Youtubeを寝るときとか 寝覚めとかに観る習慣がついている・・。 と 言うことで 様々な動画に突き当たる。
もっぱら 日本の動画になるが・・日本のテレビ番組とか・・映画とか・・。 でも どれを観ても もう 私の知る人は誰もいなく・・若者でテレビ番組は成り立っているのだ・・。
ま~ 無理もない・・自分の世代は終わり・・今は 世代交代で・・次の世代が今の社会を担っているのだから・・。
が・・時々・・ハッとする事がある・・。
今の時代の映画でもテレビドラマでも・・聞き覚えの声・・語り口調に出くわす。 なんとも懐かしい響き・・。
で その声を発している俳優を目を凝らして見てみると・・なんと! 私が若い頃 爽やかな白いワイシャツの似合う 王子さまの様な素敵な若者だった人が・・ 老い・・そして死んで行く役の老人なのだ。
でも 目を瞑ってその役者の声を聞くと・・昔のままの 若い青年なのだ・・。
なんと ま~ 年をとった事だろう・・・! 無理もない・・あの頃の私だって・・子供だったり・・女子高校生だったなぁ~~ と・・おもいつつ・・自分の手をみると・・しわくちゃで 押しも押されぬ老人の手なのだ・・。
鏡にフト映った自分の顔は シワと染みだらけで・・汚い老人になっている。
白いワイシャツの似合う爽やか青年が 白髪のしわくちゃ老人になっていても 決しておかしくない・・。
時々 まるで 竜宮城から帰り 玉手箱を開けた 浦島太郎の気分になる。 Youtubeはそんな事を 多々してくれる。
あるときは 昭和時代 それも前半の昭和時代の白黒映画に出くわしたりする。
そして そこで映画のなかで 生き生きと 半世紀前の役者達が演じているのをみると・・懐かしい・・と言うより・・自分が玉手箱を開ける前の浦島太郎になるのだ。
あの頃の役者達の若々しい事! そして そのすべての方達が もう今の時代には生きていない・・。
それを思うと・・世代交代とは言え・・時間は残酷に刻々と過ぎて行っているのを感じる・・。
時を行ったり来たりさせてくれる Youtubeはなんか タイムマシンのようだ・・。
2018年5月31日木曜日
2018年5月23日水曜日
無いことを嘆くのではなく 自分の可能性に生きたい
耳の聞こえない日本人の女の子と和解できたのか? と言うお問い合わせがあった為・・その返答。
彼女はあまりにも若い! 私からみると 彼女の生きる世界は ”いかに自分が端からチヤホヤされるべきであるか” と言う事で 生きるエネルギーを使っている様にしか見えなかった。
よって 私は ”かなりの人が色んな問題を抱えて生きている” と言うのを彼女にも少しは解って欲しかった。 あなただけが 世界の悲劇の主人公ではないのだ! と・・。
そのとき 私の義理の息子が自殺したすぐ後だったので・・その話もした・・。 その息子は 10才の頃に自分の母親に麻薬を教えられ・・それからの彼の人生は麻薬と刑務所と犯罪の繰り返しだった。
それでも 彼は自分の生活を建て直すべく 死に物狂いでなんとかまっとうに生きるすべを見つけようともがいていた・・。
彼は時々は私の前に現れて・・彼のタイでの生活の話をしてくれた。 私が質問すると・・なんでも答えてくれた。
どうやって ドリアン プランテーションをやっているのか? 電気は発電機、 水は山から引く・・ガソリンを買う為 数十キロの山を越え近くの町に行く・・・でも ただただ走って行く・・と言う話。
腹が減ったら ジャングルの食べられる物を食べ・・水溜まりの泥水を自分の来ているTシャツで濾して飲む・・。
そんな彼の笑顔はとても柔らかく・・優しかった。
ある夜 私の可愛がっていた猫が 車の通りの激しい所に走った時は もうその猫は死んだ! と思ったが直ぐさま 猫を追って行った彼は 私の猫を彼の胸に抱いて 嬉しそうに戻って来た時は 私の涙が止まらなかった。
でも 彼の姉に当たる人はシドニーの一流弁護事務所で弁護士をしていた彼女は別人だった。
彼女の私への人種差別はあからさまだった。そして私は彼女が近くにいるだけで胃痛を起こした。
