2019年12月6日金曜日

贅沢

私が初めて海外の土地を踏んだのが 47年ぐらい前のハワイだ。

今でこそ ハワイは誰でも行けるところであるが・・半世紀も前では 金持ちの特殊層ぐらいしか 行けるところではなかった・・。

もちろん! 貧乏の私がそこに行ったのは アメリカ人家族のベビーシッターとして雇われて行ったので・・自費ではない・・。

そして 泊まったのが 又 プライベートビーチを所有する超高級ホテル。 そして そのホテルは あのシェラトンホテルのすぐ横なのだ・・。

でも 私が驚いたのは トロピカルの花が惜しげもなく咲き誇るジャングルの中に藁の屋根の掘っ立て小屋が点在しているのが ホテルなのだ・・。

しかし そこは 紛れも無く高級ホテル。 一歩小屋に足を踏み入れると 超高級ホテルの設備・内装なのだ。

トロピカルの花が ベッドの上に飾られ・・・冷蔵庫の中には男性用と女性用のトロピカル花のコサージュが二つ備えられている。

つまり 男女は 夜のディナーは 女性はロングドレス等を着てドレスアップした際に 髪飾りとかして付ける花なのだ・・。男性はスーツに付けるコサージュにする為。

夜になると・・ハワイ原住民的な メイドさんが 男性女性と 高級民族衣装的なものを身に付け そしてトロピカル花も沢山身につけ・・ 女性は浅黒い肌のフライトアテンダント的に美しく優雅なメイドさん。

男性も同じくまるで 女性のメイドさんをエスコートするようにやってきた。

そして 何をするのか・・? と思うと・・ただただ ベッドカバーを剥いで 沢山ベッドの上にあるクッションを 取って仕舞う それだけの為に やってきたのだ・・。

二人がウヤウヤしく それだけの為にやってきたのが 私の中では 強烈な印象として残っている・・。

これが 高級ってやつか~~・・・と 生まれてはじめての体験。 もちろん! 貧乏育ちの私は チップを渡すことなんざ~~ 知らなかた・・。

なぜ今 この事を思い出したのか・・? と言うと・・今は 大自然の中に埋もれてすごすホテルがドンドン高級となっている。

超高層ビルで びんびかに整っているビルのホテルは 時代遅れになってきている。

そう思うと あの半世紀も前の私が泊まった 掘っ立て小屋風の高級ホテルは最先端を行ってたのだなぁ~~ と思う。

そして あのタンゴの友人が 自分の土地に小屋を自分で建てて住む・・と いうのが 一番の贅沢な事なのかも知れない・・・。

夢の園

先日 ニュージーランド南島のてっぺん地方のタンゴ集会に行ってきた。 そこには クライストチャーチ でのタンゴ集会の際はいつも我が家に泊まる友人が住んでいる。

彼女はいつも 「私はテントに住んでいるの」と言っているので ぜひそのテントを見てみたい・・とずぅ~~~っと思っていた。

彼女の働く ホテルの広大の敷地内に 高級なヴィラが点在していて・・ 広大な芝生と森の中を彼女は私の手を引っ張って行き 夢の園を見せてくれた。

潰れそうなそれも 相当ちっこい 一人用テントがやっと入る古い薪小屋とも言える小屋の中に そのテントがあった。 

それが 彼女のお城なのだ! 四方ふさがっている小屋でもない。 朽ちたトタン屋根と 3方が朽ちた木材で囲ってあるだけの小屋なのだ。

でも 彼女の小屋の周りはまさに! 森! そして 小屋の横には 沢山の野菜がグングンと育っていた。 彼女は野菜栽培もそこでしていたのだ。 それを自慢げに見せてくれた。

そこは 別天地! 完全なるプライバシーの元に 周りは大自然に守られ まさに 夢の園。

高級なヴィラが広大な敷地内に点在する所で働く彼女は 生活に必要な キッチンやバスルームは そちらを使っているので なんの不自由も無い。

自分の車も テントのすぐ横まで乗り入れられる様になっている。 自分の森に入れるゲートも 遠くにあった。

つまり 大きなお館に住む金持ちのゲートは館から ずっと離れている・・そんな様でもある・・。 彼女専用のゲートなのだから・・。

そして 彼女は そのうち自分の土地を買って・・そこに自分の小屋を自分で建てる と息巻いている・・。 もうすぐ 小屋建設方を学ぶコースに行くという・・。

いつもタンゴの舞踏会では 洗練されたドレスをとっかえひっかえ身につけ・私もあんなのが欲しい! と思うような靴を履き 洗練されたダンスを優雅に踊る彼女からは 想像も付かない世界で生きているのだ。

私も一緒に彼女の夢の土地で、夢の小屋の建設を手伝わせて貰う事にした・・。
今から そのことを考えるだけで ワクワクしてくるのだ・・。


2019年11月18日月曜日

夢と現実

私は 昔 もう25年ぐらい前であるが・・14歳ぐらいの日本人の子供の留学生ガーディアンをしていたことがある。

その頃に出会った 紳士。 彼は何十人もの中高生の交換留学生達を率いて日本に連れて行ったり・・ニュージーランドに留学している中高生の日本人留学生の面倒をみたりと・・留学生センターの偉いさんだった。

そして 彼自身もホストFatherとして 一人の日本人の留学生女の子を自宅に住まわせていた。

そんなある日 その女の子の親から ホストFatherからセクハラを受けて 女の子は白人恐怖症になり 裁判を起こす! と 訴えが来た。

私は偉いさんの彼がそんな事をするはずもない! と 親に反論したが・・親は事実は事実! と具体的なセクハラを言い張る。

もう 事は明らかにせねば・・と 本人にあたっても 完全に笑い飛ばされ・・いいがかりもいい加減にしろ! と言われ・・留学生センターの人達に何を言おうと 反対にいちゃもんつけるのもいい加減にしろ! 反対に怒られ・・。 と誰も相手にしてくれない・・・。

だけど・・その子の親からは ガンガンと連日の様にせっつかれ・・これはもう 放って置く訳にも行かない・・。

私は 直接本人にぶつかる決意をする。

カフェとか 周りに人けのある所はまずい・・と言う事で 私はデカイ森のような公園に彼を連れ出した。

そして 色々話をしつつ 周りに人が一人もいないのを確認して 意を決して・・・有無も言わせない勢いで彼にセクハラは完全になかったのか?! をぶつけた。

私の期待していた 彼の反応は「多分 その子が大げさで 西洋的習慣のハグとかがセクハラと受け取ったのだろう・・」 ぐらいの事を言うだろう・・と思っていた・・。

なのに!

