昨日のニュースで 毎年クリスマス時期になると・・犬ちゃんが クリスマスツリーの下に置いてあるプレゼントに目を付ける。
そしてそのプレゼントの中には チョコとか クリスマスケーキ(ものすごく濃い味のドライフルーツがタップリ入った物)とか・・沢山あるのだ・・。
犬ちゃん達は それに目をつけ・・家に誰も居ないスキに大量に食べてしまって・・具合が悪くなったり・・最悪の場合は死んでしまう犬ちゃん達もいる。
ペットの救急病院は 大忙しになる季節とか・・。 よって みなさん十分に気を付けましょう! と言うのが ニュースだった・・。
さもあらん・・とジックリと頷いたのだった・・。
そんな時 息子家族がやって来て・・もちろん 彼等の愛犬 ミニチュアプードルの犬もくっついて来る。 彼は目ざとく ツリーの下にある彼宛てプレゼントに目をつけた・・。
ジャーキー風になっている骨を完全密封包装してあって・・その上からまた厳重にプレゼント用に包装した・・。 臭いを私自身で嗅いでみたら・・包装紙の印刷の匂いしかしない・・。 お~し! これで大丈夫だろう・・。
と思っていたら・・家に入ったトタン! 自分のプレゼント! と気がついたのか・・その包装紙をカリカリ引っ掻きだした・・。
息子が 「ダメ!」 と叱ったら・・ペトッとお座りして・・”いい子にしているから頂戴!” ってな具合で ジッとおねだりの目をしている・・。
すごい! やっぱ 犬はすごい! 嗅覚・・!
犬のいる家庭は 食べのものプレゼントはツリーの下には置くべきではないのだ・・。
うん!
2017年12月23日土曜日
2017年12月22日金曜日
ステキなレディー
昨日 タンゴダンスパーティーがあった。 そこで いつも会う 90歳ぐらいの女性がいる。 彼女は 私が 初めてタンゴダンスをやった時(20年前)も パーティーには必ずいた・・。
私はゴージャスな細い体の持ち主でもない・・ってかデブおばさん。 顔だって十人前・・それにダンスのレベルは最低・・。引け目条件てんこ盛り・・。
って事でパーティ―で踊るって言うチャンスがある事ですら奇跡! だから パーティーには極力参加したくない・・。タンゴダンスは男性に誘われない限り踊れない・・。
が・・その90歳ぐらいの女性・・どっからみても ヨボヨボ・・しわしわなのに・・いつもとっかえひっかえの男性と踊っている。
昨日のパーティーでは ハッとするような 夏の爽やかなドレス(サラサラの布に 白地に黒の水玉模様)に身を包み・・いつもダンスパートナーが絶えない。 特別派手なダンスをする訳でもない・・。
特別ヨボヨボに踊っている訳でも無い・・ごく普通に踊っている。
私はその人と顔見知りでもない・・・しかし 昨日のパーティーでは 出会った時に満面の笑顔で 私の両頬へのキスの挨拶をした・・・タンゴダンスの連中が必ずやる挨拶だ・・。
彼女はいつも慎ましやかで・・会話もあまりしない。 ひっそりと座っているか・・ひっそりと踊っている。
が・・昨日のパーティーでは ただ一人 豪華な屋内温水プールに飛び込んで 一人で泳いでいた・・。 彼女はちゃんと水着も用意していた・・。
パーティーの誰もが感嘆の声をあげていた・・。
卑屈100%の私が どうやったら あんなステキなレディーになれるだろうか・・?
私はゴージャスな細い体の持ち主でもない・・ってかデブおばさん。 顔だって十人前・・それにダンスのレベルは最低・・。引け目条件てんこ盛り・・。
って事でパーティ―で踊るって言うチャンスがある事ですら奇跡! だから パーティーには極力参加したくない・・。タンゴダンスは男性に誘われない限り踊れない・・。
が・・その90歳ぐらいの女性・・どっからみても ヨボヨボ・・しわしわなのに・・いつもとっかえひっかえの男性と踊っている。
昨日のパーティーでは ハッとするような 夏の爽やかなドレス(サラサラの布に 白地に黒の水玉模様)に身を包み・・いつもダンスパートナーが絶えない。 特別派手なダンスをする訳でもない・・。
特別ヨボヨボに踊っている訳でも無い・・ごく普通に踊っている。
私はその人と顔見知りでもない・・・しかし 昨日のパーティーでは 出会った時に満面の笑顔で 私の両頬へのキスの挨拶をした・・・タンゴダンスの連中が必ずやる挨拶だ・・。
彼女はいつも慎ましやかで・・会話もあまりしない。 ひっそりと座っているか・・ひっそりと踊っている。
が・・昨日のパーティーでは ただ一人 豪華な屋内温水プールに飛び込んで 一人で泳いでいた・・。 彼女はちゃんと水着も用意していた・・。
パーティーの誰もが感嘆の声をあげていた・・。
卑屈100%の私が どうやったら あんなステキなレディーになれるだろうか・・?