そんなこんなの中・・麻薬中毒の彼はとうとう 生きる力を無くして・・自殺したのだ。
そんな話等・・他にも 色んな人がいる・・。 それもはたからはそう簡単には彼らの生きるか死ぬかの瀬戸際にいる事など見えない。
リストカットを繰り返し・・部屋から一歩も出られない様な人とネットを通して何人も知り合いになった。
色んな人の話をその耳の聞こえない若い女の子に話した。
最初は私の書きなぐる字が下手くそで汚くて・・と どうしても 私に反発したい! と言う気持ちいっぱいの子だったが・・私がそれでも 汚い文字で 延々と 色んな人の話を 書き続けた結果・・。
私は 涙が止まらなくなったのだ・・。
そして・・その内・・彼女は反発して 私が汚い字を書くとか言う反撃の力も失せて来た様子。
彼女の反撃の手は止まり・・彼女の表情は私に対して同情しているようだった・・。
私が彼女に同情されるなんて 思っても見なかったので・・ 私の方が今度は驚いてしまった。
でも 結果は ”和解”と言うかたちではなくて・・”私の思いが通じた” と言うべきだろうか・・?
若い彼女が もっと どうどうと 自分の可能性を精一杯発揮して ハツラツと生きてほしい・・そう私は願うのだ。
彼女はあまりにも若い! 私からみると 彼女の生きる世界は ”いかに自分が端からチヤホヤされるべきであるか” と言う事で 生きるエネルギーを使っている様にしか見えなかった。
よって 私は ”かなりの人が色んな問題を抱えて生きている” と言うのを彼女にも少しは解って欲しかった。 あなただけが 世界の悲劇の主人公ではないのだ! と・・。
そのとき 私の義理の息子が自殺したすぐ後だったので・・その話もした・・。 その息子は 10才の頃に自分の母親に麻薬を教えられ・・それからの彼の人生は麻薬と刑務所と犯罪の繰り返しだった。
それでも 彼は自分の生活を建て直すべく 死に物狂いでなんとかまっとうに生きるすべを見つけようともがいていた・・。
彼は時々は私の前に現れて・・彼のタイでの生活の話をしてくれた。 私が質問すると・・なんでも答えてくれた。
どうやって ドリアン プランテーションをやっているのか? 電気は発電機、 水は山から引く・・ガソリンを買う為 数十キロの山を越え近くの町に行く・・・でも ただただ走って行く・・と言う話。
腹が減ったら ジャングルの食べられる物を食べ・・水溜まりの泥水を自分の来ているTシャツで濾して飲む・・。
そんな彼の笑顔はとても柔らかく・・優しかった。
ある夜 私の可愛がっていた猫が 車の通りの激しい所に走った時は もうその猫は死んだ! と思ったが直ぐさま 猫を追って行った彼は 私の猫を彼の胸に抱いて 嬉しそうに戻って来た時は 私の涙が止まらなかった。
でも 彼の姉に当たる人はシドニーの一流弁護事務所で弁護士をしていた彼女は別人だった。
彼女の私への人種差別はあからさまだった。そして私は彼女が近くにいるだけで胃痛を起こした。
そんなこんなの中・・麻薬中毒の彼はとうとう 生きる力を無くして・・自殺したのだ。
そんな話等・・他にも 色んな人がいる・・。 それもはたからはそう簡単には彼らの生きるか死ぬかの瀬戸際にいる事など見えない。
リストカットを繰り返し・・部屋から一歩も出られない様な人とネットを通して何人も知り合いになった。
色んな人の話をその耳の聞こえない若い女の子に話した。
最初は私の書きなぐる字が下手くそで汚くて・・と どうしても 私に反発したい! と言う気持ちいっぱいの子だったが・・私がそれでも 汚い文字で 延々と 色んな人の話を 書き続けた結果・・。
私は 涙が止まらなくなったのだ・・。
そして・・その内・・彼女は反発して 私が汚い字を書くとか言う反撃の力も失せて来た様子。
彼女の反撃の手は止まり・・彼女の表情は私に対して同情しているようだった・・。
私が彼女に同情されるなんて 思っても見なかったので・・ 私の方が今度は驚いてしまった。
でも 結果は ”和解”と言うかたちではなくて・・”私の思いが通じた” と言うべきだろうか・・?