彼は がっくりと両膝を私の足元にくずして・・いきなり 泣き出したのだ。 許してくれ! 許してくれ! 妻が長期に家を開けていたので さみしかったのだ・・と 号泣する・・。

私の足にしがみつく 彼を 私は蹴り飛ばしてやろうか・・・と 思った・・。

長身で紳士的な偉いさんが 30歳代の それも日本からやって来て 必死に生きている私に泣いてしがみつかれるのは 世の中が引っくりかえる程のショックだった。

なんか キラキラ輝いていた ニュージーランドも 長身の白人紳士の偉いさんも いきなり うす汚く安っぽい物になってしまった。

以来 ニュージーランド移住の私は若い頃の 夢見る心はかなぐり捨て すべてを直視・現実化して判断しなければ! と 思うようになった・・。

食欲と寿命

最近思うのは 食欲がある イコール生命力と つくづく思う・・・。

若い時は あれを食いたい あれも食いたい・・と 思っている内は なんか貪欲な感じで あまりいい印象はなかった・・。

欲をかく事イコール あまり品のいいものではない・・。

が・・・自分が歳を取って来ると・・貪欲な食欲と言うものはどんどん薄らいで来るのに気づく。

特に体調が悪いと 食欲は完全に減退する。 そして 食べたくないからと言って 食べない状態を放って置くと ややもすると かなりやばくなる・・。 どんどん 体力がなくなって 起き上がるのが億劫になる・・。

昔は こうやって 死の方向に行ったのだろうなぁ〜〜と思う。

今は 食べる物も豊富・・医療も発達している・・生命維持が簡単にできる時代だ。 だからどんどん寿命が伸びて来ているのだろう・・。

しかし それでも やはり寿命はその人によって 食欲と強い関連性がある。 肉を貪欲に食べたいとバンバン食べれる老人は 長寿だ。

反対に 食欲があまりなくて やむなく食べのもを口に入れている人は それほど長寿ではない。

最近 自分が やむなく食べ・・肉など 何年も食べたいと思った事もない。 肉は食べれない体になってしまっているし・・。 つまり消化ができないのだ・・。

自分の先はそんなに長くはないかも・・? と ツラツラ思う今日この頃・・・。

2019年11月12日火曜日

久しぶりのLyttleton港

久しぶりに 町外れの港 Lyttleton港に行く。
クライストチャーチ 大地震後の復興も大分進んで 新しく出来たパブやレストランも増えて なんかうれしい。
このレストランは 冷たい風の吹く外から中に入ると 西日が差して ホッコリと暖かかった。
自然のドライフラワーが沢山あって 気持ちがよかった。

歩道に何気にいた犬ちゃんの銅像。
Lyttleton港は南極から一番近い船の発着地。
南極に行った犬だとか・・。

空も海も船も とても 美しかった・・・。

先生んちの庭も春爛漫

私のダンスの先生の家
彼等の庭も まるで 天国の園の様にすばらしい!
特に 今は藤の花の盛り 


確実にやって来て春
我が家の庭賑やかです。

2019年11月7日木曜日

おじさんありがとう・・!

私がニュージーランドに来てすぐの頃 いまから 28年ぐらい前になるが・・現地の銀行に働き始める。

銀行の経験なんて何もなかったが・・とりあえず テラーのトレーニングをしている時・・常連で賑やかに冗談ばっかり言っていたおじさんが毎日やって来ていた。

彼はカフェを営んでいて その上がりを毎日入金に来ていたのだ。

ある日彼がコインが必要になったと言う事で両替に来た時私が応対した。
その後 すぐ また 彼が銀行にやって来たので・・・ 周りのベテランテラーおばさん達は・・・
「も〜〜何回今日は銀行にやって来るんだ〜〜!!」 と ざわついていた・・・。

彼は 「僕はただ Norikoの顔を見に来ただけなんだ・・なんせ 僕は彼女に惚れちまってね〜〜」 と言った。

そして 私のテラーのデスクに近づいて来て 「両手を出して・・」と彼が言う。

私は笑顔で 両手を差し出した・・ その私の手を彼は包む様に彼の両手で私の手を包んだ。

周りはもっとざわついて・・・「Norikoの手まで握るのか〜〜!」とまたまた 大騒ぎ・・彼は「いいじゃ〜ないか 手ぐらい握っても〜〜」 とわはっは〜〜と 笑っていた。

が! その時 私の手の中にコインの入った袋が手渡された・・そして彼は 私にすばやく・・「さっきの両替間違ってたから・・」と囁いたと思ったら・・ 

そそくさと また帰って行った・・。

彼は 周りのベテランおばさん達には気がつかない様に 私の間違って多く渡してしまった両替したコインを戻しに来てくれたのだ・・決して私の手を握りに来たわけではなかった・・。

こんな温かいはからいをしてくれた 彼の気持ちは 一生私の脳裏に刻まれて 薄れる事はない・・。

歳をとってしまった今・・時々 人生の反芻をする時・・いつも思い出す出来事だ・・。

おじさん ありがとう・・・!

2019年11月1日金曜日

毎年 忘れずに 田舎の土地に現れるクレマチス
ほんの少しの間しか花は咲かない。
大木を見事に這い上がって華麗な姿を見せるとため息が出る。

2019年10月31日木曜日

どうせフィクションなんだから スッキリ!させて!

最近 体調が悪く 鬱々とすると 深夜まで Youtubeで 昔の日本のドラマ それも サスペンスもんとか 観る。

が・・どうしても がっかり結果になる・・・。

殺人があって 警察が動いて・・犯人が解る・・って言う筋では もう・・・最初の頃から犯人が解ってしまうのだ・・。

筋から見ると 最後のどんでん返しを狙って 絶対だれも想像しなかった登場人物を犯人にするのだが・・ なぁ〜〜んか見え透いていて・・犯人が最初の頃に解ってしまうのは どうしても おもろくない。

登場人物全員には 絶対事件に関わる様に登場させているので その人達の事件の役目を想像すると すぐ筋が見えている・・・。

せっかく ワクワクしながら 見初めても やっぱりがっくり・・。

それから 政界・財界のトップの悪をあばく 記者が登場して それが日本全体を引っクリ返すほどの鋭いメスを入れる能力のある記者を登場させといて・・・最後は 記事を表に出せない程の圧が上からかかる。 よって 日本全体をひっくり返す事は実行できないで終わる・・。

なんで? どうせフィクションなんだから やればいいのに! せっかく 久しぶりにワクワクしてきた筋だったのに〜〜! 

アメリカ映画だったら 絶対正義が勝つ! ジ・エンドになるのに〜〜!

