2019年9月11日水曜日

化粧品

最近化粧を真剣に始める・・。

百均の化粧品でも 最高級の化粧品でも なんでもいい・・とりあえず 闇雲に 色んな物を試した。

化粧品に関しては もう すでに 誰よりも知っているつもりだ・・。

最高ブランドであればいいと言うのでも無い。

最高ブランドは 人種を選ぶという事がある・・。
つまり お高く止まった金持ちおばさん、 それも白人のみ・・と言うブランド。
高いのはだいたいそれに当てはまる。

安もんは それなりに粗悪素材で あまり良くない・・と言うのも学んだ。

資生堂は世界の資生堂として 今は 世界どこに行っても 高級ブランドと肩を並べている。

白人でも無い私は 資生堂が合う・・・と 時々思った時期もあった・・。 が・・やはり それは アジア人向け的商品が多いのに気がつく。

ま〜 私はアジア人だから 合うのでは・・? と思っていたが・・私は私で どこにも属して無い・・と言うのにも気づく。

つまり アジア人でも 中国の北 つまりロシアに近けれ白い。 秋田美人は白い肌の人が多い。

フィリピン人やカンボジア人的の肌の色とは全く違うのだ。

一概にアジア人と一つにくくってしまえる物でも無い。

アジア人は 欧米人からすれば インド・パキスタン・中東の人も まとめて入れて考える人もいる。

そしてまた 年齢層によっても 化粧の仕方は違う。 日本・韓国・中国のキラキラ若者の化粧と フィリピン系の中年以上の女性の化粧とは全く異なる。

そして 気候が違えば 化粧品の質はまるっきり違ってくるのだ。 
湿気と温度は化粧品に大きく作用する。 

ニュージーランドで使っているものが 日本の高温多湿では使いもんにならないし・・・

日本でこれはいい! と思っていたのが・・ニュージーランドに持ち帰ったら 冷たい乾燥した場所では カッサカサのカッチカチで使いもんにならない事もある。

さて 結論!

私が辿り着いたのは MACと言う化粧品。 これは人種を選ばない。 つまり肌の色を選ばない。 キラキラ若者だろうが・・老年白人だろうが・・アフリカ系黒人であろうが・・ 大丈夫。

つまり 顔はキャンバス そこに どんな色を載せようが なんでもござれと 揃えてある。

気候も選ばない。 世界中どこに行っても同じく作用する。 

そして嬉しい事に飛行場の免税店の化粧品売り場の固まった所にはなくて MACは 飛行機に乗る前に必ず待ち時間が生じて来る・・その場所に店を構えているので つい覗いてしまう。

そして 若者ギラギラ肌であろうが・・しわくちゃ・カサカサ肌であろうが・・ちゃんと化粧ができる肌に仕上げてくれるのが MACの商品なのだ。

何気に一つの商品をMACから 選んだのが・・・堰を切った様に この商品だけに集中してしまった。

人種・年齢を選ばない色合いをすべて揃えている・・と言う所に 私は一番魅力を感じたのかもしれない・・。

ブレずに生きたい

若い時 粗野な私は 化粧はどうも 受け付けられなかった。
化粧水も乳液も気持ち悪い・・ クソ喰らえ。
つまり 野生動物並にやって来たのだ。

日焼け止めも リップクリームも 目薬も ハンドクリームも 無縁の世界で生きて来た。

それが・・ここ数年 歌舞伎役者か舞妓さんなみの化粧でも いいのだ! と 両極端に走ってしまった。

昔から 老人が化粧を・・それも厚化粧をしていると とても いい感じに思えていたからだ・・。
しわくちゃの肌に シミだらけの肌。 それでも 嬉々として塗りまくっているのをみると・・ その人が 華やかに見えて・・ハッピーそうに見えた。

人生もまんざらすてたもんじゃ〜ね〜なぁ〜〜 と思って最後の時をエンジョイしている人に見えた。

よって 私もその部類に突入しよう! と思ったのだ。
誰が どう言おうと もう そんな事 しったこっちゃ〜ね〜 自分さえ良ければいいのだ。
どんなに自分の顔に色んなもんをハデハデにぬったくっても 誰に迷惑をかける訳でも無い・・。

洗練された化粧品会社のポスターモデルのようには 所詮誰もなれないのだから・・。

そして・・・自分の顔を鏡で見ながら 塗りたくっていると・・ 毎回 横浜のメリーさんの事を思う。

↓メリーさんの事がちょっと解る
横浜のメリーさん

彼女の最後はホームレス。
そして それでもなおかつ 厚化粧をして・・・時々 ぼぉ〜〜っと 最高級のフランスの香水とか女の憧れのグッズがあるショーウインドウを覗いていたとの事・・。