2017年12月18日月曜日
庭日記12月
12月になると庭が相当賑やかになって来る・・。 日本から密輸入した種から育ててわんさかになっている水菜・・。 まとめて千切ってサラダになる。 |
これは冬になって全部枯れたので・・あへ~~!! って思っていたら・・ 自然に種がこぼれて芽がでた・・ と思っていたら あれよ・・あれよ・・という間に 沢山育っている。 お花は食べられる。 プラッターとかサラダをとても華やかにしてくれる 相当重宝する物なのだ・・。 今は クリスマスパーティーにお呼ばれし・・一皿持参と言うのが基本なので・・この花を添える一皿がとても豪華になる。 |
ちょっとだけ赤くなって来ている・・ワクワク! |
毎年夫が植えるジャガイモ。 バカでもチョンでもジャガイモは育てられる・・と思っていたが・・ 毎年一つの苗に 数個だけ それもちっこいのしかつかない・・。 ん~~・・ジャガイモって そんなに簡単ではないのだ・・。 |
これも夫が育てているトマト。 彼が育てると ちゃんとした実がなったためしがない・・。 が・・今年は 大丈夫そう・・・。 |
昨年夫がコリアンダーの種を植えて育てた場所に 自然にわんさかと出てきたコリアンダー。 草も混ざっているが・・このワンサカぶりで 大量に使える。 コリアンダー大好き人間が回りに沢山いるので・・おすそ分けもできるのだ。 |
昔からあるアガパンサス。 この時期になるとつぼみを付ける。 もうすぐすると豪華な大輪の花を咲かす。 ほとんどが白だが チラホラと青い花も浸ける。 花の時期は短いが・・群れて咲くので庭を華やげてくれるのだ。 |
このアジサイはかな~~りの日蔭の身。 生きているのか・・死んでいるのか・・チッコイ苗が 相当の年月をかけてこの大きさになった。 今は かなりの日蔭でいつもは完全に忘れているが・・いまの時期になると・・ちゃ~~んと忘れずに花を咲かせてくれるのだ。 そうとう健気な花なのだ・・。 |
どういう訳が私はエンドウ豆が大好き! 種から植えて・・たくさんの芽がでて来た。 沢山の実がなって・・甘い豆を腹いっぱい食いたいな~~。 |
毎年大きなフェジョアの木から大量のフェジョアのフルーツがなる。 食べきれなくて・・フリーザーに保存してあるのもたくさんある。 香高いこのフェジョアのフルーツをタラフク食べられるも もうすぐ! 今年もたくさんの花が咲きました! |
家の裏にはフューシャの花がわんさか咲いています。 赤とうす紫の花の咲く木がふたつあって・・二つともでかい! のです。 |
塀の所に自然に生えてきた花。 毎年ちょっとづつ大きくなってゆきます。 今 かわいい花をたくさんつけて 裏のあまり陽の射さない場所を にぎやかにしてくれています。 |
格差はあるのだ・・
昨日と一昨日を連日で クリスマスパーティーによばれる。 で 二カ所とも まるでパレス! と言われるぐらいデカイ屋敷。
庭は まるでゴルフコースか!? と言うぐらいデカイ・・・。 豪華なガラス張りの屋内プールがあり・・ここ、あそこに 豪華な花々が咲き乱れ・・・。
そして そこに招かれて来た人種は日ごろ会わない様なヤカラばかり・・贅沢な衣服で・・贅沢な日常をちらつかせる会話・・・(あえてちらつかせている訳ではないのだろうが・・ひがみ根性の私から見たら そう聞こえるのだ・・)。
日本にも貧富の差が出て来た・・とは言え・・やはりそこまでは無い・・。 アメリカよりは 貧富の差は少ないのかもしれない ここニュージーランド・・。
それでも いつも思わずに居られないのが・・貧富の差。
ちょっと場所が変われば 別世界に入り込む。 そして そんな大きなギャップのある瞬間に出くわすのは 日常茶飯事なのだ・・。
ショッピングセンターですら 格差がものすごくある・・。 高級住宅地のショッピングセンターの駐車場に入ったトタン! 車の車種が違う・・。 ベンツだのアウディ、BMW だのが 普通にずらり! と停めてある・・。
別の所は 汚く・・やっと動いている車がずらり! と並んでいたり・・。
私にはその格差の間を行ったり来たりするのはしんどい・・。
よって 私は”有色人種” と言う事は 格の高い所では居ずらい所(格の高い所は白人ぐらいしか居ない)。 結局格の低い・・有色人種の場所にいるのが 一番楽なのだ・・。
私は・・連日 格の高い所でのパーティーに グッタリしている 今日この頃・・。
庭は まるでゴルフコースか!? と言うぐらいデカイ・・・。 豪華なガラス張りの屋内プールがあり・・ここ、あそこに 豪華な花々が咲き乱れ・・・。
そして そこに招かれて来た人種は日ごろ会わない様なヤカラばかり・・贅沢な衣服で・・贅沢な日常をちらつかせる会話・・・(あえてちらつかせている訳ではないのだろうが・・ひがみ根性の私から見たら そう聞こえるのだ・・)。
日本にも貧富の差が出て来た・・とは言え・・やはりそこまでは無い・・。 アメリカよりは 貧富の差は少ないのかもしれない ここニュージーランド・・。
それでも いつも思わずに居られないのが・・貧富の差。
ちょっと場所が変われば 別世界に入り込む。 そして そんな大きなギャップのある瞬間に出くわすのは 日常茶飯事なのだ・・。
ショッピングセンターですら 格差がものすごくある・・。 高級住宅地のショッピングセンターの駐車場に入ったトタン! 車の車種が違う・・。 ベンツだのアウディ、BMW だのが 普通にずらり! と停めてある・・。
別の所は 汚く・・やっと動いている車がずらり! と並んでいたり・・。
私にはその格差の間を行ったり来たりするのはしんどい・・。
よって 私は”有色人種” と言う事は 格の高い所では居ずらい所(格の高い所は白人ぐらいしか居ない)。 結局格の低い・・有色人種の場所にいるのが 一番楽なのだ・・。
私は・・連日 格の高い所でのパーティーに グッタリしている 今日この頃・・。
人間の脳と心
ネットの動画で 生後数か月の赤ちゃんが スマホを取り上げられるとひっくり返って ぎゃん泣き・・で 又 スマホをあたえると ケロッとして又 スマホの画面に食い入る・・。
それを繰り返している親達は その動画の中で笑っていた・・。が・・笑える物ではないのでは・・? と思う・・。
孫ができ・・いま生後4ヵ月だが・・すでにスマホの画面に食い入る様に見る事がある・・。 しかし・・まだまだ 目の前にかざした手の動きだけでも それに食い入る様に見て・・心を躍らせる事もできる。
以前 医者が 赤ちゃんの予防注射の直後・・赤ちゃんの目の前でティッシュの箱からガンガンティッシュを出し・・・舞い上がらせた。 結果・・赤ちゃんの泣いたのは 1・2秒で終わった・・。
電子機器で赤ちゃんや幼児の気を反らして 子供から邪魔されないで親の時間を作るのは 今は 普通に常套手段として使われている・・。
現に私も共働きで・・毎日疲れ切って生活していた時期があった・・。 結局私の息子はテレビ番組からテレビゲームにはまり・・刺激はそこから貰って成長した・・。
親が・・いや・・回りの大人達が 電子機器の力を借りずに子供を育てるのではなく・・ 普通の人間の感性で子供を育てる・・と言う事ができるのが 一番なのでは・・と思わずに居られない・・。
そして そういう事ができる大人には 心と時間の余裕がなければならない・・。 それが一番難しく・・重要な所かもしれない。
麻薬中毒の母親から産まれた赤ちゃんは 産まれたトタン つまり麻薬の供給が止まったトタン 禁断症状にさいなまれる。 その苦しみを癒すのは 人間の抱擁だというのが発見された。
よって 今は 麻薬中毒の赤ちゃんが産まれた瞬間から 24時間抱きしめるという人間の仕事が沢山必要になっている・・との事・・。 その人達は 交代で24時間赤ちゃんを抱いて過ごすのだ・・。
科学物質や機械ではできない物で 赤ちゃんや子供の体と心を癒すという力が 人間の体には備わっているのは確かな様だ・・。
孫はせいぜい 化学物質や機械では無い物で 脳や心を発達して貰いたいと思う・・。
それを繰り返している親達は その動画の中で笑っていた・・。が・・笑える物ではないのでは・・? と思う・・。
孫ができ・・いま生後4ヵ月だが・・すでにスマホの画面に食い入る様に見る事がある・・。 しかし・・まだまだ 目の前にかざした手の動きだけでも それに食い入る様に見て・・心を躍らせる事もできる。
以前 医者が 赤ちゃんの予防注射の直後・・赤ちゃんの目の前でティッシュの箱からガンガンティッシュを出し・・・舞い上がらせた。 結果・・赤ちゃんの泣いたのは 1・2秒で終わった・・。
電子機器で赤ちゃんや幼児の気を反らして 子供から邪魔されないで親の時間を作るのは 今は 普通に常套手段として使われている・・。
現に私も共働きで・・毎日疲れ切って生活していた時期があった・・。 結局私の息子はテレビ番組からテレビゲームにはまり・・刺激はそこから貰って成長した・・。
親が・・いや・・回りの大人達が 電子機器の力を借りずに子供を育てるのではなく・・ 普通の人間の感性で子供を育てる・・と言う事ができるのが 一番なのでは・・と思わずに居られない・・。
そして そういう事ができる大人には 心と時間の余裕がなければならない・・。 それが一番難しく・・重要な所かもしれない。
麻薬中毒の母親から産まれた赤ちゃんは 産まれたトタン つまり麻薬の供給が止まったトタン 禁断症状にさいなまれる。 その苦しみを癒すのは 人間の抱擁だというのが発見された。
よって 今は 麻薬中毒の赤ちゃんが産まれた瞬間から 24時間抱きしめるという人間の仕事が沢山必要になっている・・との事・・。 その人達は 交代で24時間赤ちゃんを抱いて過ごすのだ・・。
科学物質や機械ではできない物で 赤ちゃんや子供の体と心を癒すという力が 人間の体には備わっているのは確かな様だ・・。
孫はせいぜい 化学物質や機械では無い物で 脳や心を発達して貰いたいと思う・・。
まだ お座りもできない今
体をくねらせるか・・蹴る事しかできない。
そこで 親は考えた・・
空を蹴るより 蹴りに抵抗を・・・
2017年12月10日日曜日
生後四ヶ月なのに!