若い彼女が もっと どうどうと 自分の可能性を精一杯発揮して ハツラツと生きてほしい・・そう私は願うのだ。
2018年5月21日月曜日
障害者の意識 障碍者への意識
ある時 ドイツ人の車椅子の男性が 私の宿に滞在した。 一週間は泊まっただろうか・・ その間 ずっと 車椅子の後ろを押そうとする 日本人の人が絶えなかった・・。
他にも 沢山の外国人達がいたが・・日本人宿泊客だけが 彼に手を貸そうとしていた。それらの助けに彼は応じてはいたが・・ありがた迷惑であったのは確かだ・・。
その車椅子の彼は世界中を旅していて・・到底車椅子では侵入できないような山奥や 後進国の田舎等に住んでは旅をしている。つまり バリアフリーは全くない所を旅している人なのだ。
私が 車椅子がスタックしたらどうするの・・? と言うと そんな時は 気長に待つさ・・誰かが手を貸してくれる。
困っていたら手を貸す・・・困っていなかったら放って置く。 これは健常者であろうと・・障碍者であろうと同じ 基本的な事なのだ・・。
私の宿では 彼は車椅子が自由に回れる部屋・バスルーム・キッチンがあるので・・不便は無いと彼は言って泊まっていた。
彼にとっては 未開地でもない この地クライストチャーチ・この宿は 全くもって ”補助不要”の場所なのだ。
つまり・・彼は健常者とまったく同じに扱われるべきであるはず・・。
日本人以外の客もたくさんいたが・・日本人だけが 車椅子の後ろを押していた・・。
もう一人の日本人客で 完全に耳の聞こえない客が泊まっていた。 私はその客が耳が聞こえない人であるのに全く気が付かなかった。
そして 彼女はいつも いつも 同じ場所に座り どこにも行かず・・・結果 他の日本人客が いつも いつも誰かしら 彼女の横に座っているのだ。・・不思議に思った。
ある時 私は彼女と話をしなければならない事があったので・・声をかけると・・彼女の反応が ”耳が聞こえない”と言うしぐさをした。 そのしぐさで耳の聞こえないのだとやっと気がついた。
昔 私は耳の聞こえない男の子と付き合った経験で・・一緒に映画を観たり・・手話を覚えた事も思い出した。
懐かしい気持ちで ”あ~ あなたは耳が聞こえないのね” と言ったトタン! 彼女は烈火のごとく怒りだした。
私は何がなんだかわからない・・しかし・・彼女は 私が彼女を差別しているとして 怒り出したのだ。
いやいや・・差別したおぼえはないけど・・と いくら言っても 彼女は も~! ”あなたは 障害者の差別をした!” と 何枚も 何枚もの紙を使って 私に筆談で罵倒した。
私は 差別をした覚えもないし・・ ”耳が聞こえないのね” と言っただけで怒り狂うのは どうかしてる・・と 私自身も納得が行かない・・と 言い続けた。
「外からは見えない 障害を抱えた人だって この世にはゴマンといる。常に常に回りにチヤホヤされているだけが 障害者の生活ではないでしょ?” と 私は反論する・・。
彼女は みんなに常にチヤホヤされていて当たり前と思っている感じだ・・。
なぜに障害があろうと 毅然とした一人の独立した人間として 生きていかないのだろうか?