と 不完全燃焼を抱えて 私のフラストレーションも高くなる・・。


2019年10月16日水曜日

またもやダイエット

最近毎日 野菜とフルーツのジュースを飲んでいる。

もう 何十回とチャレンジしたダイエット。 成功! と思っても また 数カ月で元に戻る・・・。

が今回は 元に戻るどころか 増えまくってしまった。 
そして 体調がおかしく肝臓はホアグラ状態・心臓はバクバクと不整脈で 動けない事しばしば・・。
あまり体調が悪くなると もう 生きているのも 嫌になるぐらい辛い・・。
結局毎日 鬱々として ろくな事はない・・。

とりあえず ホアグラをどうにかして・・血液サラサラにして・・そしたら 少しはましになるかな・・? と続けている。

もう 体重と言うより・・ 辛い毎日から脱出したい一念。

2週間今 続けているが・・ 結果はまだ 何も出ていない・・。

ま〜 数カ月すれば 少しは結果がでるかも?
問題は 数カ月続くかどうか? なのだ・・。

野菜を週に一回買い出しに出かける。 ダンボールに山盛り買う。
でっかいキャベツの玉・人参てんこ盛り・セロリのでかい束・ブロッコリー数玉・トマト沢山・オレンジ山程・ナシ沢山 それだけ買うと もう一人では持てないほど 大量で重い。

本当は オレンジとナシは相当甘いので 入れない方がいいのだ・・。

でも そこが肝心な所なのだ・・ 甘いフルーツを入れないで 頑張るとまず 3日と持たない・・苦すぎて嫌になるのだ・・。

それと 大量のパセリが我が家の庭に雑草の如く生えていて・・それを しこたまジューサーにかける。 って事はかなり苦くなるのだ・・。 よって オレンジとナシは絶対必要。

そして スムージーの方が体にはいい・・とよく聞く。 ジューサーだと 出たカスに沢山の栄養素があるから スムージーにしてカスを出さない・・つまり 一番の栄養素のある皮の部分は ジューサーだと全部出てしまうのだ。

それも 十分承知の上。 
以前それで 三日坊主になったし・・。
もう スムージーはどんなに性能のいい機械にかけて スムーズな口当たりにしても・・・ギブアップ。

という事で・・・それらのすべての経験を経て・・辿りついたのが・・今の方法。

山盛りの野菜とフルーツは 一回に1リットルのジュースを作成してくれる。 そして 甘い! 飲める!

はてさて・・・今回は 数カ月続くかどうか・・・?


2019年10月6日日曜日

春は確実にやってくる

久しぶりに田舎の土地に行く。
何時ものようにいきすがら見える山々は まだ 沢山の雪に覆われている。

我が家の庭には 忘れな草が どんどん雑草の様に生えて来ている・。
我が家の裏にひっそりとある桜の木も 今の季節だけは華やかに天に向かって 活き活きとしている。



八重桜も 忘れずに必ず この時期には びっしりと蕾をつけ・・・
そのうち 華やかな八重の花びらを広げる。

2019年10月3日木曜日

子宮がん検診からは逃げられなかった・・・

もう68歳ともなると子宮がん検診とかいる〜・・?
と 思うけど・・私のドクターは ガンガンと言ってくる・・。

手紙が送って来て ちゃんとやれよ〜!
大変なことになってからじゃ〜 遅いんだから・・とか・・。

でも あたしゃ〜・・もう 無視!
と 思ってたら また 手紙が来る・・。

ん〜〜・・ じゃ〜やるか・・。

なんでやりたくないか・・? というと・・
スメアテストと言うのは 子宮口をヘラみたいなので ちょっと擦るだけだから普通の人は 全然簡単にできるのだけど・・。

私の場合 完全にvaginaの内側がカッチンコッチンになって 老化した粘膜をあのアヒルの口みたいなので押し広げられると 地獄の激痛がするのだ・・。

激痛だと・・スメアテストどころではないくらい 私は暴れると言う経験がある・・。

そしたら私の行きつけドクターが スメアテストの数週間前からあのカッチンコッチンをどうにかして痛みが薄らぐ様にしてから やればいいよ。と言う・・。

って事で その粘膜用薬をすんなりと処方。
で その処方箋を私の行きつけ薬局に送ると言う・・。

私は近くの薬局にその薬を取りにゆくだけ・・。

ま〜 なんと親切!

とりあえず スメアテストは免れられないらしい・・。

2019年9月28日土曜日

タンゴシューズ


タンゴダンスを始めて 二年。
タンゴはお高くとまっている人種。 国籍を問わず 全員 お高くとまっている。
よって 自分より下手と思う人とは 絶対に踊らない。

そして 他人からみて 自分が思うほど自分のダンスレベルの高くは無いのも常。

そして 往々にして男が少ない世界。
ニュージーランドでは・・ほぼ同数。

だが日本だと断然! 男が少ない。
でもって日本でのタンゴで知り合いを作る事は 自分が相当のレベルで無い限りありえない・・。

という事で タンゴダンスをやりたい! と思う人間は 世界じゅうでものすごく沢山いて・・・でも 問題は そのいけ好かない人間に負けて・・ダンスが継続できないのだ。

とりあえず 初心者は孤独になる。
誰もはなもひっかけない・・よって ダンス会では みすぼらしくするしか方法はないのだ。
よって 辞めて行く・・。

じゃ〜 自分のパートナーを連れて行き 二人でやればいいのでは・・?
いやいや そんなカップルも沢山いるが だから大丈夫という事も無い。

私は過去20年間に カップルで・・とか 練習を沢山して! とか ま〜 色んな事をあの手この手で何回も繰り返した。

でも そんな簡単な物では無い・・。

つまり すんなり入れられる人はほとんどいないのだ。入れるとすれば・・

*飛び抜けて若くてきれい(半端なく美しく 若くなくてはいけない。 私は高齢・ブス・チビ・デブ)

*飛び抜けてダンスが上手い(初心者で上手くないから上手くなりたいから踊りたいけど踊ってくれる人はいない)

*飛び抜けて高尚な社交力を持っている。(私はとりあえず人とは話したくない。だからダンスがしたいのに・・。 知らない人にすり寄ってはいけない・・。

安易にすり寄る人種も大勢いる・・が・・なんせ敵は半端ないお高くとまっているやからだけだから そう簡単に受け入れられる事は無い。 

安易にすり寄ると 会から追放もある。 すぐ上層部に通報されて その人は出入り禁止となる。)

*タンゴダンスは 踊りたい人に目をつけ その人と目が合う様にして 目が合ってお互いが頷いた所で 一緒に踊る交渉が成立する。

(私はいくら先生が 会場を ぐるりとスキャンして 男と目が合うように努力しろ・・と言うが 絶対にそんな事ができる程ダンスに自信が無い。という事は ダンスのチャンスは皆無)

そんな こんなのハンディーだらけの私はボロの靴に ダサイ服・・それ以上の事は 私のダンスレベルにそぐわない・・。

しかし! やっと! 最近靴を買う気になって来た。

世の中には ダンスシューズと言うのの他に タンゴシューズと言う特別な物が存在する。

私は左の足がひどい外反母趾 よって 右と左がサイズが違う・・。
そんなこんなの困難を経て・・やっとたどり着いた靴。

ネットでしか手に入らない代物なので・・この写真の靴は イタリアへ何回も送り返し 作り直し等失敗を繰り返し・・5ヶ月後に たどり着いた私の靴。

もう一生こんな靴を履くことは無いだろうと思っていた・・。

でも これを履いて 陶酔して踊ろう・・これからは・・!