まだ 産まれてやっと四ヶ月。
お座りだってできない・・。
ついこの前生まれて ウジ虫の様に ウニウニとうごめいていただけしか能のなかった生き物が・・
真剣なまなざしで・・彼の父親の手を見つけている・・。
音を発して注意を引き付けている訳ではない・・
ただただ 手の動きだけで・・こうも神経を集中させて・・心を躍らせる事ができるのだろうか・・?
赤ん坊の脳の発達には目を見張る物がある・・!
生後三ケ月でこんなんできるの?!
ついこの前に産まれ・・ついこの前にやっと 目が見える様になり・・。
なのに!!
この動画・・おしゃぶりを おしゃぶりと認識し・・ 自分の手を使って口に入れようとしているのだ・・!
まだ お座りもできないし・・首がやっと座ったか座らないか・・そんな時なのに・・。
もちろん言葉も一言も覚えていない・・。
ただただ おっぱいを飲んで・・ウンコをして・・それだけの生活。
時々笑ったりはするけど・・。
なのに おしゃぶりを自分の手で 自分の口に入れようとしているのだ・・。
知能の発達って めまぐるしい!!
2017年12月8日金曜日
今日は暑い!
頼る
歳を取ると言うと 子供に世話になる・・とか・・言うのがほとんどかもしれない。 子供が居ない人は 自分でどうにかするか・・それとも 姪や甥に頼るとか・・どうにかして若い血縁に頼るのは 当たり前と思っている我ら世代。
でも 私の回りにいる人達は真逆で・・絶対に若いもんには頼りたくない・・と言う確固たる信念で生きて来た人が多い。ってかほとんどかも・・?
そして それは皆女性達。
そして それは尊敬する立派な態度だと思う・・私だって 自己確率から自立の人生を歩んだ。
しかし・・
近年 歳を取るにしたがって・・自立した女性達は 自立はしたが・・孤立もするのだ。 それって やはり寂しい・・。
ガヤガヤ 賑やかに回りの人達といつも関わって生きている人達が羨ましい・・。
かと言って すぐ そのガヤガヤの中に入れるか? と言うと そんな簡単なものでは無い・・。
多分 小さい時から”頼る事” に恐怖を覚えて生きて来た人種になってしまっているので そう簡単に ガヤガヤの中に気楽に入れる様にはできていないのだ。
気軽に人に頼って・・回りの人が普通の日常を支えてくれる事が普通では無くなってしまっているのだ。
歳をとって・・生活が不自由になっても それでも 頼ろうとはしないのだ・・。
頼る事 イコール 頼った人間に支配されると言う恐怖が 三つ子の魂として体に染み付いているからだ・・。
私は父親に物心ついた頃から 「扶養されている身で生意気な。素直に親の言う事を聞け」と言われるのが染み付いたのだ。
18才になってやっと 家を脱走するようにして・・例えその辺で野垂れ死にしようがが 絶対に家を振り返る事はないのだ! ・・自由な身になりたい・・と渇望して家を出た。
以来 家と言うものは 両親と言う物は私を束縛する刑務所の様な物・・と言うのが自分の体に染み付いている。よって 家に帰りたいとか・・両親に甘えたいと言う気持ちはなく・・ ”自分一人でも出きるのだ! どうだ!” と・・・親に証明したいがばかりに がむしゃらに生きて来た。
今でも聴く度に涙が出る歌
↑の歌は 恋人にしがみつくのをやめて 一人でも生きて行ける と言う歌だけど・・私の親に対する気持ちと ものすごく似た歌詞で・・。
今でも 聴く度に涙がボロボロ流れる・・。
この歌で・・私は生きてこれた様な気がする・・。
自立を証明出きる確固たる物が確率された時は 親はもう腑抜けになっていた。 どうしても・・親に ”あなたは立派に生きれる人なんだね」 と 一言言われたいが為に今まで生きて来たような物だ・・。
もう 言ってもらえる可能性は無い・・と気がついた時には なんか 気が抜けたような気がした・・。
今までがむしゃらにやって来た事が 無駄だった様な気もした。
私の友人も両親不在同然の状態で育った。 が 兄に完全に支配されて育った。 好きな食べ物も兄の合図で差し出さなければならないと言う状態で・・彼女はその支配の呪縛が70才になる今でも解けて居ない。
当然 彼女には ”頼る”と言う考えが無い。 頼るのは命の危機を感じるのだ・・。 つまり 自分が支配下にいる事を認めた瞬間に自分は 奴隷と化するのだ。
彼女は最近に手足に痛みの走る状態が続いて・・彼女はその痛みと戦いつつも自立の生活に徹していた・・。
彼女には人に”頼る” ”甘える” と言う事は その人の支配下になると言う危機を含んでいるのだ・・。
ある日 外出先で喉が乾いてペットボトルの水を買う・・が 指の先まで痛みが走る手で どうやってもペットボトルの蓋が開けられない・・。 諦めて 買ったばかりのボトルを捨てて帰って来た・・。
私が・・「回りの誰でもいいから 開けてもらえばよかったのに・・」と言ったが・・彼女にその選択がなかった気持ちもとても良くわかる・・。
彼女の体全体に・・頼る→支配される と言うのが染み込んでいるからだ・・。 私とすごく似ている・・。
でも 彼女からEmailが来て・・ 今度は 傘がさせなかったから 回りの知らない人に頼んでさしてもらったよ! と・・。
”えらい! よくやった!” と これは大革命なのだ!
