2017年6月29日木曜日

我等(妹と私)が産まれ育った場所

宮崎市から 我等(妹と私)の生まれ育った場所にレンタカーでぶっとばす!
そして まず 山奥にある我等が住んだ所ではなく・・通った小学校を目指す。

そして その小学校から山奥への3kmの道のりが 我等の道草の経路・・。

で 小学校からずっと・・車でノロノロと進む・・。
だって 子供の足で 毎日3kmあるいていたのだから・・どんな小さな 土手も どんな小さな橋も・・その頃の我等にとっては ものすごく大きな道草の場所だったのだ・・。

同じ川や・・橋が今でも昔のまま(60年前)だと 二人とも興奮して歓声を上げる。
そんなに怒鳴らなくても‼と言いたくなるほど・・我等は興奮していた・・。

そして ここは真夏 暑い・・暑い・・日に 涼しい木陰を提供してくれていた ”夷守神社”
今は 昔より立派になった神社なのだ・・。

我等の向こうにある 納屋は60年前と全く同じく 同じ場所に 同じ様に建っていた・・。

納屋の中は畜舎になっていて・・屋根裏には牧草の乾燥したのが保管されていた・・・。
子供の頃はその中に入って・・寝転んで休んだり・・遊んだり・・・。
秘密の場所でもあったのだ・・。



われらの家があった箇所。

もっと大きな家で・・もっとたくさんの木々があて・・たくさんの草があって・・囲いもあって・・色んな物があったが・・ 全てが取り去られていて・・ガックリ・・。

我が家のすぐ前の道は 我等の庭・・。
右手の竹やぶの中に入って・・土手を降りて行くと・・小さな渓流があった・・。
そこには湧き水があり・・年じゅうコンコンと湧いていた。

飲み水でもあり・・断水すると・・みんなでそこに行って 水を汲んだり・・歯磨きをしたり・・。

水があまりにも冷たいので・・みんなで足を浸けて 誰が一番冷たさに耐えられるか?の競争をした。

あまり頑張ると冷たさで足がしびれてくるほどだった。

シジミも山ほど獲れる所。 子供の頃はそこからのシジミをたくさん食べた。

左側の竹やぶに入ると・・大きなタケノコの収穫をした。
この辺りの隅々までが 私の脳みその中に刻み込まれている・・。

この場所が ずっとこのままでいて欲しいと願う・・。

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