2019年9月16日月曜日

大量の処分品

今日は少し片付けをする。

上の写真は私のベッドサイドにあった箱を捨てて・・椅子を置く。
そして 以前あった箱の中身を半分以上処分。
そして残りの半分を 収納タンスに収納したら ベッドサイドが画期的にスッキリ!

最近は 私が死んだら 誰が私の物を処分するのだろう・・と思う。
その人の仕事を簡単にすべく ゴミは おいて置かない様に・・が モットーとして 整理する日々。

ゴミ屋敷に住む人達の気持ちが解る瞬間だ。
つまり どれもこれも 自分の生きるのに必要な”物”なのだ。

必要であった・・と言うべきか・・。

いやいや 何回も捨ててしまった物が必要で・・ 「しまった〜〜!」と思った。

が・・しまった! と思う事は 何回もあったとしても そんなに重要でも無いのにも また 気がつく。 それよりも 何よりも 自分が管理できそうもない物の量に膨れ上がるのが 怖いのだ。

いつも 私の物は 最低量で・・いつでも死ねる・・と思いきや・・一年 いや 半年もすると なぜだか物の量が膨れ上がる。

つい数カ月前に 持ってる服の三分の一を処分したと思ったが・・今日はまた 今ある量の三分の一の量を処分。

明日は キッチン周りを見直して たぶん 半分ぐらいの物は処分できるかも?

冷蔵庫はいつもガラガラだ。 私のほとんど物が入ってない冷蔵庫を人はびっくりする。

冷凍庫は別にあって・・結構でかい。 そこにはたくさん入ってる事がよくあるが・・今整理にかかっているので もうすぐ底を付きそうだ。

あとはパントリーの中にある物を整理したい。
食料はあまり入ってないが・・食器類やコンテナ類がたくさんある。 
すべて 捨てたくない 自分が必要だ! と信じて疑っていない物ばかりではある・・。

が・・自分がドンドン歳をとって・・そして 使うだろうか? と自問自答すると・・たぶん使わないだろう・・という事になるのだ。

私がもし まだ 40代とか50代だったら 使う物ばかり・・。
が・・歳を取って来ると・・色んな事をしなくなるのだ。

多種多様の料理をしたり・・たくさんの人を招いておもてなしをしたり・・もうそんな事はしたくない・・となると それに必要な”物”はもう不要な物なのだ。

たぶん フリマに出したら ドンドンみんなが買ってくれるだろう的物がたくさんあるが・・ フリマに出すのも面倒・・そんな事をするより リサイクルセンターに寄付する。

何回も何回も 膨大な量の”物”が リサイクルセンターに運ばれるのだ・・。

2019年9月15日日曜日

命の全う

早かれ 遅かれだれにでも 死はやってくる。 若い頃は 「そんな事当たり前じゃん」 と たかをくっていた。

が・・最近は ”だれでも死刑囚と同じ” と思える様になった。 いつ死刑の宣告が来てもおかしくない年齢に突入したからだと思う。

死刑囚の人は その日の朝死刑執行を知らされる。 つまり朝10時までに執行通告がなければ 次の朝まで 命が続くのだ。

自分もこのまま 平穏に 80最 90歳と行く訳ではないのだ。 いつ何が起こって死に至るかわからないのだ。 現に私の知る人 身近な人達が ドンドン 消えて行く・・。

明日は自分の番かもしれない。 

朝目が覚めて・・また 新しい朝が来て 私にもう一日生きる時間を与えてくれた神様に感謝したいと思うこともしばしば。

もし 病に倒れたり・・大きな怪我をしたりすれば そのまま 死に急行するのが老人なのだ。 ほとんどの元気な老人は 病や怪我がきっかけて 死がすぐそこに来てしまう。

しかし・・老人の死でいい事もあると言うのを発見した。

若い時は ”死” イコール恐ろしい物である。 つまり生命力にあふれている時に思う死は 残酷であり・・到底受け入れられる物でも無い。

が・・色んな経験を経て・・人は物忘れがひどくなり・・欲も少なくなって行く。 つまり刺激も欲しくない。

そして 毎日の生活も平穏になり・・生きる気持ちも少しづつ失せて来る。そして死を受け入れる気持ちにもなって行く。

そんな老人になって 命を全うできれば 最高かもしれない。

国の習慣の違いは気候の違いから・・・

真冬のニュージーランドから 真夏の日本に行くと いつも思うのは バクテリアの事。

高温多湿の日本の夏は 日本人の潔癖な程の清潔さ。 つまり 毎日洗濯をする。 毎日タオル類を変える。

毎日風呂 またはシャワーをする。 それも夜。

では ニュージーランド人 つまり 欧米の気候で生まれ育った人々にはそれは無い。 つまり いくら日本の真夏に行ったからとて 毎日の洗濯とか 夜体を洗ってから布団に入る・・と言った習慣が無いのでやらない。

日本で出会った欧米人風旅人 彼等はいくらインテリ風でも ちゃんとした感じの人たちでも 不潔な匂いがする。 汗から強い腋臭等・・・ 彼等は いかに高温多湿でバクテリアが繁殖しているか・・と言うのに気がついていない。

タオルと言う欧米から来た代物は日本の高温多湿には全然そぐわない・・。 特に旅をしていて・・タオルを持ち歩くと言うのは不可能なのだ。

ま〜 お金があって・・タオルがふんだんに使える宿に泊まれば 問題は無いが・・私の様な安宿しか泊まらないと・・タオルの持ち歩きは 不可能になる。 つまり 乾かないので 一日で臭くなる。

毎日洗いながら 乾かしながらの旅は不可能。

よって 手ぬぐいを持ち歩く。 手ぬぐいは体を洗うのにも使える。 風呂から出たら 固く絞って 体を拭く事もできる。 その後ちゃんと洗って きつく絞って 風通しの良い所にかけておくと すぐ乾く。 生乾きだったら ヘアドライヤーを当てると すぐカラカラに乾く。