私も 気軽に頼れる素直な気持ちを得る訓練をしなくっちゃ~・・。
でも 私の回りにいる人達は真逆で・・絶対に若いもんには頼りたくない・・と言う確固たる信念で生きて来た人が多い。ってかほとんどかも・・?
そして それは皆女性達。
そして それは尊敬する立派な態度だと思う・・私だって 自己確率から自立の人生を歩んだ。
しかし・・
近年 歳を取るにしたがって・・自立した女性達は 自立はしたが・・孤立もするのだ。 それって やはり寂しい・・。
ガヤガヤ 賑やかに回りの人達といつも関わって生きている人達が羨ましい・・。
かと言って すぐ そのガヤガヤの中に入れるか? と言うと そんな簡単なものでは無い・・。
多分 小さい時から”頼る事” に恐怖を覚えて生きて来た人種になってしまっているので そう簡単に ガヤガヤの中に気楽に入れる様にはできていないのだ。
気軽に人に頼って・・回りの人が普通の日常を支えてくれる事が普通では無くなってしまっているのだ。
歳をとって・・生活が不自由になっても それでも 頼ろうとはしないのだ・・。
頼る事 イコール 頼った人間に支配されると言う恐怖が 三つ子の魂として体に染み付いているからだ・・。
私は父親に物心ついた頃から 「扶養されている身で生意気な。素直に親の言う事を聞け」と言われるのが染み付いたのだ。
18才になってやっと 家を脱走するようにして・・例えその辺で野垂れ死にしようがが 絶対に家を振り返る事はないのだ! ・・自由な身になりたい・・と渇望して家を出た。
以来 家と言うものは 両親と言う物は私を束縛する刑務所の様な物・・と言うのが自分の体に染み付いている。よって 家に帰りたいとか・・両親に甘えたいと言う気持ちはなく・・ ”自分一人でも出きるのだ! どうだ!” と・・・親に証明したいがばかりに がむしゃらに生きて来た。
今でも聴く度に涙が出る歌
↑の歌は 恋人にしがみつくのをやめて 一人でも生きて行ける と言う歌だけど・・私の親に対する気持ちと ものすごく似た歌詞で・・。
今でも 聴く度に涙がボロボロ流れる・・。
この歌で・・私は生きてこれた様な気がする・・。
自立を証明出きる確固たる物が確率された時は 親はもう腑抜けになっていた。 どうしても・・親に ”あなたは立派に生きれる人なんだね」 と 一言言われたいが為に今まで生きて来たような物だ・・。
もう 言ってもらえる可能性は無い・・と気がついた時には なんか 気が抜けたような気がした・・。
今までがむしゃらにやって来た事が 無駄だった様な気もした。
私の友人も両親不在同然の状態で育った。 が 兄に完全に支配されて育った。 好きな食べ物も兄の合図で差し出さなければならないと言う状態で・・彼女はその支配の呪縛が70才になる今でも解けて居ない。
当然 彼女には ”頼る”と言う考えが無い。 頼るのは命の危機を感じるのだ・・。 つまり 自分が支配下にいる事を認めた瞬間に自分は 奴隷と化するのだ。
彼女は最近に手足に痛みの走る状態が続いて・・彼女はその痛みと戦いつつも自立の生活に徹していた・・。
彼女には人に”頼る” ”甘える” と言う事は その人の支配下になると言う危機を含んでいるのだ・・。
ある日 外出先で喉が乾いてペットボトルの水を買う・・が 指の先まで痛みが走る手で どうやってもペットボトルの蓋が開けられない・・。 諦めて 買ったばかりのボトルを捨てて帰って来た・・。
私が・・「回りの誰でもいいから 開けてもらえばよかったのに・・」と言ったが・・彼女にその選択がなかった気持ちもとても良くわかる・・。
彼女の体全体に・・頼る→支配される と言うのが染み込んでいるからだ・・。 私とすごく似ている・・。
でも 彼女からEmailが来て・・ 今度は 傘がさせなかったから 回りの知らない人に頼んでさしてもらったよ! と・・。
”えらい! よくやった!” と これは大革命なのだ!
私も 気軽に頼れる素直な気持ちを得る訓練をしなくっちゃ~・・。
2017年12月6日水曜日
ダックりんの親子
2017年12月5日火曜日
私の靴
家回り大改造
私の土地を占領する者
前々回に私の土地に行ってみると・・・羊の親子がいるではないか! 私が来ると・・ 「うっとおしいなぁ~! どっかいけよ~! ここは俺たちの家なんだ~!」と言う顔を何回もされた・・。 私が作業をしていても・・嫌な目で見るだけで トコトコ逃げる訳でもない雰囲気で・・。 ”いつくなら居ついてもいいけど・・” と私は寛容なのだ・・。 |
そして今回 又 久しぶりにやってくると・・羊の親子は居ない・・。 どっかに引っ越したのか・・? ちょっと寂しい・・と思っていたら・・ いた! 今度は違うのがいるし・・。 私の車の下にいるのだ・・。 |
やはりこいつも 私がやってきたのが迷惑なんだけど・・的な顔を何回もした。 近付いても あまり気にせず せっせと草を食べていた・・。 |
私の田舎の土地に自然に生えてた花
このバラは何度も踏み潰された。 その度に私は起き上がらせて・・時々水をやりやっとホッソリした茎で生きてきていた。 先日田舎の土地に行ってみると・・輝く様に咲いていた。 まるで光を放っているような色なのだ。 何回見ても 不思議なバラなのだ。 |
これは椿というのに・・なんと! あでやか! 椿とは思えない形をしている。 が! やはり種類は椿なのだ。 |
これは敵! ズボンの布を通してもチクチクと刺す葉っぱなのだ。 完全に絶滅させたい! と思っている。 が・・種がドンドン散って・・ドンドン増えている・・。 どうすりゃ~いいんだ~~? |
お化けの様に上の方から垂れ下がっている沢山の花。 見事!なのだ。 なんという花かわからないが・・大きな木にさいている。 |
これは相当ちっこい。 多分だいぶ前のこの土地のオーナーが植えたのが年々続いて咲いているのかも・・? 沢山の雑草に埋もれてやっと咲いていた・・。 |
これはけっこう大きな木にさいている花。 白い可憐な花でかわいい・・。 |
レモングラス
10年前に植えた花
5つのファミリー
甲状腺専門医に私は惚れている・・ってか・・片思い胸キュンだけなのだが・・。
私の甲状腺腫瘍の為(悪性では無い)一年に一回ぐらいしかその彼には会わないのだが・・。 彼の優しい対応に年々彼に興味が湧いて来たのだ・・。
前回会った時は 甲状腺腫瘍以外の私の体の事を色々訊いてくるので・・ちょうど私の心臓が不整脈を打って 心臓専門医と会う約束の前の日だったので・・詳しく私の症状を彼に伝えた。
彼は優しく 私の脈を調べた。彼は心臓専門医ではないので・・関係ないのでは・・? とは思ったが・・優しくお医者さんにされるのは悪い気はしない・・。特に胸キュン先生が私の手を握ってくれるんだから・・。
そして 彼は私の心臓専門医の名前を訊くので伝えると・・「僕はその医者をすごくよく知っている・・彼は名医だ! よろしく伝えてくれ」 と言う。
そんなこんながあって・・ついに私はその甲状腺の専門医の名前をインターネットでググってみると・・彼はけっこう有名な医者のようだ・・。
そして彼自身 最近生死を左右する危険な心臓の手術をしている。 その手術をしない限り絶対に死ぬのだ・・。 命がけの手術の執刀医が私の心臓の専門医だったのだ。
そして彼は ”甲状腺癌”と言う本も出版している。
私は甲状腺癌ではないが・・彼に興味がある為 その本を購入。 普通英語の本は読んでも私の英語力では全然おもろくない。 本は日本語でないと 全く読む気がしない・・。
だから英語の本など買った事は無い・・。
だが・・彼はどんな事を書いたのだろう? 生死の間をさまよい・・一時は死も覚悟した時期のあった彼は何を その”甲状腺癌”について書いているのだろう・・?
