2017年9月25日月曜日

我が家の桜

我が家の裏にひっそりと立っている桜の木は 春になると・・俄然! 自己主張をして来て・・桜の花を満開にさせてくれる。
でも・・アッと言う間に咲いて・・アッと言う間に散って行く・・。
この時期に長期旅行とかを よくしているので・・今年は何年ぶりかで この桜の満開を眺める事ができた・・。

そしていつの間にか 大きく成長していた桜の木でした・・。

家の庭の真ん中にドデン! と立っているのが この八重桜の木。
他の桜が散って・・葉桜になる頃にやっと・・固いピンクのつぼみがほころびだす。
そして花は八重なので・・桜とは思えない程 艶やかなのだ・・。

そしてこの桜の花を塩漬けにしておくと・・いつでも お湯に戻すと・・
香り高い”桜湯”が飲める・・。

我が家では一番の宝物なのだ・・。

2017年9月16日土曜日

お花見

ニュージーランドにやって来た頃・・28年前ぐらいに こんなにユックリ散歩した・・。
以来 初めてのお花見

Zenkunは 風が強くて息が出来ない・・アップ アップしていた・・w
春の球根の花が咲き乱れ・・天国はこんな所かなぁ~~・・と思った・・。

Zenkunは桜の花を頭に乗せられて・・強い風に耐えていた・・。
Rogerは枝を揺すって 花吹雪を作り その下で 喜んでいた・・。

ZenRog



2017年9月14日木曜日

ニュージーランドの春はもうはじまりました!

田舎に向かって車を走らせると・・
山々は真っ白に雪が積もっているけど・・
風は柔らかく暖かい・・。

うららな風に乗って・・子羊さん達がたっくさん! 産まれてる・・。

蟹さん

車を運転していると・・ん?! なんだ?! 前の車にかわいい蟹さんがついている・・・。
わ~い! かにさんだ~~・・!!
と喜んでいるけど・・ え?! トヨタ!? トヨタが 蟹さんに化けていたんだ~~!

2017年9月12日火曜日

よだれ掛けではないのだ!

先日 息子が食べている時に 頬にちょっとなんかついていた・・。 で 私が 「なんかついているよ」というと・・・

すかさず・・息子は反逆に出る・・「こぼれているよ」と私の首の辺りを指差す・・。
 見てみると・・そうとうの食べ物が 自分の服の上に こぼれ落ちている。

ぎゃ~! という程 大量にこぼれているではないか!! せっせと私はそのこぼれている食べ物を食べる・・。

私の回りの人達はみんな 私がそんなにも沢山の食べ物をこぼして服にくっつけているのに・・誰も何も言わないのだろうか・・? もう しょっちゅうだから それは 普通の事で・・いちいち言っても無駄だ・・と言う事で・・言ってくれなかったのだろうか・・?

その事件後・・私は いつも食事の時は・・いやいや 卑し食いしているときも・・注意して自分の服をチェックする。

その度に 本当に ぎゃっ!! という程沢山こぼしているのだ・・。 ポロポロした物は 叩いて落とすけど・・それでも 胸の所だけ染みになっている服が大量にある・・。

服を洗濯しなければならなくなるのは 食べこぼしの染みにすぐなるからなのだ・・。

これではよだれ掛けが必要になる・・。

私の姪が私の孫へのプレゼントに・・”スタイ”をくれた。 スタイ?! なんじゃ~それは・・?

いまどき ”よだれ掛け”なんと言うダサい言い方はしないのだそうな・・ 今は ”スタイ” と言う・・。

それも 古い時代のよだれ掛けでは無く・・

上の写真の様な スカーフ風に巻くのが トレンディーなよだれ掛けらしい・・。

って事で・・普通の昔ながらのよだれ掛けを自分にかけるのは ボケ老人バリバリになってしまうので・・ ”スタイ”を自分にも取り入れたら・・いいのだ!!

it's OK

先日観た映画で 過酷な環境で・・脱走後の徒歩での自由な国へ進んで行く物語を見る・・。 

何人もの人が脱走したが・・一人抜け・・二人抜け・・と死んで行く。最後には 4・5人ぐらいしか残らない・・。

最後の方で・・もう少し・・というところで・・生き残りの人達は 死と生の間をうろつく状態で・・とうとう動けなくなった女性を 一人の男が抱き抱えて連れて行こうとする・・。

