大学の哲学のクラスの動画を観た。
教授がジャーの様な器をデスクに置く。 そして そこにゴルフボールを10個ぐらい入れる。 それで ジャーは一杯になる。
学生も それでいっぱいだ・・と言う。
それから・・教授はそのゴルフボールの入ったジャーの中に砂利を入れて行く・・いっぱいだったジャーはもっと入る・・たくさんの砂利が入って行く・・。
それでジャーはいっぱいか? と学生に訊くと・・いっぱいだ・・と答える。
それから・・教授は 今度はその上に砂を入れて行く・・又々 たくさんの砂が入って行く。
それでジャーはいっぱいか? と学生に訊くと・・いっぱいだ・・と答える。
それから・・今日中は今度は そのジャーにビールを注ぎ込む・・まだまだ 入るのだ・・。
そして 教授は言う。
人の人生はこのジャーの様な物で・・最初に自分の一番幸せの基本を作る・・そして それより小さな幸せを継ぎ足して行く・・。 ドンドンより小さな幸せを足して行く事は 例え人生はいっぱいになったと思ってもドンドン いくらでも幸せは足してゆけるのだ・・。
しかし・・逆の入れ方では入らない・・。
最後のビールはなんだ? と学生が訊くと・・教授は・・
ビールの一杯や二杯のビールはいくらでもはいるのさ! と笑う。
この動画を観てから・・考える・・。
自分のゴルフボールに当たる物はなんなんだろうか・・?
砂利は? 砂は・・?
自分はちゃんと正しい順序で人生を作って来たのだろうか・・? もしかして完全に逆になっているのかも・・?
目先の・・ビールとか・・砂とかで幸せを埋めようとするから虚しいのかも・・?
人生の幸せの”核”となるものを完全に失っている様な気がしてならない・・。
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