それだけの興味でその本を買った。優しい英語で誰でもわかりやすい様に書かれていた。そして 私の思った通り・・甲状腺癌の専門の事もあるが・・癌によって・・どうやって死に向き合うか・・? と言う哲学的な事も書いてあった。
今日彼に会った時・・(今日は再度私の放射能療法をする日だったので彼に会う)色々沢山の説明があり・・最後に 「質問は?」と言うので・・。
思い切って・・「あなたの心臓の調子は?」と訊くと・・彼は突然彼自身の色んな事を話してくれた。
彼の本も買って読んでいるよと私が言うと・・「あなたは癌ではないのになぜ?」と訊くので・・
私は・・「あなたこそ生死の間をさまよって 死と本気で向き合った時期があったでしょう? 私だって 遅かれ早かれ死は必ずやって来る。 だからその本に興味があった」というと すごく納得してくれた。
そして 彼は彼の私生活も含めて彼の生き方等を語ってくれた。 ついでに私も自分の田舎の開拓作業の事、 ダンスを始めた事、 色んな事を死ぬまでにしたい・・と言う事が・・怒涛の如く私の口からほとばしった!
そして彼は ”5つのファミリー”を持つと言うのを実施! と言う。
それはなんだ?! と訊くと・・生きるのには5つのファミリーを持つ事が大切。
私には
*一つ目のファミリーは血縁のファミリーがある。
*二つ目はダンスのファミリー つまりダンスを通して仲間がいる事で 自分は生きられる。
*三つ目は 今度スペイン語クラスの一年コースを予約した。 これはけっこうの集中コースで今まで チンタラとチマチマやっていたコースよりも本気を出さなければならない。
つまり 仲間がいるファミリーを私は三つ持っている・・と彼は言う。でもあと二つもつべきだ・・と言う。
と言う事で・・あと二つどうしても私はみつけなければならない。 一人でやる事はファミリーにはならない。 仲間がいるグループがあってそこの一員に自分がならなければならないのだ。
今まで 一匹オオカミで生きてきて・・団体生活ができない私が あと二つ見つけるのだ。
ここ一年ぐらいの間に 私は”老人の孤独”と言うのを考え続けていた・・。団体が嫌いとか言ってる場合ではないのが歳を取るにつれわかって来る。
そして辿り着いたのが ダンスとスペイン語なのだ。
色んな習い事を考えたが・・自分に合っていないと長続きはしないし・・自分に合ってない習い事と言う事は その仲間も自分と合う事は無い・・。
色んなダンスを今までやってきたが・・やはりアルゼンチンタンゴが一番自分に合っているのを最近発見! 先生も色々出会ってきたが・・いまの先生が一番好きだ。
そして 習い事も 料理だの・・裁縫だの・・自分の好きな事を色々考えたが・・やはり習うとなると・・好きだから習いたいのとは又別の事であるというのも解ってきた・・。 つまり 料理も裁縫も習いたくはない・・自分の好きなやり方でやりたい。
って事は習い事の内には入らないのだ。
しかし! 語学はスペイン語を母国語とする先生が教えてくれる事でやっと学べる。自習だけではダメだ・・と言うのに気付く・・。
残りはあと二つ・・・どう考えてもわからない。
甲状腺専門医との別れ際に心のこもった握手の際 「あと二つファミリーをみつけろよ!」と優しい彼の笑顔とまなざしを思い出しつつ・・あと二つのファミリー・・と今は呪文のように唱えつつ考えている・・。
私の甲状腺腫瘍の為(悪性では無い)一年に一回ぐらいしかその彼には会わないのだが・・。 彼の優しい対応に年々彼に興味が湧いて来たのだ・・。
前回会った時は 甲状腺腫瘍以外の私の体の事を色々訊いてくるので・・ちょうど私の心臓が不整脈を打って 心臓専門医と会う約束の前の日だったので・・詳しく私の症状を彼に伝えた。
彼は優しく 私の脈を調べた。彼は心臓専門医ではないので・・関係ないのでは・・? とは思ったが・・優しくお医者さんにされるのは悪い気はしない・・。特に胸キュン先生が私の手を握ってくれるんだから・・。
そして 彼は私の心臓専門医の名前を訊くので伝えると・・「僕はその医者をすごくよく知っている・・彼は名医だ! よろしく伝えてくれ」 と言う。
そんなこんながあって・・ついに私はその甲状腺の専門医の名前をインターネットでググってみると・・彼はけっこう有名な医者のようだ・・。
そして彼自身 最近生死を左右する危険な心臓の手術をしている。 その手術をしない限り絶対に死ぬのだ・・。 命がけの手術の執刀医が私の心臓の専門医だったのだ。
そして彼は ”甲状腺癌”と言う本も出版している。
私は甲状腺癌ではないが・・彼に興味がある為 その本を購入。 普通英語の本は読んでも私の英語力では全然おもろくない。 本は日本語でないと 全く読む気がしない・・。
だから英語の本など買った事は無い・・。
だが・・彼はどんな事を書いたのだろう? 生死の間をさまよい・・一時は死も覚悟した時期のあった彼は何を その”甲状腺癌”について書いているのだろう・・?