つまり 日本の気候には 手ぬぐいは万能なのだ。

日本人が東南アジアとか トロピカルの外国に行くと あまり大変な事にはならない。 でも 欧米人が トロピカルの国に行って食中毒を起こしたと言う話は たくさんある。 

欧米人のバクテリア繁殖に横着なのは いつもの生活習慣を見ていると 如実にとって見れる。 あのやり方では 食中毒もさにあらん・・と納得する。

さて 反対の問題もある。 

日本人は乾燥にとても弱い体をしている。 肌がカサついて 皮膚が荒れる人がこの上ない。 目が乾いて目薬なしでは・・唇がカサついてリップクリームなしでは・・ と大変だ。

髪もガシガシなって・・手入れが大変になる。

他 アトピーの人の肌はてきめんに乾いてひどくなる。 つまり湿気が少なすぎて 肌が完全に乾いて そこから痒くなって来る。 肌が乾いて 割れて 血だらけになる人がなんと多い事か。

それから 見えない・臭わないダニに関しては 日本人は 完全に無力だ。 つまり 欧米人は 週に一回はシーツの取替をするが そんな日本人はあまりいない。 日本住宅のダニの多さは半端ないと聞く。

放射能汚染に無頓着な日本人は 見えない・臭わないからなのかも・・?

2019年9月11日水曜日

化粧品

最近化粧を真剣に始める・・。

百均の化粧品でも 最高級の化粧品でも なんでもいい・・とりあえず 闇雲に 色んな物を試した。

化粧品に関しては もう すでに 誰よりも知っているつもりだ・・。

最高ブランドであればいいと言うのでも無い。

最高ブランドは 人種を選ぶという事がある・・。
つまり お高く止まった金持ちおばさん、 それも白人のみ・・と言うブランド。
高いのはだいたいそれに当てはまる。

安もんは それなりに粗悪素材で あまり良くない・・と言うのも学んだ。

資生堂は世界の資生堂として 今は 世界どこに行っても 高級ブランドと肩を並べている。

白人でも無い私は 資生堂が合う・・・と 時々思った時期もあった・・。 が・・やはり それは アジア人向け的商品が多いのに気がつく。

ま〜 私はアジア人だから 合うのでは・・? と思っていたが・・私は私で どこにも属して無い・・と言うのにも気づく。

つまり アジア人でも 中国の北 つまりロシアに近けれ白い。 秋田美人は白い肌の人が多い。

フィリピン人やカンボジア人的の肌の色とは全く違うのだ。

一概にアジア人と一つにくくってしまえる物でも無い。

アジア人は 欧米人からすれば インド・パキスタン・中東の人も まとめて入れて考える人もいる。

そしてまた 年齢層によっても 化粧の仕方は違う。 日本・韓国・中国のキラキラ若者の化粧と フィリピン系の中年以上の女性の化粧とは全く異なる。

そして 気候が違えば 化粧品の質はまるっきり違ってくるのだ。 
湿気と温度は化粧品に大きく作用する。 

ニュージーランドで使っているものが 日本の高温多湿では使いもんにならないし・・・

日本でこれはいい! と思っていたのが・・ニュージーランドに持ち帰ったら 冷たい乾燥した場所では カッサカサのカッチカチで使いもんにならない事もある。

さて 結論!

私が辿り着いたのは MACと言う化粧品。 これは人種を選ばない。 つまり肌の色を選ばない。 キラキラ若者だろうが・・老年白人だろうが・・アフリカ系黒人であろうが・・ 大丈夫。

つまり 顔はキャンバス そこに どんな色を載せようが なんでもござれと 揃えてある。

気候も選ばない。 世界中どこに行っても同じく作用する。 

そして嬉しい事に飛行場の免税店の化粧品売り場の固まった所にはなくて MACは 飛行機に乗る前に必ず待ち時間が生じて来る・・その場所に店を構えているので つい覗いてしまう。

そして 若者ギラギラ肌であろうが・・しわくちゃ・カサカサ肌であろうが・・ちゃんと化粧ができる肌に仕上げてくれるのが MACの商品なのだ。

何気に一つの商品をMACから 選んだのが・・・堰を切った様に この商品だけに集中してしまった。

人種・年齢を選ばない色合いをすべて揃えている・・と言う所に 私は一番魅力を感じたのかもしれない・・。

ブレずに生きたい

若い時 粗野な私は 化粧はどうも 受け付けられなかった。
化粧水も乳液も気持ち悪い・・ クソ喰らえ。
つまり 野生動物並にやって来たのだ。

日焼け止めも リップクリームも 目薬も ハンドクリームも 無縁の世界で生きて来た。

それが・・ここ数年 歌舞伎役者か舞妓さんなみの化粧でも いいのだ! と 両極端に走ってしまった。

昔から 老人が化粧を・・それも厚化粧をしていると とても いい感じに思えていたからだ・・。
しわくちゃの肌に シミだらけの肌。 それでも 嬉々として塗りまくっているのをみると・・ その人が 華やかに見えて・・ハッピーそうに見えた。

人生もまんざらすてたもんじゃ〜ね〜なぁ〜〜 と思って最後の時をエンジョイしている人に見えた。

よって 私もその部類に突入しよう! と思ったのだ。
誰が どう言おうと もう そんな事 しったこっちゃ〜ね〜 自分さえ良ければいいのだ。
どんなに自分の顔に色んなもんをハデハデにぬったくっても 誰に迷惑をかける訳でも無い・・。

洗練された化粧品会社のポスターモデルのようには 所詮誰もなれないのだから・・。

そして・・・自分の顔を鏡で見ながら 塗りたくっていると・・ 毎回 横浜のメリーさんの事を思う。

↓メリーさんの事がちょっと解る
横浜のメリーさん

彼女の最後はホームレス。
そして それでもなおかつ 厚化粧をして・・・時々 ぼぉ〜〜っと 最高級のフランスの香水とか女の憧れのグッズがあるショーウインドウを覗いていたとの事・・。

すごい!
彼女は最後まで 女だったのだ。

骨の髄まで 自分が自分であるのを 貫いたのだ。
決して妥協はしなかった。

私もメリーさんを目指して 彼女の様にブレずに 生きて行きたい。

2019年9月10日火曜日

自分の位置が少し見えて来た

日本人として生まれ 日本で育った。 そして 闇雲に海外に飛び出して・・また 日本に舞い戻るが・・そこはもう 自分の生きる場所はなかった。

何をどうあがいてみても 自分は日本社会に根を張れる人間ではなかった・・。

かと言って 日本以外の国で 生きて行けるのか? と思った所 そう簡単な物ではなかった・・。 

それから 私は自分の根を張れるべく がむしゃらに生きて来た。 30年ニュージーランドで一心不乱にやってきて・・結果 ニュージーランドが私の根を張れる地になったか? と思うと・・ いやいや 絶対に 私の居場所では無い。