すごい!
彼女は最後まで 女だったのだ。

骨の髄まで 自分が自分であるのを 貫いたのだ。
決して妥協はしなかった。

私もメリーさんを目指して 彼女の様にブレずに 生きて行きたい。

2019年9月10日火曜日

自分の位置が少し見えて来た

日本人として生まれ 日本で育った。 そして 闇雲に海外に飛び出して・・また 日本に舞い戻るが・・そこはもう 自分の生きる場所はなかった。

何をどうあがいてみても 自分は日本社会に根を張れる人間ではなかった・・。

かと言って 日本以外の国で 生きて行けるのか? と思った所 そう簡単な物ではなかった・・。 

それから 私は自分の根を張れるべく がむしゃらに生きて来た。 30年ニュージーランドで一心不乱にやってきて・・結果 ニュージーランドが私の根を張れる地になったか? と思うと・・ いやいや 絶対に 私の居場所では無い。

ニュージーランド人は私の顔を見ると「ニーハオ」と言う。 私に Helloと言うのではない人種と即座に差別される・・。

世界どこに行こうと 地球上どこでも 「ニーハオ」なのだ。

そして 日本に行くと 私の言動・服装・髪型・化粧の仕方は 決して日本人のそれでは無い。 つまり 日本では 私はアジアの外国人と扱われる。 買い物をしても英語で対応される事しばしば。

と 言うことで 私は宙に浮いた わけのわからない人種で どこにも根は張れないのだ・・・と 長年思っていた。

が・・ 最近 少しだけだけど・・ 自宅の中にいる分は 確実に”自分の場所”なのだ。

自分の土地があり・・自宅があり・・自分の部屋があって そのスペースは紛れもない ”自分の場所”なのだ。

そう思える様になった。

つまり ニュージーランドに自分のスペースはある。

人が 私の顔を見て 「ニーハオ」と言おうが 私の場所はニュージーランドにある。 

これからもこのスペースを大切にして ゆるぎのない自分のスペースを開拓して行こうと思っている。

人の場所に行くのではなく 自分の場所に人が来てくれる分には 私は私でいれるのだから・・ 人を私の場所に招待すればいいのだ・・。

田舎の土地は 開拓中止状態だが・・大きな納屋はパティー会場はすでにできている。

大きな屋根のあるデッキ・何十台物車が停められる駐車場・10人以上が寝泊まりできる施設・・・これらを完成に向けて やって行こうと思う。

それが完成したら 世界中の友人を招待して そこで 休んで・人生の充電をして・遊んで・楽しんでもらおう。

そしたら そこもまた 自分の場所になり・・そこに深い根が張り・・自分の場所はもっと確固たる物になると思う・・。

なにかふっきれた・・・

長年がむしゃらに生きて来て・・もう 人生の最終章に突入している。

なのに なんか 癖なのかそのむしゃらさが 出て仕方が無い・・。

もうちょっと肩の力を抜いて もっと シンプルにいきなければ・・と 思うばかり。
そして 肩の力を抜いてみたら 少しばかり 吹っ切れた様な気がする。

人に媚びる・・・自分では こびているつもりでは毛頭なかったけど・・やはり媚だったのかも? 人には礼儀をつくして 精一杯やるべき・・でも それは もう媚でしかなかったのかも?

つまり いくら頑張っても その人の為に・・・と私が思っても それは 私の自己中心的な思いやりであって・・・必ずしもその人の為にではないのかもしれない。

逆に 他の人も 私の為に・・私を想って・・と してくれる事が私の為という事も無い。

ならば・・もう 何も考えずに まるで完全自己中心でいいのでは・・と思う。

人からなんと思われようと・・自分の為に行動していいのでは・・。

残り少ない人生の時間を どう自分が使おうと それは 自分の物であるので それはそれで 許されるのでは・・と思う。

そう思いだしたら・・なんか いつもいつも 自己嫌悪とかにさい悩まされていたのが アホくさくなって来た。

自分が傷つかない様に 今のまだ残っている自分の力を自分の為に使って生きていこうと思う。

2019年8月4日日曜日

Little Riverの日

今日は日曜日 夫の友達の家に行く事になった。
その友人はこの写真の真ん中の人。
彼ら3人は 彼らが 大学生の頃 バイト先で仲良くなったとの事。
その頃は 貧乏学生で 何も知らない ただの若者だったとか・・。
半世紀も昔の事である。

そして この可愛いお家は 真ん中の友人が一人で 廃材を集めて建てた家。
森の中にポツンとあって・・・とても素敵!
まるで メルヘンの世界。

山奥にしかいない ベルバードが そこらじゅうにいて 集まって来るのだ。

このメルヘンの家には トイレ・シャワー・キッチンも取り付けられるとか・・。
ちゃんと 住めるし・・・温かいし・・窓も大きくて まるで温室のようなのだ。
そして 周りは森と野鳥達がさえずっているだけ。



これは友人宅
かなり大きな家なのだ。
廃屋的なのを 全部自分の手で 立て直し とても快適に作られている。
大きな彼の敷地内は もう すべてがメルヘンの環境なのだ。
その友人の庭にあった木

その木の葉っぱは とてもとんがった先っちょで 触ると痛いのだ。
でも この真冬の植物達はみんな 茶色になってしまっているのに この木だけは 青々として 生き生きとしているのだ。

その友人の家の物置には 大きな木が立っている。
その木の枝が傘の様になっていて 物置の屋根は守られているのだ。