それだけの興味でその本を買った。優しい英語で誰でもわかりやすい様に書かれていた。そして 私の思った通り・・甲状腺癌の専門の事もあるが・・癌によって・・どうやって死に向き合うか・・? と言う哲学的な事も書いてあった。
今日彼に会った時・・(今日は再度私の放射能療法をする日だったので彼に会う)色々沢山の説明があり・・最後に 「質問は?」と言うので・・。
思い切って・・「あなたの心臓の調子は?」と訊くと・・彼は突然彼自身の色んな事を話してくれた。
彼の本も買って読んでいるよと私が言うと・・「あなたは癌ではないのになぜ?」と訊くので・・
私は・・「あなたこそ生死の間をさまよって 死と本気で向き合った時期があったでしょう? 私だって 遅かれ早かれ死は必ずやって来る。 だからその本に興味があった」というと すごく納得してくれた。
そして 彼は彼の私生活も含めて彼の生き方等を語ってくれた。 ついでに私も自分の田舎の開拓作業の事、 ダンスを始めた事、 色んな事を死ぬまでにしたい・・と言う事が・・怒涛の如く私の口からほとばしった!
そして彼は ”5つのファミリー”を持つと言うのを実施! と言う。
それはなんだ?! と訊くと・・生きるのには5つのファミリーを持つ事が大切。
私には
*一つ目のファミリーは血縁のファミリーがある。
*二つ目はダンスのファミリー つまりダンスを通して仲間がいる事で 自分は生きられる。
*三つ目は 今度スペイン語クラスの一年コースを予約した。 これはけっこうの集中コースで今まで チンタラとチマチマやっていたコースよりも本気を出さなければならない。
つまり 仲間がいるファミリーを私は三つ持っている・・と彼は言う。でもあと二つもつべきだ・・と言う。
と言う事で・・あと二つどうしても私はみつけなければならない。 一人でやる事はファミリーにはならない。 仲間がいるグループがあってそこの一員に自分がならなければならないのだ。
今まで 一匹オオカミで生きてきて・・団体生活ができない私が あと二つ見つけるのだ。
ここ一年ぐらいの間に 私は”老人の孤独”と言うのを考え続けていた・・。団体が嫌いとか言ってる場合ではないのが歳を取るにつれわかって来る。
そして辿り着いたのが ダンスとスペイン語なのだ。
色んな習い事を考えたが・・自分に合っていないと長続きはしないし・・自分に合ってない習い事と言う事は その仲間も自分と合う事は無い・・。
色んなダンスを今までやってきたが・・やはりアルゼンチンタンゴが一番自分に合っているのを最近発見! 先生も色々出会ってきたが・・いまの先生が一番好きだ。
そして 習い事も 料理だの・・裁縫だの・・自分の好きな事を色々考えたが・・やはり習うとなると・・好きだから習いたいのとは又別の事であるというのも解ってきた・・。 つまり 料理も裁縫も習いたくはない・・自分の好きなやり方でやりたい。
って事は習い事の内には入らないのだ。
しかし! 語学はスペイン語を母国語とする先生が教えてくれる事でやっと学べる。自習だけではダメだ・・と言うのに気付く・・。
残りはあと二つ・・・どう考えてもわからない。
甲状腺専門医との別れ際に心のこもった握手の際 「あと二つファミリーをみつけろよ!」と優しい彼の笑顔とまなざしを思い出しつつ・・あと二つのファミリー・・と今は呪文のように唱えつつ考えている・・。
2017年11月17日金曜日
なさけない話
2017年11月15日水曜日
隣のおじさん
18年前に私の自宅を購入した時に隣に住んでいたおじさんに会って・・いたく敬服した。
彼の裏庭はまるで エデンの園の様に花が咲き乱れ・・手作りパティオは陽のサンサンと照る時に座れば夢心地にさせてくれる。
じゅうたんの様に手入れされている芝は赤ちゃんの肌にもやさしい・・。
手作り温室には冬でも たくさんの野菜が収穫できる・・。 手作り池には蓮が咲き 金魚が泳いでいる。 我が家の池をつぶした時には 全部の金魚をその隣のおじさんちの池に引き取ってもらった。
そして まるで小さな家ともいえるキャンパーバンをも手作りしていた。 一から鉄板を切り 溶接して・・車椅子も乗り降りできるように ステップが自動で上げ下げできるしかけも彼の自慢の手作りだ。
その大きなキャンパーバンがスッポリ入るくらいの大きな倉庫も手作りで建てていた。 その倉庫の中には ありとあらゆるツールが揃えてあり・・まるで旋盤工場の様になっている・・。
と言うのも おじさんの奥さんはほとんど車いす生活をしている。 歩けないし いつも家に閉じこもっている。
と言う事で おじさんは 奥さんとキャンパーバン生活をすべく 何年がかりで作っていた・・。
出来上がった暁には キャンパーバンで ニュージーランドじゅうをさまよいあるいて 外気をたくさん奥さんに楽しんでもらいつつ生活をするのだそうな・・。
そんなある日 私は隣のおじさんを見て驚愕した・・彼の体は半分ぐらいに細くなり・・彼の顔は まるで粘土がつぶれたように潰れてしまっている。
顔の奥に癌ができたのだそうな・・そして多くの肉を切り取ったとの事・・。 食べるにも 話をするのも不自由になってしまった・と彼は笑っていた。
それでも もう夏まっしぐらの気候になりつつ今日この頃・・私とおじさんの庭にある塀の向こうから 彼が庭で働く音がする・・。
モルヒネの何十倍もの痛み止めを摂取しつつ・・それでも 外に出て働く・・・土いじりをちょっとでもしていたら 気がまぎれるからね~~・・と笑っていた。
”生きる”と言う事は そういう事なのだろう・・と思う。
彼の裏庭はまるで エデンの園の様に花が咲き乱れ・・手作りパティオは陽のサンサンと照る時に座れば夢心地にさせてくれる。
じゅうたんの様に手入れされている芝は赤ちゃんの肌にもやさしい・・。
手作り温室には冬でも たくさんの野菜が収穫できる・・。 手作り池には蓮が咲き 金魚が泳いでいる。 我が家の池をつぶした時には 全部の金魚をその隣のおじさんちの池に引き取ってもらった。
そして まるで小さな家ともいえるキャンパーバンをも手作りしていた。 一から鉄板を切り 溶接して・・車椅子も乗り降りできるように ステップが自動で上げ下げできるしかけも彼の自慢の手作りだ。
その大きなキャンパーバンがスッポリ入るくらいの大きな倉庫も手作りで建てていた。 その倉庫の中には ありとあらゆるツールが揃えてあり・・まるで旋盤工場の様になっている・・。
と言うのも おじさんの奥さんはほとんど車いす生活をしている。 歩けないし いつも家に閉じこもっている。
と言う事で おじさんは 奥さんとキャンパーバン生活をすべく 何年がかりで作っていた・・。