ニュージーランド人は私の顔を見ると「ニーハオ」と言う。 私に Helloと言うのではない人種と即座に差別される・・。

世界どこに行こうと 地球上どこでも 「ニーハオ」なのだ。

そして 日本に行くと 私の言動・服装・髪型・化粧の仕方は 決して日本人のそれでは無い。 つまり 日本では 私はアジアの外国人と扱われる。 買い物をしても英語で対応される事しばしば。

と 言うことで 私は宙に浮いた わけのわからない人種で どこにも根は張れないのだ・・・と 長年思っていた。

が・・ 最近 少しだけだけど・・ 自宅の中にいる分は 確実に”自分の場所”なのだ。

自分の土地があり・・自宅があり・・自分の部屋があって そのスペースは紛れもない ”自分の場所”なのだ。

そう思える様になった。

つまり ニュージーランドに自分のスペースはある。

人が 私の顔を見て 「ニーハオ」と言おうが 私の場所はニュージーランドにある。 

これからもこのスペースを大切にして ゆるぎのない自分のスペースを開拓して行こうと思っている。

人の場所に行くのではなく 自分の場所に人が来てくれる分には 私は私でいれるのだから・・ 人を私の場所に招待すればいいのだ・・。

田舎の土地は 開拓中止状態だが・・大きな納屋はパティー会場はすでにできている。

大きな屋根のあるデッキ・何十台物車が停められる駐車場・10人以上が寝泊まりできる施設・・・これらを完成に向けて やって行こうと思う。

それが完成したら 世界中の友人を招待して そこで 休んで・人生の充電をして・遊んで・楽しんでもらおう。

そしたら そこもまた 自分の場所になり・・そこに深い根が張り・・自分の場所はもっと確固たる物になると思う・・。

なにかふっきれた・・・

長年がむしゃらに生きて来て・・もう 人生の最終章に突入している。

なのに なんか 癖なのかそのむしゃらさが 出て仕方が無い・・。

もうちょっと肩の力を抜いて もっと シンプルにいきなければ・・と 思うばかり。
そして 肩の力を抜いてみたら 少しばかり 吹っ切れた様な気がする。

人に媚びる・・・自分では こびているつもりでは毛頭なかったけど・・やはり媚だったのかも? 人には礼儀をつくして 精一杯やるべき・・でも それは もう媚でしかなかったのかも?

つまり いくら頑張っても その人の為に・・・と私が思っても それは 私の自己中心的な思いやりであって・・・必ずしもその人の為にではないのかもしれない。

逆に 他の人も 私の為に・・私を想って・・と してくれる事が私の為という事も無い。

ならば・・もう 何も考えずに まるで完全自己中心でいいのでは・・と思う。

人からなんと思われようと・・自分の為に行動していいのでは・・。

残り少ない人生の時間を どう自分が使おうと それは 自分の物であるので それはそれで 許されるのでは・・と思う。

そう思いだしたら・・なんか いつもいつも 自己嫌悪とかにさい悩まされていたのが アホくさくなって来た。

自分が傷つかない様に 今のまだ残っている自分の力を自分の為に使って生きていこうと思う。

2019年8月4日日曜日

Little Riverの日

今日は日曜日 夫の友達の家に行く事になった。
その友人はこの写真の真ん中の人。
彼ら3人は 彼らが 大学生の頃 バイト先で仲良くなったとの事。
その頃は 貧乏学生で 何も知らない ただの若者だったとか・・。
半世紀も昔の事である。

そして この可愛いお家は 真ん中の友人が一人で 廃材を集めて建てた家。
森の中にポツンとあって・・・とても素敵!
まるで メルヘンの世界。

山奥にしかいない ベルバードが そこらじゅうにいて 集まって来るのだ。

このメルヘンの家には トイレ・シャワー・キッチンも取り付けられるとか・・。
ちゃんと 住めるし・・・温かいし・・窓も大きくて まるで温室のようなのだ。
そして 周りは森と野鳥達がさえずっているだけ。



これは友人宅
かなり大きな家なのだ。
廃屋的なのを 全部自分の手で 立て直し とても快適に作られている。
大きな彼の敷地内は もう すべてがメルヘンの環境なのだ。
その友人の庭にあった木

その木の葉っぱは とてもとんがった先っちょで 触ると痛いのだ。
でも この真冬の植物達はみんな 茶色になってしまっているのに この木だけは 青々として 生き生きとしているのだ。

その友人の家の物置には 大きな木が立っている。
その木の枝が傘の様になっていて 物置の屋根は守られているのだ。


2019年7月28日日曜日

半世紀以上も前の列車

私の夫は ”鉄ちゃん” つまり 鉄道マニア とはいえ大した事はないが・・
とりあえず 列車を見ると どんな物でさえ 子供の様に興奮する。
もう ニタニタが止まらない。
ってことで この 約片道20分ぐらいの鉄道を往復している 列車旅行を楽しんだ。
月に数える程しか走っていないので・・その日を選んで ネットで予約して行かないと 乗れない。
つまり 飛行機の様にEチケットが必要なのだ。

機関士はサービス精神旺盛で Rogerに 機関士室に乗れ乗れ! と 言ってくれた。
もう 満面の笑みをたたえて 彼は乗り込み・・ 子供の目をして 嬉しがっていた。

そして 私と 機関士さんは ツーショットも写ってくれて・・大サービス。
美しい のんどりした 田舎を貫いて・・走る列車の旅は 本当に 心を癒やしてくれるのだ。

Kaikoura 

何回も いや 何十回をも 行っているKaikoura だが・・ 今回は 行った事もない パブレストランに入る。
とても落ち着いた雰囲気で 鳴っている音楽は 1970年代の物ばかり。
つまり 私とかRogerの耳には 我らの青春時代に戻ってしまう錯覚に陥りそうなのばかり。
そして 思わず 口ずさんでしまうのだ・・。
大きな丸太をバンバン燃やしている暖炉の横に座って・・我らは 何時間も 何時間もこのパブですごした。
冬で 観光客もなく・・・バーテンダーは手持ち無沙汰・・。
そして 我らに ポツポツと 世間話を持ちかけて・・・。
なんとも Kaikoura の雰囲気は全くなかったが・・のんびりとした まったりの週末を過ごす事ができた・・・。

これは 女性にしたら なんだ?! と思っておしまい。 どう考えても なんだかわからない。
これは 男性用小便器なのだ。
トイレの扉が開いてて これは もしかして?
と Rogerに訊いてみたら そうなんだとさ。
それも これは もう 大昔の物で そこら辺では お目に書かれない代物。
しかし 立派に再現されてたものだ!
この写真を FaceBookに載せたら 世界中の人から たくさんの反響があった。
やはり 知る人ぞ知る・・・そして とても立派な物らしい。

そして 私に
「おまえも トライしてみたか?」 と質問が来たので・・
「トライしたら 穴が冷たかった」と返事をしておいた。

ほんとにトライしたかって?
まさか〜!!