もう20年以上もやっている私のジャイブのパートナーダンスに 全盲の若い男性がいる。 彼はいつもちゃんと踊っている。 多分 クラスの前に クラスでやる動きを先生から前もって教えてもらって・・それを クラスでやっているのだろう。
彼の盲導犬もレセプションの所で大人しく 待っている。
ある日 そのダンスではない 全く違ったラテン・パートナーダンスのクラブに彼がいたのだ! 彼はダンスしにきたのだろうか?
早速話しかけてみたら・・やはり彼はダンスをしに来たという。「ラテンダンスもやるの?」と訊くと・・嬉しそうにやるのだ・・。 と言う。
そして 私が踊ろう? と言うと 「いや あなたはジャイブダンスだろ? 僕はラテンダンスをしにきたのだ・・」 と言う・・。
私だってラテンダンスはちょっとだけなら踊れるし・・と思って・・ちょっと断られたのは不満だったが・・。
でも 全盲でどうどうとジャイブダンスや ラテンダンスをする彼には脱帽する。
ダンスには程遠い・・彼の動き。 どちらかというと 踊るというより・・なんか子供がじゃれている格好になる。 だから 彼とのダンスは踊るというより 手足を動かしているだけという風情だ。
それでも彼と踊る女の子はいるし
彼も彼と踊る女の子も音楽に合わせて体を動かすのを楽しんでいる。
彼には一切 障碍者意識はないし・・そして 回りも障碍者扱いはしていない。
この国では 障害者は沢山 スーパー等でも見かける。 駐車場で 車椅子を屋根から降ろして・・運転席からそこに移動する人もけっこう見かける・
温泉に 車椅子の人がつるされて 浸かるのも見た事がある・・。
数段の階段を上がらないとエレベーターに乗れない所があった そしてその階段の前で車椅子の人が止まっていた・・。
私がボサッ~ っとしている間に どこからともなく別々に二人の男がやってきて 数段の階段からエレベーターの上までその車椅子の人を持ち上げた! と思ったら 又 何事もなかった様にすぐ二人とも居なくなった。
それは もう アッという間の出来事・・。
サラッと・・おおごとではなく そんな事が さりげなく展開するのが この国なのだ。
日本ではあまり見ない。
他にも 沢山の外国人達がいたが・・日本人宿泊客だけが 彼に手を貸そうとしていた。それらの助けに彼は応じてはいたが・・ありがた迷惑であったのは確かだ・・。
その車椅子の彼は世界中を旅していて・・到底車椅子では侵入できないような山奥や 後進国の田舎等に住んでは旅をしている。つまり バリアフリーは全くない所を旅している人なのだ。
私が 車椅子がスタックしたらどうするの・・? と言うと そんな時は 気長に待つさ・・誰かが手を貸してくれる。
困っていたら手を貸す・・・困っていなかったら放って置く。 これは健常者であろうと・・障碍者であろうと同じ 基本的な事なのだ・・。
私の宿では 彼は車椅子が自由に回れる部屋・バスルーム・キッチンがあるので・・不便は無いと彼は言って泊まっていた。
彼にとっては 未開地でもない この地クライストチャーチ・この宿は 全くもって ”補助不要”の場所なのだ。
つまり・・彼は健常者とまったく同じに扱われるべきであるはず・・。
日本人以外の客もたくさんいたが・・日本人だけが 車椅子の後ろを押していた・・。
もう一人の日本人客で 完全に耳の聞こえない客が泊まっていた。 私はその客が耳が聞こえない人であるのに全く気が付かなかった。
そして 彼女はいつも いつも 同じ場所に座り どこにも行かず・・・結果 他の日本人客が いつも いつも誰かしら 彼女の横に座っているのだ。・・不思議に思った。
ある時 私は彼女と話をしなければならない事があったので・・声をかけると・・彼女の反応が ”耳が聞こえない”と言うしぐさをした。 そのしぐさで耳の聞こえないのだとやっと気がついた。
昔 私は耳の聞こえない男の子と付き合った経験で・・一緒に映画を観たり・・手話を覚えた事も思い出した。
懐かしい気持ちで ”あ~ あなたは耳が聞こえないのね” と言ったトタン! 彼女は烈火のごとく怒りだした。
私は何がなんだかわからない・・しかし・・彼女は 私が彼女を差別しているとして 怒り出したのだ。
いやいや・・差別したおぼえはないけど・・と いくら言っても 彼女は も~! ”あなたは 障害者の差別をした!” と 何枚も 何枚もの紙を使って 私に筆談で罵倒した。
私は 差別をした覚えもないし・・ ”耳が聞こえないのね” と言っただけで怒り狂うのは どうかしてる・・と 私自身も納得が行かない・・と 言い続けた。
「外からは見えない 障害を抱えた人だって この世にはゴマンといる。常に常に回りにチヤホヤされているだけが 障害者の生活ではないでしょ?” と 私は反論する・・。
彼女は みんなに常にチヤホヤされていて当たり前と思っている感じだ・・。
なぜに障害があろうと 毅然とした一人の独立した人間として 生きていかないのだろうか?