出来上がった暁には キャンパーバンで ニュージーランドじゅうをさまよいあるいて 外気をたくさん奥さんに楽しんでもらいつつ生活をするのだそうな・・。
そんなある日 私は隣のおじさんを見て驚愕した・・彼の体は半分ぐらいに細くなり・・彼の顔は まるで粘土がつぶれたように潰れてしまっている。
顔の奥に癌ができたのだそうな・・そして多くの肉を切り取ったとの事・・。 食べるにも 話をするのも不自由になってしまった・と彼は笑っていた。
それでも もう夏まっしぐらの気候になりつつ今日この頃・・私とおじさんの庭にある塀の向こうから 彼が庭で働く音がする・・。
モルヒネの何十倍もの痛み止めを摂取しつつ・・それでも 外に出て働く・・・土いじりをちょっとでもしていたら 気がまぎれるからね~~・・と笑っていた。
”生きる”と言う事は そういう事なのだろう・・と思う。
2017年11月14日火曜日
服
ニュージーランドに着て以来 がむしゃらに働いて来た。 宿業を営むにも ほとんどが肉体労働になる。 だからどうしても作業服でないと 仕事にならないのだ・・。 よって ↑の様な服だけを何枚も持っている。 靴だって・・土方靴、靴下だってぶ厚い作業用ソックス・・・。 |
2017年11月8日水曜日
2017年11月2日木曜日
ケチ
”ケチ”の定義は? と自分に問う・・。
自分はケチ”だとも思う・・。 輪ゴムだの 洗濯ばさみだの・・一つ見つけても一々 必ず ちゃんと所定の位置に戻す。 その辺にうっちゃっておくことはできない。
野菜についている輪ゴムも捨てずに 一々所定の位置に保管する。 裏紙は一々切ってメモ用紙にする。
コップ一杯の水で 歯を磨き 顔を洗い チョット濡らした布切れで体じゅうも拭いてしまう技もある。
使えるものを捨てるというのは心が痛んで出来ない・・。
でも 友人に ”お金をバンバン使うね” と言われた事がある・・。 そうかもしれない。
”トランプとかゲーム世界では 絶対にばくち的な大きな賭けはできないので相当ケチなゲームをする・・でも ”実社会では大ばくちを打つね” とも言われた事がある・・。
だから ケチの定義はわからない。
”ケチの定義”は その人その人によって違うかも・・?
自分はケチ”だとも思う・・。 輪ゴムだの 洗濯ばさみだの・・一つ見つけても一々 必ず ちゃんと所定の位置に戻す。 その辺にうっちゃっておくことはできない。
野菜についている輪ゴムも捨てずに 一々所定の位置に保管する。 裏紙は一々切ってメモ用紙にする。
コップ一杯の水で 歯を磨き 顔を洗い チョット濡らした布切れで体じゅうも拭いてしまう技もある。
使えるものを捨てるというのは心が痛んで出来ない・・。
でも 友人に ”お金をバンバン使うね” と言われた事がある・・。 そうかもしれない。
”トランプとかゲーム世界では 絶対にばくち的な大きな賭けはできないので相当ケチなゲームをする・・でも ”実社会では大ばくちを打つね” とも言われた事がある・・。
だから ケチの定義はわからない。
”ケチの定義”は その人その人によって違うかも・・?
2017年10月31日火曜日
子供の病気
息子が喘息で 死ぬ一歩手前に陥った事がある・・。 もう 38年も前の事であるが・・あの時の 焦り・・心配・・不安等がまるで昨日の様に思い出される・・。
そして その息子の子供が 生後3か月で受けた予防注射で突然の高熱(40度)が出て・・夜は喘息の様に息ができず・・。 毎夜息子夫婦二人とも寝る事もできず・・生きた心地もしない・・。
そんな中こんなビデオが送られてきた・・。
そして その息子の子供が 生後3か月で受けた予防注射で突然の高熱(40度)が出て・・夜は喘息の様に息ができず・・。 毎夜息子夫婦二人とも寝る事もできず・・生きた心地もしない・・。
そんな中こんなビデオが送られてきた・・。
なんか 見てる内に泣けてきた・・。
2017年10月21日土曜日
2017年10月16日月曜日
服の整理
★着ない服は処分と言うが・・・そう簡単にはいかない・・。 で どうやったら処分できるか? を考えた。
★ 痩せたら着る・・は もう無いと思う・・。 若ければいくらでもチャンスがあるが・・自分のこの歳になってからは・・死ぬ前までに 痩せて着られる様になる服は 多分ない・・よって処分(寄付)
★ すごく好きだから・・ものすごく高級だから・・捨てられない。 でも 着ないなら箪笥の肥やし。
★よって リメークは可能か? リメークはチャレンジしてみる価値がある。 ちょっとしたリメークなら チャレンジしたら 絶対大丈夫だと思う。
★もし 自分でリメークを失敗して 着れなくなったとする・・結局最初から着られる物でなかったのだから・・失敗してもOKなのだ・・処分がし易くなったと喜ぶ。
★ ややこしいリメークは もしかして ”手直し屋さん”の専門家に頼む。 もしそれだけの価値がある服か・・? も考える。
★ リメークして着れる様になっても 着てみたら・・昔の感じとまったくちがってガッカリすること・・よくある事・・。 なぜか 自分がデブになったから たとえ着れても ぜんぜんステキでも’なんでもない。
よって 着ない事になる・・処分(寄付)
★ 後で着るだろう・・と思っていた箱だの 箪笥の引きだしだの 全部ひっくり返す。 ほとんど忘れていた存在の物ばかり・・よって 存在すら忘れるのだから・・着ないのだ、 だから 処分(寄付)
★ 新しく服を買うときは ”本当に自分はこれを着るか?” と問う・・けっこう同じような物が箪笥で眠っている事がある・・。
★だから 自分の持っている服を 全て!自分で知る・・把握する。 忘れている物は不要として処分(寄付)
★買うときに ”着る”と結論がでたら・・いつ着るのか? 頻繁に着るか? と問う・・で 答えがちゃんと出たら かってもいい・・ 出なかったら買わない・・。
と ま~ 色んな事を私は考えた・・。
結果 服って そんなに数多くは必要ないのだ・・と思い知らされる。 だって 毎日着る服なんて すごくしれているからだ・・。
★着倒す服ってのがある・・ それは なぜか?? と考える。
・着心地がいい
・実用的・・つまり自分の生活に合っている
・お気に入りのデザイン
★着たおす服の理由が当てはまる服を新しく買う。 買いたい! しかしなかなか無い・・服も出会いなのかも・・?
★相性の悪い服は ドンドン 全て! 処分(寄付・・電話一本で取りに来てくれるところとか日本は沢山処分できるところがあるとか・・・。 ニュージーランドは寄付のでっかいボックスがあらゆる所に設置してある。気軽に寄付が可能。
世界には どんなに我等が要らない・・と思った物を渇望している国が沢山あることか・・!