スポーツ時計

最近 これを買った。
時計ではあるが・・万歩計でもある。
どのぐらいのエネルギー消費をしたか? も 出て来る。
そして 随時 脈拍数も出て来る。
ま〜〜 私の体の動きだとか 調子だとかを 色々とモニターしてくれるのだ。
ウダウダと 怠け者になってしまうと・・・ドンドン ドツボにはまり 挙げ句は 鬱にはまり込んでしまう。

やばい・・やばい・・ということで これを買った。

ま〜〜! 便利!
なんせ いつも 何時だかわかるし・・何歩あるいたか? も随時わかるので ちょっとでも 少ないと あえて 用もないのに むやみに歩いてみたり・・・ ちょっと食べすぎると エネルギー消費計算だってしてくれるので・・ 食べた分以上に消費せねば! となる。

昨日は 一日働いていたら・・一万2千歩歩いて・・エネルギー消費量は 2千キロカロリーも消費していた。
でも 消費量より摂取量が多い日が普通なので・・そう簡単には痩せない。

が・・
とりあえず 体を動かす癖は 完全についてきた。

そして 体を動かすイコール 色んな仕事をこなすので・・気分もいい!
たくさんのいい事が 最近勃発していて・・私は 相当いい気分になっているのだ・・。

最強チーム

我等四人は ビジネス Kiwi Houseを回している。
この中の誰が抜けても 何も始まらないのだ。 
一人 一人が 得意分野を 持っていて・・ それらが全部融合して 動いているのだ。
そして どこかが ちょっとでも 不都合が出ても 他の誰かが サポートして Kiwi House全体が ちゃんと作動するように 起動調整をする。

それも 見事な動きで Kiwi Houseが回ってゆくのだ。

私は 長期休みなど もうできないと思っていたが・・ どうにか インターネットという現代のツールをもって 私の長期ホリデーも取ってください! と他の三人が言ってくれた。

みんなが Happyになるように・・みんなが 最善の協力をして 回してゆく面々。

私はなんと幸せ者なのだろう・・ と思わずにはいられなかった。

2019年7月7日日曜日

人種差別

もう 半世紀昔にもなるが・・・私がロンドンにいる頃 白人と有色人種が別々に別れているパブがあった。

今では 考えられない事だが 事実 ひとつのパブが 二つの部屋に別れて 別々に飲んでいるのだ。

私はアメリカ人と一緒で そのアメリカ人達は全部白人。 そして 一緒にいたそのアメリカ人は 私をじっと見つめて 「あんたは ここにはいられないわけね~~」の体で私を見た。

つまり 私は黄色 他の人たちは白。 あんたと私らとは一緒にはここにいられないのよ・・的に・・・。

若かった私は 無知であまりそんな事も気にはしてなかったが・・・今考えると ものすごい人種差別なのだ・・。

今でこそ そんな事があれば それこそ 訴える事もできるほど とんでもない人種差別なのだ。

たった 半世紀のうちに 変わったもんだ! とも思う反面・・ いやいや 公には 出ては来ないが 脈々と 内側には その人種差別は 流れているのは感じる。

日本の外に住んでいれば それは 日常茶飯事に 感じる事はできるのだ。

南米を半年以上放浪していた時・・・ チーナ! チーナとバカにした声で 呼ばれた。 南米の歴史を紐解くと・・やはり 中国人が 奴隷として 使われていた時代が 長くあった。

つまり 南米の現地人であるインディオよりも 結局その下で奴隷として居た訳だから 肌の黒い 髪の毛も黒い 現地人が アジア人をバカにする・・・と いうのは 田舎にいけばいくほど感じる。

先日 トンガに行った時も 日本人と言う区別よりも もう アジア人イコール中国人と言う感じだけで 差別をする。

いくら 日本人だ~!! と叫ぼうが・・もう 血は中国人も日本人も一緒だから 結局は中国人だろ~! と言うのだ。

ちゃんと教育されている人たちは アジア人でも 細かく別れていて 文化も歴史も違うし・・気性もみんな違うと言う事も知っている。

が 無教育の人間は とりあえず アジア人 イコール 中国人と言う観念はガン! としてある。

ま~ ほとんどの 日本人は 特に中年以上の日本人は 外人 イコール 白人 イコールアメリカ人と 言う観念がある。

そして 白人コンプレックスは今だに根強い。 白人にはへーこらして アジア人や 肌の黒い人には 強きで出る日本人が多い。

これは 歴然とした事実だから 悲しい・・。つまり 日本人も人種差別は根強くあるのだ。

私は 30年も 宿経営を ニュージーランドでしていて 客は世界中からやって来る人ばかりなので 多国籍の人たちを毎日相手にしている。

今でも 白人客で 我らアジア人を 汚い・無能・野蛮人的扱いをする人もかなりいる。 特に北欧から来る人にそんな人が多い。

つまり 北欧の人種は 主に 普通の白人の中でも もっとも高い位にいるらしい。 つまり 金髪と青い目の人が多い。

他のヨーロッパ人とか アメリカ人は あまりにも 白人以外の人種と血が混ざりあってしまって 価値が下がっているのだと 誰かが行った。

個人的には みんな 色々あって いっぱひとからげでは そんな事は言えないが・・・とりあえず 30年もの間 いろんな人種に接して来ると 明らかに それは 見えて来るのだ。


2019年7月6日土曜日

トンガ


一週間だけど トンガに行ってきた。
暗い・・寒い・・クライストチャーチと違って 真っ青な空 真っ青な海 と 一気に心が晴れる。

が・・
初日レンタカーで回る為 運転許可証と言うのを トンガでは取得しないといけない。
早速 そういう国の機関に行って申請。
だが!!
私の免許証は 車のフル免許証ではないので 発行できない! の一点張り。

しかし 私の免許は 車の免許はフル免許 もう半世紀近く車は運転し・・そして 世界中で いろんな機種の車だって運転している。

が・・大昔私はオートバイの免許もとった。 それが フル免許ではなかった。
よって それが表に書いてあって・・ フルとか書いてなかった。

しかし裏にはちゃんと 車はフルと書いてある。

が・・
トンガ政府は ガン! として受け付けない・・。

あげく 私をにらんで 大きなため息と共に
「チャイニーズめ!!」と 叫んだ!

もうチャイニーズには うんざり!! と言う風情・・。

取っつきから こんなで 私もうんざり!