が 女性は地面に降ろして・・と懇願する・・。 地面に横たわった彼女はもう死の直前という状態だ・・彼女を囲んだ生き残っている男達は・・彼女の様子に見いる・・。

極限まで頑張って・・そして死んで行った沢山の人達を見送った様に・・。

彼女は自分を囲んで 自分に見入っている目を見る。 誰も何も言わない・・。 言葉を発するほどのエネルギーも残っていない・・。

でも みんなは彼女に ”よくここまでがんばったね えらいよ~!” と言っている目だ・・。

そして 彼女もまた 何も言葉を発しないけれど・・”ここまで連れて来てありがとう” と言っている目だ・・。

そして 最後に 一人の男が ”It's OK” と彼女にいう・・。 その言葉で 彼女はとても安らかな表情をして目を瞑る・・。

そして ユックリ・・彼女の心臓は止まる。

死ぬ瞬間はやはり やすらかな気持ちになって死にたい・・彼女の様に・・と思った。
頑張ったまま死ぬというのは避けたい・・。 

中学の友人が20代後半で幼子を残して逝った時の話を聞いた・・。

彼女の長い入院生活で・・突然夜になって 「家に戻りたい!」 と言い出した・・うろたえる旦那さんに 医者は「帰してあげなさい」と言ったそうな・・。

そして 彼女は自分で靴下を履いて・・家に戻り 次の日の明け方に逝ったと聞いた。

最後の逝く瞬間は ユックリと・・自分が・・”もう大丈夫だよ・・頑張らなくてもいいんだよ” と言えた時に 逝けるのだと思う。

弁慶の仁王立ちというのがあるが・・最後の最後まで頑張って・・死んだあとをも立っている程頑張るというのは なにか日本的な美徳な話ではあるが・・。

やはり 自分は・・安らかに・・誰かに ”It's OK” と言われて・・安心して 死にたい様な気がする・・。

2017年9月10日日曜日

とうとう 私のシャベルカーはお釈迦になってしまった・・。

ぎゅうぎゅう詰めにされたゴミの山にタックルインした私のちっこいシャベルカー・・。

いつも 何回も何回も シャベルの部分で 大量のゴミをすくう・・すくってもゴミが絡みあって・・そう簡単に外れない・・。

よって シャベルカーごと持っていかれそうになる。 つまりひっくり返りそうになるのだ・・。 やば! と思って 私はひっくり返る寸前で停止!

そして ユックリとすくっているゴミからシャベルの部分をはずす・・。 

しかし・・時々は すくうのが出来ないなら・・シャベルカーごとゴミをシャベルに引っ掻けて・・後進すると・・詰め詰めのゴミがはずれる・・。

それも後進もできないぐらい ガッチリとゴミが重く 絡みあっていることもある・・。

ウオン! ウオン! 言わせて・・目一杯の力を出して・・シャベルカーは喘いでいた・・。 そんなのが何時間も続いたら・・ピタ! とエンジンが止まってしまった・・。

修理の人が来て・・バッテリーだの・・ラジエーターだの アルタネーターだの・・ありとあらゆる物を点検!

あげくの果ては シャベルカーの座席をはずして・・エンジンの部分まで侵入・・ガスケットだの・・もう シャベルカーは バラバラ状態・・。

そして 数時間後・・彼は疲れはてた様な風情で・・私に・・
”悪いけど・・そうとう悪いニュース・・エンジンがダメっぽい・・” とのたまう。

今までキャタピラの取り替えと修理で すでに 数千ドルは使っている・・。

エンジンを取り替えるとなると・・別のを買った方がいいかも・・? と 修理の人もいう・・。

あ~・・・シャベルカーが無いと 私の田舎生活は成り立たないのだ・・。 これから春にかけて・・荒れ果てた土地は シャベルカーの一掻き 一掻きで すべては進んで行くのだ・・。

到底 人力・・つまり私の肉体の力では何もできない。 石・・それもデッカイのがゴロゴロしているこの土地に・・木を植え 花を植え そして野菜を植えるには シャベルカーが全部しない事には何も始まらない。

今のシャベルカーとて・・そうとう無理して買ったのに・・。 もうこれ以上の投資は不可能・・。 そして シャベルカー無しでは 田舎生活はできない・・。

かなり グッタリして・・小屋に鍵をかけ・・もうしばらくは・・ここに来る事もないだろう・・と まるで 生きる意味をも無くした様に・・田舎を後にした・・。

夫よ! 早く宝くじに当たってくれ!(いつもいつも 何十年も宝くじを買い続けている夫だから・・もうそろそろ ちょっとは当たってくれてもいい頃だとおもうけど・・。)