★結果 自分は 持っている服の数がなかり少ない・・。 身軽だからこれでいいのだ・・。 気持ちもスッキリして なんかうっ血していた脳がスッキリした気分になる。
そして 他の事が考えられる様になる・・。いい事ばかりだ!
★ 痩せたら着る・・は もう無いと思う・・。 若ければいくらでもチャンスがあるが・・自分のこの歳になってからは・・死ぬ前までに 痩せて着られる様になる服は 多分ない・・よって処分(寄付)
★ すごく好きだから・・ものすごく高級だから・・捨てられない。 でも 着ないなら箪笥の肥やし。
★よって リメークは可能か? リメークはチャレンジしてみる価値がある。 ちょっとしたリメークなら チャレンジしたら 絶対大丈夫だと思う。
★もし 自分でリメークを失敗して 着れなくなったとする・・結局最初から着られる物でなかったのだから・・失敗してもOKなのだ・・処分がし易くなったと喜ぶ。
★ ややこしいリメークは もしかして ”手直し屋さん”の専門家に頼む。 もしそれだけの価値がある服か・・? も考える。
★ リメークして着れる様になっても 着てみたら・・昔の感じとまったくちがってガッカリすること・・よくある事・・。 なぜか 自分がデブになったから たとえ着れても ぜんぜんステキでも’なんでもない。
よって 着ない事になる・・処分(寄付)
★ 後で着るだろう・・と思っていた箱だの 箪笥の引きだしだの 全部ひっくり返す。 ほとんど忘れていた存在の物ばかり・・よって 存在すら忘れるのだから・・着ないのだ、 だから 処分(寄付)
★ 新しく服を買うときは ”本当に自分はこれを着るか?” と問う・・けっこう同じような物が箪笥で眠っている事がある・・。
★だから 自分の持っている服を 全て!自分で知る・・把握する。 忘れている物は不要として処分(寄付)
★買うときに ”着る”と結論がでたら・・いつ着るのか? 頻繁に着るか? と問う・・で 答えがちゃんと出たら かってもいい・・ 出なかったら買わない・・。
と ま~ 色んな事を私は考えた・・。
結果 服って そんなに数多くは必要ないのだ・・と思い知らされる。 だって 毎日着る服なんて すごくしれているからだ・・。
★着倒す服ってのがある・・ それは なぜか?? と考える。
・着心地がいい
・実用的・・つまり自分の生活に合っている
・お気に入りのデザイン
★着たおす服の理由が当てはまる服を新しく買う。 買いたい! しかしなかなか無い・・服も出会いなのかも・・?
★相性の悪い服は ドンドン 全て! 処分(寄付・・電話一本で取りに来てくれるところとか日本は沢山処分できるところがあるとか・・・。 ニュージーランドは寄付のでっかいボックスがあらゆる所に設置してある。気軽に寄付が可能。
世界には どんなに我等が要らない・・と思った物を渇望している国が沢山あることか・・!
★結果 自分は 持っている服の数がなかり少ない・・。 身軽だからこれでいいのだ・・。 気持ちもスッキリして なんかうっ血していた脳がスッキリした気分になる。
そして 他の事が考えられる様になる・・。いい事ばかりだ!
2017年10月11日水曜日
春の嵐
ゴウゴウとうなるような・・悪夢を見ているような気分で目が覚める・・。
外はまだまだ 真っ暗で朝にはなってない・・。 地響きがするほどの雷に恐ろしさもドンドン強くなる。
この家がぶっ壊れるのでは・・? と思うぐらいの 雷が落ちる・・。 天窓と両隣になる窓から 真っ白な光が入ったと思ったら・・すぐ近くに雷が落ちる・・。
子供の頃からの癖で・・光ると3秒を数える。 光から3秒以上音がしなかったら・・それ程近くではない・・のだ・・。
何回も3秒を数える・・。 時には とおぉ~~くで うなるような雷もある・・。 寒いのを我慢して 布団から抜け窓を覗く。
ゴウゴウと音を立て・・煙る雨で・・ほとんど何も見えない。 それでもしばらく雨に見入っていた。
体が冷たくなって・・又布団にもぐり込む。 ぬくもりがまだ残っていて・・ 体を ホッコリとさせる。
そして・・少しづつ遠のく雷をききつつ・・ ”あぁ~・・これでやっと 本格的な春がやって来るのだろうなぁ~~” と思った。
毎年・・忘れずに・・”春の嵐”はやって来る。 これが来ないと まだまだ 冬の名残りが強い。
でも ”春の嵐”が来ると・・ 神様が ”もう冬は確実に終わり! そして春から急ぎ足で夏になるよ!” と言っている様に思える・・。
外はまだまだ 真っ暗で朝にはなってない・・。 地響きがするほどの雷に恐ろしさもドンドン強くなる。
この家がぶっ壊れるのでは・・? と思うぐらいの 雷が落ちる・・。 天窓と両隣になる窓から 真っ白な光が入ったと思ったら・・すぐ近くに雷が落ちる・・。
子供の頃からの癖で・・光ると3秒を数える。 光から3秒以上音がしなかったら・・それ程近くではない・・のだ・・。
何回も3秒を数える・・。 時には とおぉ~~くで うなるような雷もある・・。 寒いのを我慢して 布団から抜け窓を覗く。
ゴウゴウと音を立て・・煙る雨で・・ほとんど何も見えない。 それでもしばらく雨に見入っていた。
体が冷たくなって・・又布団にもぐり込む。 ぬくもりがまだ残っていて・・ 体を ホッコリとさせる。
そして・・少しづつ遠のく雷をききつつ・・ ”あぁ~・・これでやっと 本格的な春がやって来るのだろうなぁ~~” と思った。
毎年・・忘れずに・・”春の嵐”はやって来る。 これが来ないと まだまだ 冬の名残りが強い。
でも ”春の嵐”が来ると・・ 神様が ”もう冬は確実に終わり! そして春から急ぎ足で夏になるよ!” と言っている様に思える・・。
2017年9月25日月曜日
我が家の桜
我が家の裏にひっそりと立っている桜の木は 春になると・・俄然! 自己主張をして来て・・桜の花を満開にさせてくれる。 でも・・アッと言う間に咲いて・・アッと言う間に散って行く・・。 この時期に長期旅行とかを よくしているので・・今年は何年ぶりかで この桜の満開を眺める事ができた・・。 そしていつの間にか 大きく成長していた桜の木でした・・。 |
家の庭の真ん中にドデン! と立っているのが この八重桜の木。 他の桜が散って・・葉桜になる頃にやっと・・固いピンクのつぼみがほころびだす。 そして花は八重なので・・桜とは思えない程 艶やかなのだ・・。 |
そしてこの桜の花を塩漬けにしておくと・・いつでも お湯に戻すと・・ 香り高い”桜湯”が飲める・・。 我が家では一番の宝物なのだ・・。 |
2017年9月20日水曜日
2017年9月16日土曜日
お花見
2017年9月15日金曜日
2017年9月14日木曜日
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