もう20年以上もやっている私のジャイブのパートナーダンスに 全盲の若い男性がいる。 彼はいつもちゃんと踊っている。 多分 クラスの前に クラスでやる動きを先生から前もって教えてもらって・・それを クラスでやっているのだろう。
彼の盲導犬もレセプションの所で大人しく 待っている。
ある日 そのダンスではない 全く違ったラテン・パートナーダンスのクラブに彼がいたのだ! 彼はダンスしにきたのだろうか?
早速話しかけてみたら・・やはり彼はダンスをしに来たという。「ラテンダンスもやるの?」と訊くと・・嬉しそうにやるのだ・・。 と言う。
そして 私が踊ろう? と言うと 「いや あなたはジャイブダンスだろ? 僕はラテンダンスをしにきたのだ・・」 と言う・・。
私だってラテンダンスはちょっとだけなら踊れるし・・と思って・・ちょっと断られたのは不満だったが・・。
でも 全盲でどうどうとジャイブダンスや ラテンダンスをする彼には脱帽する。
ダンスには程遠い・・彼の動き。 どちらかというと 踊るというより・・なんか子供がじゃれている格好になる。 だから 彼とのダンスは踊るというより 手足を動かしているだけという風情だ。
それでも彼と踊る女の子はいるし
彼も彼と踊る女の子も音楽に合わせて体を動かすのを楽しんでいる。
彼には一切 障碍者意識はないし・・そして 回りも障碍者扱いはしていない。
この国では 障害者は沢山 スーパー等でも見かける。 駐車場で 車椅子を屋根から降ろして・・運転席からそこに移動する人もけっこう見かける・
温泉に 車椅子の人がつるされて 浸かるのも見た事がある・・。
数段の階段を上がらないとエレベーターに乗れない所があった そしてその階段の前で車椅子の人が止まっていた・・。
私がボサッ~ っとしている間に どこからともなく別々に二人の男がやってきて 数段の階段からエレベーターの上までその車椅子の人を持ち上げた! と思ったら 又 何事もなかった様にすぐ二人とも居なくなった。
それは もう アッという間の出来事・・。
サラッと・・おおごとではなく そんな事が さりげなく展開するのが この国なのだ。
日本ではあまり見ない。
2018年5月8日火曜日
家族
先日夫の70歳の誕生日だった・・。
よって 彼の祖国オーストラリアから 彼の兄弟達がやってきた。
彼の兄弟達が 夫の元にやってきたのは 初めての事。
つまり53年、半世紀以上前から一回も訪ねてきてはいなかった・・。
ニュージーランドとローストラリアの距離は 飛行機で 3時間ぐらいなので・・すぐなのだ・・。
が・・彼等がやってきたのは初めて・・。
つまり夫は 高校を出てすぐ ニュージーランドにやってきて 以来彼の国はニュージーランドになってしまったのだ。
彼は医者である親の期待に全く添う事が出来ず・・・つまり出来の悪い息子と言うレッテルを貼られて・・彼は実家から出てしまった様な存在だった・・。
彼が若い時に結婚した時も 親・兄弟を結婚式に招待しても誰一人として やってきた人はいなかった。
つまり彼は 家族からハミゴ的存在だったのだ・・。