強い人間 弱い人間

自分は弱い・・・それも激弱人間だと思っている。

つまり 私の思う ”強い人間の定義” は物に動じないという事なのだ。 どんな環境にあっても どんなに端から言われても動じない人間は強いのだ・・。

たとえその人がかなりひ弱な人間に見えたとしても・・なんの意見も言えず・・なんの財力も無く・・なにももっていない・・そんな人間でも楽しく生きて行ける人がいる。

そんな人が一番強い人間に思えるのだ・・。

どんなに財力があり・・社会的地位があり・・回りを動かす力のある人でも・・その人が強いとは言えない。

その強いと思える人がちょっとした事でも心に痛手を食らう人であれば・・それは弱い人なのだ・・。 心に痛手をくう人は同時に体も痛手をくらっているから・・体も心と同時に弱る・・。

長生きを出きる人は 結局は”強い人”だと思う・・。 あまり動じない強い心を持っている訳だから・・。

そして 長生きする人は ”勝ち組”かもしれない・・。 ”憎まれっ子世にはばかる” という言葉があるが・・それも一理あるかも・・?

いい人間が長生きするとも限らない・・。 つまり いい人間だろうが・・利口な人間だろうが・・バカであろうが・・ つまり ”強い人間”が 長生きするのだろう・・。

もし 自分が80才を越して・・長生きしたら・・”自分は強い人間なんだ~~!” と自分に乾杯しよ~~!

もし 自分が 80才とかに満たないで死ぬことになったら・・”私は憎まれっ子では無く・・弱い人間でも無く・・いい人間なんだ・・心の優しい人間なんだ・・” と信じて死んでゆこ~~!

生きる意味は摩訶不思議

いつもやっている様に・・適当な動画をタブレットに流して・・それを睡眠導入剤にしている・・。

で・・昨夜はYOUTUBEで見つけた映画で・・安もんの映画だからFullMovieでも無料ってやつを流す・・。

でも 睡眠導入どころか・・観入ってしまった・・。 映画のスジは・・大学出たての女の子が一流企業でキャリアウーマンを目指すべく求職活動をしている。

女の子の母親は看護士をして苦労して娘を大学まで出させた・・母親は娘の成功を切望している・・。

が・・女の子は 一流企業の面接で・・”「自分の事を語って下さい」と言われて愕然とする。

自分が何なのか? だれなのか? どういう人間なのか・・? が全くわからない。 つまり自分のアイデンティティーが無い・・。

その質問で・・”じゃ~ 私はどう自分を語るか?” と 自分自身に問うてみた。

自分の事を言おうとすれば なんとでも言える・・母親でもあるし・・妻でもあるし・・ビジネスをやって来た。 だけど・・そこで・・じゃ~ どんな人なのか・・・? と問うても 私はどんな人なのか・・? わからない。

じゃ~ どんな人を自分は希望しているのだろうか・・? それもわからない。

闇雲にビジネスをして生きてきた・・。 そして 闇雲に好奇心のあるものに首を突っ込んで来た・・。

しかし・・そしたら・・・自分はどういう人間なのか・・? という答えがでる訳でも無い・・。

端の人に ”お前はこういう人間だ” と言われたら・・どんな事を言われても 否定したい気分になるだろう・・。
 
つまり 自分で自分に満足していない・・と言えば そうなのかもしれない・・。自分が ”こういう人間だ” というレッテルを貼られたくないのかもしれない・・。

で・・その女の子は映画の中で・・一流企業どころか 公園で自分にぶつかって来た子供のナニーとして雇われてしまって・・その子供の家庭崩壊・・を目の当たりに見る。

悪ガキで手のつけられない子供の世話でボロボロになって行くが・・結局 子供は愛情に餓えていて・・彼女はそこで 人生は何が大切なのか・・? というのを思い知る。

その悪ガキの環境は・・大金持ちのまるでプリンス・プリンセス・キング・クイーンという風な生活をしている人達。 でも愛の無い生活は崩壊しているのだ。

ま~ 安っぽい映画と言えば 安っぽいのだが・・。

そこで また 自分に置き換える。 つまり 自分は人生も大洲目になってきて・・愛という物があるのか・・?

