2017年12月8日金曜日

頼る

歳を取ると言うと 子供に世話になる・・とか・・言うのがほとんどかもしれない。 子供が居ない人は 自分でどうにかするか・・それとも 姪や甥に頼るとか・・どうにかして若い血縁に頼るのは 当たり前と思っている我ら世代。

でも 私の回りにいる人達は真逆で・・絶対に若いもんには頼りたくない・・と言う確固たる信念で生きて来た人が多い。ってかほとんどかも・・?

そして それは皆女性達。

そして それは尊敬する立派な態度だと思う・・私だって 自己確率から自立の人生を歩んだ。

しかし・・

近年 歳を取るにしたがって・・自立した女性達は 自立はしたが・・孤立もするのだ。 それって やはり寂しい・・。

ガヤガヤ 賑やかに回りの人達といつも関わって生きている人達が羨ましい・・。

かと言って すぐ そのガヤガヤの中に入れるか? と言うと そんな簡単なものでは無い・・。

多分 小さい時から”頼る事” に恐怖を覚えて生きて来た人種になってしまっているので そう簡単に ガヤガヤの中に気楽に入れる様にはできていないのだ。

気軽に人に頼って・・回りの人が普通の日常を支えてくれる事が普通では無くなってしまっているのだ。

歳をとって・・生活が不自由になっても それでも 頼ろうとはしないのだ・・。

頼る事 イコール 頼った人間に支配されると言う恐怖が 三つ子の魂として体に染み付いているからだ・・。

私は父親に物心ついた頃から 「扶養されている身で生意気な。素直に親の言う事を聞け」と言われるのが染み付いたのだ。

18才になってやっと 家を脱走するようにして・・例えその辺で野垂れ死にしようがが 絶対に家を振り返る事はないのだ! ・・自由な身になりたい・・と渇望して家を出た。

以来 家と言うものは 両親と言う物は私を束縛する刑務所の様な物・・と言うのが自分の体に染み付いている。よって 家に帰りたいとか・・両親に甘えたいと言う気持ちはなく・・ ”自分一人でも出きるのだ! どうだ!” と・・・親に証明したいがばかりに がむしゃらに生きて来た。

今でも聴く度に涙が出る歌
↑の歌は 恋人にしがみつくのをやめて 一人でも生きて行ける と言う歌だけど・・私の親に対する気持ちと ものすごく似た歌詞で・・。

今でも 聴く度に涙がボロボロ流れる・・。
この歌で・・私は生きてこれた様な気がする・・。

自立を証明出きる確固たる物が確率された時は 親はもう腑抜けになっていた。 どうしても・・親に ”あなたは立派に生きれる人なんだね」 と 一言言われたいが為に今まで生きて来たような物だ・・。

もう 言ってもらえる可能性は無い・・と気がついた時には なんか 気が抜けたような気がした・・。

今までがむしゃらにやって来た事が 無駄だった様な気もした。 

私の友人も両親不在同然の状態で育った。 が 兄に完全に支配されて育った。 好きな食べ物も兄の合図で差し出さなければならないと言う状態で・・彼女はその支配の呪縛が70才になる今でも解けて居ない。

当然 彼女には ”頼る”と言う考えが無い。 頼るのは命の危機を感じるのだ・・。 つまり 自分が支配下にいる事を認めた瞬間に自分は 奴隷と化するのだ。

彼女は最近に手足に痛みの走る状態が続いて・・彼女はその痛みと戦いつつも自立の生活に徹していた・・。

彼女には人に”頼る” ”甘える” と言う事は その人の支配下になると言う危機を含んでいるのだ・・。

ある日 外出先で喉が乾いてペットボトルの水を買う・・が 指の先まで痛みが走る手で どうやってもペットボトルの蓋が開けられない・・。 諦めて 買ったばかりのボトルを捨てて帰って来た・・。

私が・・「回りの誰でもいいから 開けてもらえばよかったのに・・」と言ったが・・彼女にその選択がなかった気持ちもとても良くわかる・・。

彼女の体全体に・・頼る→支配される と言うのが染み込んでいるからだ・・。 私とすごく似ている・・。

でも 彼女からEmailが来て・・ 今度は 傘がさせなかったから 回りの知らない人に頼んでさしてもらったよ! と・・。

”えらい! よくやった!” と これは大革命なのだ!

私も 気軽に頼れる素直な気持ちを得る訓練をしなくっちゃ~・・。

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