たまたま 以前取得していた 国際免許をもっていたので それを出すと・・
「最初からもってなら これをだせ!」とほざく・・

私は
「国際免許を私がもっているってことは 私の免許証だって フル免許だって証拠でしょ!」と
いい放ったが・・ 無視!・・。

ううんっも~~~!!! 腹がたって仕方がなかった・・。

それでも とてもいい人との出会いの方が多く・・その怒りは帰る頃には 収まっていた。
妹は和歌山にすんでいて・・和歌山でも太刀魚はとれるけど こんなに立派なのはない・・
ってことで 早速買う。
そして調理して食う。
美味!!!
蟹には目がない我ら・・・。
早速マーケットで買って 宿のキッチンで 湯がく。
最初に買ったのは 大変な事になった。

蟹さんは 紐でハサミと胴体が縛ってある。
なにげにその紐をハサミでちょん切ると もぉ~~~~!!!! 彼は 暴れる! 暴れる!
でっかいハサミを振り回し・・・絶対的に反抗をし続ける。
どうもこうも 戦い続けて やっと鍋に入れたが・・それも 自分で入れた訳ではない・・宿の男の人と妹と 二人がかりで やっとの事で大鍋に入れたのだ。

紐は絶対に切ってはいけないのだ! 教訓・・。

身もびっしり! 味も最高!

空港から見た夕日

自然は最高!
しかし トンガ人は異常にチャイニーズに敵対意識を持つ。

妹が 日本のバスポートをチェックインカウンターに置いたとたん!
「チャイナに帰る切符はもってるか!?」と 叫ぶ。

それも すごく怒った顔で。
いっぺんに 気持ちが暗くなる。

いやいや あんた 国際空港で働いている人でしょ?
それも チェックインカウンターで・・
それも ちゃんと日本のパスポートをあんたに差し出しているでしょ?!
なんでチャイニーズと決めつける?!

と 言っても知らん顔!
無視! 無視!

帰るチケットを出せの一点張り。

妹が便名をいったら ぶっ超面で  それも無言で ボーディングを出す。

完全にトンガの印象最後に台無し・・。

肝臓肥大 つまりホアグラ

最近風邪を引いて それをこじらして 大変な目にあた。
一ヶ月しても 体調が優れず・・いろんな検査をするはめに・・。

結果 肝臓が悪いのでは?
と言うことで 超音波と血液検査で 徹底的にしらべる。
で・・ホアグラ

つまり 私はこれ以上甘いもんを 食いまくるのはやめねば・・脂質もほどほどに・・。
と・・食生活をいっぺん!

白湯を飲む・・は もうギブアップ。
うまくない! 

いつも 濃いホットチョコレートを飲む週間の私が 白湯は辛い・・。
思えば・・・私の食生活は 油と砂糖の固まりだけ食べていたような・・。

炭水化物はほとんどとらなかったけど・・ 甘いお菓子で エネルギーを取っていた。

それも 砂糖水の様な果物が大好きで 急激に砂糖を吸収するので 血圧にも悪いし・・ま~
 いろんな所に悪いのだ。

と・・今は 味の薄い野菜の煮物と お茶 とか・・・すべて 味の薄い物ばかり。

人生 酒ダメ(喘息がでるので)タバコもダメ(一発で喘息) カフェインもダメ(お茶類 チョコ等胃痛が出る)

ダメダメづくしで 唯一 自分へのごほうびは 砂糖・・・。
チョコのアイスに浸っていた。

が・・今は それもダメ

生きてる楽しみって全く無くなってしまった・・。
私はこれからどうやって生きて行けばいいのでしょう・・? 

庭の鳥達

今は冬
野生の鳥達は 食べ物が 全く無くなってしまって・・・どうしてるのだろう・・・
と思うのも 最近まで 私のガラス戸のすぐ前にあるリンゴの木にたくさんの実がなっていた。 そして そこに無数の鳥達が群がっていた。
それも何種類もの鳥達。

たくさんのリンゴだから 冬じゅう鳥達は 食料には困らないだろう・・
と毎日 一日中でも 私は それをみつめながら 楽しんでいた。
が・・・

ほんの1・2週間の間に おびただしい程のリンゴを全部食べ尽くしてしまった。
普通 地面に落ちてしまったリンゴは 鳥達は猫に狙われるので・・警戒してあまり 降りない。

が・・・
それでも 最後は 地面のリンゴをつついていた。
それも無くなってしまった。

そして 私は 毎日 全くその鳥達を見なくなってしまった。

そこで 私は 米を リンゴの木の近くにある 朽ちた木の板に乗せてみた。

すると どんどん 鳥逹が戻ってきた。

それでも あまり多くはない・・。

なので 今度は 小さなプラスティックの皿を設置 そして そこに米を乗せた。

炊いた米の方が食らいつきがいい。
そして 大量に米を炊いて 大量に置いた。
でも 毎回 毎回 数時間で 全部なくなる。

人間様の米を 大量に放出するのは・・。
ってことで 今度は 野生の鳥用餌さ ってのを 買って来て 置いてみた。

米より 食らいつきがいいみたい・・。

やんや やんや とお祭り騒ぎの様に 鳥達が集まって来る。

が・・それも数時間。

たぶん 買って来た 餌さも すぐなくなりそう・・・。

巣箱を 作って 目の前の木に設置しようかな・・? と 企み中

2019年7月5日金曜日

Rogerの日本語

彼は 日本語のコースに一年以上通っている。 週に一回だけど・・。
でも 全然上達しない。
単語は色々覚えて・・数も日本語で数える事はできる。
しかし・・会話がどうしてもできない。

ま~~
我らが 英語会話が上達しないのと同じ原理なのかも?

2019年4月11日木曜日

またまた 災難到来

ミシンで縫い物してたら 爪を貫通して 指の先に針が刺さった!
あわてて 手を引いたら 折れて刺さったまま。
救急病院では 麻酔を一応してはくれたけど・・あまり麻酔が効いてないのに 針を抜かれた。
ぎゃ~!! と叫んだ瞬間に抜けたから・・
ま・・いいとするか・・。

2019年1月28日月曜日

窓からいつも見える家


私の2階の寝室兼作業場の窓から 2軒向こうの家の窓が見える・・。
その窓と言うか・・・その部屋が気になって仕方が無い・・。
なぜか?
いつも空だし・・
カーテンさえまともにつけられてなくて・・カーテンが閉まった事も無い・・。
絶対に誰も住んでいない部屋なんだと思う・・・。

しかし 大きな窓がいくつもあって・・部屋自体も体育館並みにデカイと思う・・。
なのに・・誰も住んでいる気配が無い・・。

もし 私があの部屋に住んだら どんなに素敵だろう・・? と思う。
だって・・すごく広くて すごく大きな窓がたくさんあるし・・。

あのまま 誰も住まないまま 放置される部屋なのだろうか・・?
もったいない・・・。

毎日 毎日 この部屋の窓を見る度に同じ事を考えるのだ・・。
それが もう数年続いている・・。