そして 今回 夫の70歳の誕生日にみんながやって来るという事で・・それは もう 夫にしては 彼がティーンエイジの時以来の興奮する出来事だったのだ・・。
もう みんな 彼等の両親も無くなり・・血縁は兄弟であり・・自分の子供や孫なのだ・・。
そして自分の世代は もう終わろうとしている・・。
だからこそ お互いが大切な存在になってきたのだろう・・。
今まだ 兄弟みんなとりあえず元気だが・・その内 一人欠け・・二人欠け・・と言う事になって行くのだから・・。
我が家のフェジョア
鯉のぼり
人間らしくダンス会で生きるには・・・
もうすぐ 90歳だという いつもタンゴダンス会に居た 老人男性が先日亡くなった・・。彼は無くなる一か月前まで ダンス会にいつも居たのだ・・。
彼の事は 私自身では 25年ぐらい前から知っている・・私のやっているジャイブダンスにも来てたし・・・タンゴもあの頃からやっていた・・。
我が家でやった ダンスパーティーにもやってきていて・・みんな ジャイブを踊っていたが・・私と彼とはタンゴダンスをした・・。
そして 数十年後私がタンゴのダンス会に行くと 彼が居たのだ・・。
でも 彼はスッカリ老人になり・・誰も 鼻もひっかけない状態・・。 完全無視していた・・。 彼自身も 女の人を誘うという 気力もあまりない感じ・・。
私を発見して 懐かしそうによってきて 私をダンスに誘った・・・。
が・・彼のリードは まるっきり リードでもなく・・私はオタオタとしているだけで・・ダンスらしきものは不可能だった・・。 そして 強い老人臭で気分が悪くなるほどだった・・。
以来 そのダンス会に行くのは辞めた・・。その老人に目を付けられるのがつらいからだ・・。
他のダンス会でも 彼を見かけたが・・そこでも彼と目を合わせようとする者は誰もいない。 完全に全員が彼を避けていた・・。
私もその一人・・・。 誰もが ダンスを楽しむ為に来ているのに・・老人介護的な仕事はしたくない・・よって 彼から視線を逸らすのは仕方のない事だった・・・。
結果彼は いつも 一人ぽっちで・・ダンスをしにきても・・ずっと 隅に座っているだけだった。 誰一人として 話しかける人も居ない・・。 つまり近寄る人も居ないのだ・・。
そんな彼が亡くなったニュースを聞いたトタン! ネットで彼の事を褒めた耐え・・いかに彼がすごい人だったかを言いまくっていた・・。
挙句は 彼の追悼ダンス会をするらしい・・。
そんな事をするのなら なぜに彼が生きている時に 一言でも声をかけ・・話を聞いてあげる事等をしなかったのだろうか・・?
本当にタンゴダンス会と言う コミュニティーは 言いたくはないけど・・最低で・・いい感じのする物ではない・・。
パートナーダンスと言う物はそんな物なんだとは ジャイブダンスをしていた時から知ってはいたが・・。 それにしても あまりにも辛辣すぎる・・。
ダンス会で優雅に 楽しく踊るには まずパートナーを見つけなければならない。 つまり パートナーとなるべく人をゲットしない限り踊れないからだ・・。
で・・女性が誘われるべく パートナーをゲットするにはどうすればいいか!?
