2015年12月4日金曜日

扶養されてるくせに

”扶養されてるくせに” と言うのが 父の口癖だった・・。

私が ”扶養されてる立場”をわきまえていなかった子供であるのは確かだったが・・。
それも いたし方なかったと思う・・・。

と言うのも 私が4歳ぐらいから 2歳年下の妹を任されて・・自力で 6年生きて来たからだ・・。
確かに父親の経済的配下にはあったが・・母親の結核静養で 母親不在だった・・・。

よって 私は野生の獣の様に 食い物を漁り・・・すべての行動は自己責任で 子供時代を過ごした・・と言う思いが強い・・・。

よって・・父親の”扶養配下”であるという事実は 自己確立がスッカリできあがった子供にとってはなんとも 辛い立場だった・・。

子供ながら ”扶養されてるくせに” と言う言葉は まるで 見えない刑務所にいるような気分にさせられた・・。

13歳の頃から この ”扶養配下”からの脱走を常に考えていた・・・。今でも覚えている 下校時に そのことばかりを考えながら 何キロも道を歩いたのを 鮮明に覚えている・・。

よって 18歳でやっと その配下から逃げられた時は まるで 刑務所から出たような自由を得た・・。

が・・結婚もし・・子供も大きくなって来た時に 実家に行った時・・・父親の気に障った行動を私がしたのか・・? ”一歩この屋根の下にはいったら 俺に扶養されてるのだ!” と言う 言葉を聞いた・・。

ほんの数日 実家へ行っただけで・・”扶養配下”の剣を振り回されたのだ・・。

以来・・・金輪際 実家には足を向けたくない・・と思った・・・。

日本女性のほとんどは ”扶養されている立場”だ・・。 完全にされていない女性は今の時代でも 稀な存在だろう・・。

まるで 女性は家畜と同じ立場ではないか・・中近東等で 夫の所有化された妻達は 夫の気に障る言動をしたら ガソリンを頭から浴びせられ・・火をつけられる・・と言うのと あまり変わらない様な気もする・・。

母親は一生 父親の ”扶養されてるくせに”の呪縛から説かれる事はなかった・・。 

父親はもうこの世に居ないが・・・父親の持っていた全財産を 父親の死と同時に自分一人の手中に収めたが・・それでも 彼女は その”扶養されてるくせに”の 呪縛から解き放たれて居ない・・。

父親が死んだ時 生きる支えを失ったかの様に ガラガラと音を立てて 彼女の生活は崩れた・・。

今は介護施設で平和に暮らしている彼女ではあるが・・それを支えているのは 国家公務員の妻である年金である・・。

よって 彼女は完全に受け身の姿勢・・つまり ”扶養されているくせに”の呪縛は 今もなおかかったままなのだ・・。

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