしか来ないレストラン。 他は超お金持ちのスリランカ人が来る・・。 ヒルトンホテルのすぐ隣にあった・・。
相棒は金を出すときゃ~だすのだ! やるときゃ~やるのだ!
で・・蟹専門レストランだ~!と言うのがあった・・私は店構えでちょっとひるむぐらい超えばっているのだ・・その店のマネージャー的女が 私等が来たら・・あと10分ぐらいで開店だから外! 外!と言う・・。 その言い方が・・ えらく感じが悪い・・。
私はヨダレが口にたまって来る程 蟹料理にワクワクしていたが・・感じ悪マネージャー女にちょっとげんなり・・。
相棒が言う「ここやめよう!」 もう蟹・蟹・蟹・・でいっぱいになってた私の頭だけど・・相棒がやめよう!と言ってくれて・・胸のつかえがおりてスッとした・・。
私も やめよ~! やめよ~~! 食いもんは気持ちよく食わねば! とすごく嬉しくなった・・。 うんざりレストラン女に顔色1つ変えなかった相棒は こうやって ピシャリと気持ちの切り替えができる ピシッと筋がまっすぐ通っている心の持ち主なのだ・・。
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