愛とは・・? とか 相当抽象的な物に考えを巡らせ・・・そして 自分の回りにいる友人・家族を大切にしよ~~!と思う・・。

結局 回りの人間で 私に関わってくれる人達によって・・ 私は生かされているのだ・・。 彼ら無しでは 私という存在は意味の無い物なのかも知れない。

と思うと・・じゃ~ 自分は何が彼らにできるのか・・? 自分の出きる事はたいした事はあまり無い・・。

これから死ぬまで 出きるだけ回りの人の為になることを見つけて やっていこう! そうすることで自分の ”生きる意味” が存在して来るだろう・・。という結論に至る・・。

それにしても ロビン・ウィリアムの自殺は 何故なのか・・? が解らない・・。 あれほど 沢山の人の為・・沢山の人の命を大切にして 救って来た人が 何故に自殺しなければならなかったのだろう・・?

人にあれほど沢山の人達に愛された人が なぜに生きる意味を無くして・・自殺に追いやられてしまったのだろう・・。

結局 昨夜の映画で自分の生きる力は回りの人達に貰っている・・なのに・・その意味はなんの意味も無いのかな・・?


2017年9月6日水曜日

火を焚く

田舎の土地にもう半年以上もゴミの山がある・・。
ゴミと言ってもほとんどが木材のゴミで(木材しか燃やしてはいけないのだ・・)・・古い家を取り壊した時にでたゴミなのだ・・。
ゴミはゴミなので・・見てくれが良くない・・田舎の大自然の美しさに反して・・いつも私の気持ちを重くしていた。
そのゴミの山に タックルイン!

だが・・長雨の冬・・ゴミの山はなんか生ごみの山と化してしまって・・ゴミのてっぺんには雑草すら生えてきている。

冬のジメジメした季節しか オープンファイヤーは許されない。 それも クライストチャーチ市内では完全に許可されない。
つまり ここは田舎だから可能なのだ・・。
だけど・・オープンファイヤーを管理しているお役所が出しているサイトで 毎日 その日は火を焚いてもいいかどうかを調べてからでなくては火は焚けないのだ・・。

直径6m 高さ3mと言うでっかいゴミの山は 膨大なシャベルカーでこれでもか! と言う程詰め詰めにしてあるので・・私のオモチャの様なシャベルカーでは 爪が立たないのだ・・。

それにそのゴミの山にただ火をつければいいというのではない・・。 と言うのも そのゴミの山のすぐ下に 電気ケーブルが埋まっているのが発覚!
法的には地下のケーブルの深さは1mは無いとダメなのに・・40cmぐらいしか地面の中に埋まって無い・・。

つまりここで火を付けたら・・ケーブルが焼け切れて・・私の小屋は完全停電になってしまう・・。

って事で この大きな山から ちょっとづつ ちょっとづつ掘り起こして・・燃えそうな木だけを 少し離れた穴に持って行かなければならない作業をしている。

そして その穴堀りは 私のオモチャの様なシャベルカーでは 一日仕事になる・・。
それも 大量のディーゼルをウオン! ウオン! 言わせて消費し・・。

そして・・・シャベルカーのキャタピラのタイヤが外れるし・・。 つまりキャタピラのタイヤは摩耗していて・・伸びきっているのですぐ外れる。

そして・・新品と交換。
それに一週間以上かかる。

やっとこさ~~新品タイヤが来たけど・・そのキャタピラに食い込んでいる歯車みたいなのの ”歯”が摩耗し過ぎて・・キャタピラにちゃんと食い込まないので・・新品タイヤでも又もやすぐ外れる・・。

と ま~~ 色んな事件も勃発!

それから又 一週間・・。 でやっと ちゃんと使えるかも・・? まだ 修理されてから使ってないから 完全にOKかどうか・・?は 試運転してみないと解らない状態なのだ・・。

大きなゴミ山から運んで来た木を燃やすと火柱が立つ! ってかどんなにかガソリンを使った事か! ここまでの火柱を作るのに・・。

しかし・・深々と冷える夜の火は 暖かい・・。

火の霊の様に青く光る炎は 取り壊した家に配線してあった電気コードが廃材にくっついていて・・それが燃えているのだ・・。

電気コードは銅線で出来ている・・。
銅が燃える時は青い炎になるのだそうな・・。

火の霊ではない・・けど・・やはり ちょっと怖い・・。
なんか 130年もの間 沢山の人が住み着いた家だから・・魂とかが廃材の木に染みこんでいる様でもある・・。