それは もう そのコミュニティーの人間達に受け入れられる・・それだけだ・・。
そうやって受け入れられるか? それは 自分からフレンドリーに話しかけ・・友達になり・・そこで 相手が自分を気に入ってくれれば・・パートナーになってくれる可能性はある・・。
が・・どうやってその友達関係で気に入って貰えるか・・? それは 評価が高くなければならない・・。
つまり
1 若い・・・若いというだけで人気度は高い
2 美しい・・・美しいというのはとても大切らしい・・美しくて若い女はほとんど踊れなくてもひっきり無しに誘う男が来る。
3 踊りが上手い・・・上手いレベルはトップでなければ上手いとは誰も思わない。 つまり普通の上手さでは 上手い内には入らない。
4 性格がいい・・性格はいいか悪いかは その相手と相性が合うか合わないか だから微妙なのだ・・。
5 押しが強い・・大体中国人女性は相当押しが強い
6 自信の無い様子・・・日本人女性
これ等の5つの事で上から重要性の高い順に書いてみた・・。六番目は 誘われやすい項目だ・・。
しかし・・ 誰も踊りたくない男(醜い・踊りがへた・老人・臭い・・で女全員が完全に避ける男)の餌食になる女のタイプが6番目なのだ・・。私はやっと その餌食にならない術を学んだ・・。
どのパートナーダンスでも 英語の話せない控えめの女の子は だれもが餌食になるのだ・・。
押しの強いアジアの女は 結構ダンス会にはドンドン入り込んで行く・・。 が・・一つ気づいた事は A級男性は絶対 押しが強いだけで そんな女は誘わない・・。
やはり 自信の余りない・・ダンスもあまりうまくない男が アジア人女で押しの強いのと踊っている・・。
と言う事で 私は ”ダンス会” と言う所にでかけて行くのは まだまだ不可能なのだ・・。 取り敢えず踊ってくれる人はまずいないからだ・・。
自分は若くも 美しくもない・・踊りが巧い訳でもない・・。 取り柄はなに一つない・・。
じゃ~ いつになったら みんなと一緒に楽しくダンス会で踊れる様になれるのか・・? それは大きな課題として今の私にのしかかっている・・。
が・・そう焦ってはいない・・。 だって みんな10年 20年やっているという人がほとんどだ・・・。
つまり 私は ”十年早い”のかもしれない・・。まだ ダンスを初めて 数か月なのだから・・。
2・3年はジッと様子を観てて・・ 仲のいい友達がダンス会の中でたくさんできたら・・そこで 誘ってくれる人もできるだろう・・。
諦めずに 初級クラスに ずっと通い詰めて・・個人レッスンに通い詰めて・・少しはダンスが上手くなれば・・踊ってくれる人もできるだろう・・。
だが・・先日亡くなった・・臭くて・・誰もが無視するような老人になってまで ダンス会にしがみつくのだけは 辞めよう・・と心に誓った・・・。
彼の事は 私自身では 25年ぐらい前から知っている・・私のやっているジャイブダンスにも来てたし・・・タンゴもあの頃からやっていた・・。
我が家でやった ダンスパーティーにもやってきていて・・みんな ジャイブを踊っていたが・・私と彼とはタンゴダンスをした・・。
そして 数十年後私がタンゴのダンス会に行くと 彼が居たのだ・・。
でも 彼はスッカリ老人になり・・誰も 鼻もひっかけない状態・・。 完全無視していた・・。 彼自身も 女の人を誘うという 気力もあまりない感じ・・。
私を発見して 懐かしそうによってきて 私をダンスに誘った・・・。
が・・彼のリードは まるっきり リードでもなく・・私はオタオタとしているだけで・・ダンスらしきものは不可能だった・・。 そして 強い老人臭で気分が悪くなるほどだった・・。
以来 そのダンス会に行くのは辞めた・・。その老人に目を付けられるのがつらいからだ・・。
他のダンス会でも 彼を見かけたが・・そこでも彼と目を合わせようとする者は誰もいない。 完全に全員が彼を避けていた・・。
私もその一人・・・。 誰もが ダンスを楽しむ為に来ているのに・・老人介護的な仕事はしたくない・・よって 彼から視線を逸らすのは仕方のない事だった・・・。
結果彼は いつも 一人ぽっちで・・ダンスをしにきても・・ずっと 隅に座っているだけだった。 誰一人として 話しかける人も居ない・・。 つまり近寄る人も居ないのだ・・。
そんな彼が亡くなったニュースを聞いたトタン! ネットで彼の事を褒めた耐え・・いかに彼がすごい人だったかを言いまくっていた・・。
挙句は 彼の追悼ダンス会をするらしい・・。
そんな事をするのなら なぜに彼が生きている時に 一言でも声をかけ・・話を聞いてあげる事等をしなかったのだろうか・・?
本当にタンゴダンス会と言う コミュニティーは 言いたくはないけど・・最低で・・いい感じのする物ではない・・。
パートナーダンスと言う物はそんな物なんだとは ジャイブダンスをしていた時から知ってはいたが・・。 それにしても あまりにも辛辣すぎる・・。
ダンス会で優雅に 楽しく踊るには まずパートナーを見つけなければならない。 つまり パートナーとなるべく人をゲットしない限り踊れないからだ・・。
で・・女性が誘われるべく パートナーをゲットするにはどうすればいいか!?
それは もう そのコミュニティーの人間達に受け入れられる・・それだけだ・・。
そうやって受け入れられるか? それは 自分からフレンドリーに話しかけ・・友達になり・・そこで 相手が自分を気に入ってくれれば・・パートナーになってくれる可能性はある・・。
が・・どうやってその友達関係で気に入って貰えるか・・? それは 評価が高くなければならない・・。
つまり
1 若い・・・若いというだけで人気度は高い
2 美しい・・・美しいというのはとても大切らしい・・美しくて若い女はほとんど踊れなくてもひっきり無しに誘う男が来る。
3 踊りが上手い・・・上手いレベルはトップでなければ上手いとは誰も思わない。 つまり普通の上手さでは 上手い内には入らない。
4 性格がいい・・性格はいいか悪いかは その相手と相性が合うか合わないか だから微妙なのだ・・。
5 押しが強い・・大体中国人女性は相当押しが強い
6 自信の無い様子・・・日本人女性
これ等の5つの事で上から重要性の高い順に書いてみた・・。六番目は 誘われやすい項目だ・・。
しかし・・ 誰も踊りたくない男(醜い・踊りがへた・老人・臭い・・で女全員が完全に避ける男)の餌食になる女のタイプが6番目なのだ・・。私はやっと その餌食にならない術を学んだ・・。
どのパートナーダンスでも 英語の話せない控えめの女の子は だれもが餌食になるのだ・・。
押しの強いアジアの女は 結構ダンス会にはドンドン入り込んで行く・・。 が・・一つ気づいた事は A級男性は絶対 押しが強いだけで そんな女は誘わない・・。
やはり 自信の余りない・・ダンスもあまりうまくない男が アジア人女で押しの強いのと踊っている・・。
と言う事で 私は ”ダンス会” と言う所にでかけて行くのは まだまだ不可能なのだ・・。 取り敢えず踊ってくれる人はまずいないからだ・・。
自分は若くも 美しくもない・・踊りが巧い訳でもない・・。 取り柄はなに一つない・・。
じゃ~ いつになったら みんなと一緒に楽しくダンス会で踊れる様になれるのか・・? それは大きな課題として今の私にのしかかっている・・。
が・・そう焦ってはいない・・。 だって みんな10年 20年やっているという人がほとんどだ・・・。
つまり 私は ”十年早い”のかもしれない・・。まだ ダンスを初めて 数か月なのだから・・。
2・3年はジッと様子を観てて・・ 仲のいい友達がダンス会の中でたくさんできたら・・そこで 誘ってくれる人もできるだろう・・。
諦めずに 初級クラスに ずっと通い詰めて・・個人レッスンに通い詰めて・・少しはダンスが上手くなれば・・踊ってくれる人もできるだろう・・。
だが・・先日亡くなった・・臭くて・・誰もが無視するような老人になってまで ダンス会にしがみつくのだけは 辞めよう・・と心に誓った・・・。
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